Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

私が愛した不自由

便利で、素晴らしい世の中が、僕の首を締め付けている。窮屈で、息苦しくて、窒息死しそうだ。吐き出した言葉、切り取った写真には光の速さで符号が貼りつけられ、泥酔して野糞のように僅かでも人の道を外れればカメラの大群によってデジタルデータ化され、ネットで買い物をすればその日のうちにモノが飛んでくる。この素晴らしい仕組みを構成する要素は、大概に非人間的で、かつては楽しんでいた不自由を窮屈で退屈なものに、許せていたものを許せないものにしてはいないだろうか。

「どうすれば相手に言葉に届けられるのだろう?」という悩みは、確実に届いてしまう仕組みによって、相手の反応を監視する待機に変わってしまった。いつからだろう?飲み屋の女の子たちがケータイ水没を音信不通の理由に挙げなくなったのは。

結論を急ぐ気持ちは今も昔も等しく変わらないが、性急になりすぎてやしないか。「私のメッセージは届いているのになぜ無視されているのだろう?」「なぜ思ったとおりの反応が得られないのだろう?」届きすぎてしまう言葉は、相手への思いやりやリスペクトを忘れさせ、エゴを増幅させ、イジメ自殺やストーカー殺人といった悲劇を生み出している。「切った」「切られた」インスタントに崩壊する人間関係。

でも考えて欲しい。家族でも恋人でも友人でも同僚でもいいのだけれども、そういう他人に言葉を伝えられる関係になること自体が素晴らしく、価値のあることなのだ。たとえ、それがインスタントに築き上げられたものであったとしても。勘違いしてしまいがちだがイージーに言葉を届けられるようになったからといって、その関係自体がイージーなものになったわけではないのだ。

便利になりすぎることは、時に、窮屈で余裕がなく、仕組みに支配されているように僕には思える。過去に時間を巻き戻すことは出来ないけれど、僕は、ラブレターを出す前の不安と期待が混じり合ったあの気持ちやその後に訪れる焦燥、ひとすじにいかない不自由を忘れずにいたい。そのかわりと言っては何だが、不自由すぎる僕の下半身が時々ズボンを窮屈にしてくれればいいのだけれど、そうはうまくいかないのが人生ちゃん。

(このポエムは飲み仲間が来る前の居酒屋で10分間かけて書かれた)