Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

有料の方が面白いものが書けるので記事の有料化を考えている。

 記事の有料化を考えている。理由は借財の返済に窮しているからではなく、自分で使える金が欲しいからである。ラジコン。プラモデル。ゲーム。女子大生。出費を強いられる趣味が多すぎるのだ。いずれにせよ、金の話。なんて世知辛いのだろう。生まれ変わったら恋と夢について語り続ける花詩人になりたい。数万社とコネクションのある求人サイトに登録しても、需要皆無な僕のような人間に出来ることなどたかが知れていて、せいぜいブログの有料化。覚えていてほしい。いいかい? WEBの文章の有料化というのは、有名人や政治家やミュージシャンなど一部の例外はあるが、基本的にそれ以外に金稼ぎの方法がない僕のような《追い詰められ人間》がやることなのだよ。

 

 先日、《有料の方が無料より面白い》という意見を見聞きした。そのセンテンスだけだと誤読されまくりでスローガンとしては失格、失笑を禁じ得ないけど、間違ってはいないと思った。《有料の方が無料より面白い》というのは、突き詰めれば「他人様からお金をいただいているのだから、無料という言い訳でテケトーなゴミ文章をWEBに放流するわけにはいかない。放流の前に今いちど文章を推敲しようではないか」という当たり前な話に収束する。実際、WEB上は通読不可能な、読んでいるうちに三半規管がおかしくなる文章が溢れている。皆が有料化して丁寧に推敲するようになれば、この悲惨な状況が改善するかもしれない。

 

 ただ、それが面白いものになるのかどうかはまったく別の話。面白いものを生み出すのは残酷な言い方をすれば才能に拠る。ただ、通読できる文章が増えれば、文章が酷すぎるあまりに隠されていた才能が発見され、面白いものが今よりも増える可能性はあると期待はしている。せいぜいその程度の淡い期待感があるだけで《有料の方が面白くなる》そんな即席ラーメンのようなことはありえない。実際、人に文章を読んでもらうのであれば、有料であれ無料であれ、読み手に対する気づかいは同等であるべきだと思う。厳しいことを言うようであるが、人として他人様に読んでいただくものであるなら、金銭の授受がなくても、最低限の推敲はするべきだろう。有料と無料で内容や分量の差違はあって然るべきだが、《有料だからやる。無料だからやらん》という具合にスタンスを変えるような人の文章を、信者や熱狂的ファンやネットウオッチャー以外に読みたいと思うだろうか。少なくとも僕は思わない。

 

 さて、以上を踏まえて僕の有料化計画について考えてみると、これまでとまったく同じ質と分量の文章を月額1万円程度で売ることになる。これまでと同様のクオリティであるのは、かねてより僕が読んでいただいている方に最高の質と気遣いを提供しているため、有料化したところでそれ以上の《お・も・て・な・し》が出来ないからである。残念。無料時代にやりすぎたわー。1万円という価格設定については非難のターゲットになりそうなので先に弁明させていただくと、数百円の単価設定から数百万円を稼ぐレベルで満足できるほど僕(42)はもうピュアじゃないからである。

 

 というわけで最近、金が稼げるよと評判のnoteというサービスの、ほとんど死にかけていたマイ・アカウント(https://note.mu/delete_all)を復活させて有料化コンテンツを発信しようと企てていたのだけど、僕のすべての銀行口座は妻が掌握しているため、いくら稼ごうとも僕の手元に入る金額はゼロ。そんな悲しい事実に気が付いてしまった。きっつー。それならば気楽にやれる無料の方がいいわー。というわけで僕はこれからも無料なので今後とも変わらぬお付き合いをお願いしたい。本気で無料より有料の方が面白いと仰る気概があるのならば、どうか、せめて、このブログより百倍面白いものを書いていただきたいとWEBの発展のために願うばかりである。