Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

養子を迎えることを考えた。

立たねえ。タマねえ。そんな僕の体の欠陥が大きなハンデとなり、厳しい戦いに終始した二年間の妊活が長い話し合いの末終わってからちょうど一年になる。僕は41才。いつの間にかオッサン狩りの獲物となり周りからは老害扱いされはじめているけど、まだまだ若いつもりでいるので、これからの数十年の人生を子供なしで生きていくと考えると少し寂しい気持ちになる。


妻はもっとそうに違いない。妻は決めたときから子供について何も言わない。友人の出産祝いを買いにいくときなどは絶対に思うところがあるはずなのにだ。僕を思いやっての無言なんだろう。でも僕は責めて欲しかった。はっきりとタマなし野郎と責めてくれたほうがいくらか気分が楽だった。


潔く決めたはずだけれど、僕らの決定が正しかったのか間違っていたのか今はまだわからない。正しかったなんて胸を張るつもりはない。人生を終えるときに間違っていなかったと思えればそれでいい。これからの生き方はそれを証明する旅みたいなものになるはずだ。


僕ら夫婦のことを案じて養子を薦めてくれた人もいて、実際に妻とディスカッションもした。けれど養子を貰うのもヤメた。養子縁組はとても素晴らしい制度だと僕は考えている。なので養子を貶めるつもりは全くない(もしこの文章からそういう意図が読み取られてしまったのなら、それは完全に僕の文章が拙いことに起因する)。養子を諦めた理由は僕と妻でそれぞれ違うものだった。妻のそれをここで開示するのはフェアじゃないので、僕の意見だけを述べたい。


養子縁組は子供のための制度だと僕は考えているので、子に恵まれない夫婦が子供を持ちたいという理由で利用することに少し抵抗があった。これはあくまで僕の私見なので、子に恵まれないご夫婦が利用するのは全然構わないし、むしろ積極的に制度を利用して新しい家族をつくり育んで欲しいとさえ思う。僕が偏屈なだけなのだ。

もうひとつ。僕は極論いえば家族なんて交換可能だと考えている。つまり家族という枠組みに甘んじていてはダメで、家族という縁や絆を維持するにはそれなりに努力が必要だと考えている。家族なんてハードコアなんだよ。争いあうのはほとんど家族同士だ。家族間の争い、殺し合いなんて僕に言わせれば家族という枠組みに甘えて、それを維持し守る努力を怠った結果にすぎない。僕は努力しない家族なんて壊れるのが当たり前だし交換可能だとさえ思う。


なので、養子を僕の家族として迎えるとき、僕は父親の役割を完璧に果たさなければならない。僕は血縁を信じない。けれど血縁を軽んじたりもしない。養子を家族を迎えるとき、僕は実子を授かったときよりも、よりいっそう、父らしくあらねばならないと思うのだ。父親の役割を果たす。完璧に。さもなければ壊れてしまう。その恐怖感が僕にはどうしても拭えなかった。一家の主。父親。そのロールプレイは僕には無理ゲーに思えてならない。


年末。忘年会。イケメンとセクシーガールを前にエキサイトした僕は自分のロックンロールを証明するために乳首に辛子を塗るという暴挙に出た。右。左。両方の乳首だ。しかも居酒屋だ。僕はこういう自分の中にいる暴れん坊の自分をとめられない。もし我が家にやってきた養子が、父親である僕の、両乳首に辛子を塗ってアヘアへ喘いでいる姿を見たらどう思うだろう?もしその子が僕なら父親だと思いたくない。家庭が壊れる予想図しか僕には見えない。僕が養子をもらえない理由、それは未熟な僕の人格にあるのだ。


街を歩いていると僕と妻と似た夫婦に出くわすことも多い。夫婦に挟まれている小さな子供。三人は少し歪な川の字のようだ。そういうときいつも、僕は近づいてくる川の字に僕と妻の姿を重ねてしまう。僕らの川は川にはならない。欠けている部分を僕は子供ではない存在で埋めていく。僕と、なによりも妻のために。それが何なのか今はまだわからないけれど、僕は見つけなければならない。

(所要時間25分)