Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年間サラリーマンをやってきた僕が新人に伝えたい108のこと

まことに僭越ながら、今春から新しい環境に飛び込む人たちにいくつかお伝えしたいことがある。「社畜風情が何を」と投石しないでほしい。石の上にも三年という言葉があるくらいだから、うだつがあがらなかったとはいえ20年会社員をやってきた僕にも多少は何かを言う権利くらいあるはずだ。

 

子供の頃、学校やそこらで「大人はスゴイ」「働いている大人はスゴイ」「会社はスゴイ」と言われつづけてきた。僕はそれが不思議でならなかった。一部の例外はあれども、大半の賢く見えない凡庸な大人たちが会社のドアをくぐるや否やスーパーマンに変身してバリバリ仕事というのが不自然に思えてならなかったからだ。その不自然は僕が社会人になるまで消えることはなかった。会社に勤めてすべてわかった。働くことは実にくだらないことであった。いや。働くことのほとんどを占めているのは実にくだらないことであった。本来の仕事とは関係のない人間関係の調整の多いこと多いこと。

 

このくだらなさをそのまま社会に流布したら大人の尊厳は失われ、絶望する子供も出てくるだろう。社会は混乱し体制崩壊。そういう理由で働くことはスゴイ、働いている人はスゴイと子供たちに吹聴する必要があったのだと思う。体制を守るためにミサイルを日本海へ打ち込んで国際社会にアピールをするキタチョーと何ら変わらない。僕はキタチョー的くだらなさに加担したくはない。民主主義を守るためにくだらないものはくだらないと言ってきたつもりだ。実はアタマのいい僕がバカになったふりをして会社や仕事のアホな面を強調して皆様にお話しする理由は、ストレスや怨念を晴らすことが九割、残り一割が民主主義を守るという高尚な使命のためなのである。

 

新しい環境に飛び込んだ人たちに言いたいことは《あわなかったら今すぐ辞めろ》ということ。辞めてもらって大いに結構。何ら恥じることもない。会社や他人を気にする必要もまったくない。実のところ会社サイドだって戦力になってから辞められるよりダメージは小さいし、身もふたもないことをいうなら、僕のようなイマイチな先輩社員にとってデキる新人が速攻で辞めていくことは将来の己の安泰を約束するものに他ならない。なるべく早い段階、出来ることなら実績をつくらないうちにガンガンやめていただけると甚だ幸いなのである。心を病んでしまっても申し訳ないし。

 

そもそも仕事を続けられるかどうかで優劣をつけることがおかしい。そんなものは同じ仕事を続けられる条件の有無、個々の差違でしかない。事実、20年会社員をやっている僕はまったく優れていない。興味深いのは辞める側も辞められてしまう側も「やりがい」を持ち出すことが多い点。一方は「やりがいのある仕事ではなかった」といい、他方で「やりがいは仕事をするなかで見つけるものだ」という。両者は、一点だけ、仕事にやりがいを求めていることだけ完全に一致している。

 

これは完全に間違っている。やりがいのある仕事は確かにある。だが、思惑どおりやりがいだけの仕事に就ける人というのはほとんどいない。ほとんどの仕事がミスマッチであり、やりがいを感じられる仕事に就けるのはただ幸運に恵まれていただけにすぎない。ミスマッチが前提であるやりがいのある仕事を理由にしていることこそナンセンスで時間の浪費なのである。ちなみに僕は全仕事のうち、ある程度の割合のやりがいのある仕事を見つけられたのでそこそこラッキーといえる。

 

ただ、辞めるのは全然オッケーだけれども、長年働き続けるを是としてきた社会なので、たとえば就職後3時間で退職となった場合にはそれなりのマイナスから再スタートになることは覚悟したほうがいい。マイナスがイヤならもう少し続ければいい。働くこととはいいかえれば、その覚悟と苦痛の交換であり、その連続なのである。インターネットなどで会社なんかははやく辞めた方がいいですよデメリットなんてないっすよと仰る人がいるけれど、デメリットのない行動など存在しない。

 

また、仕事を続けるのならアッピールは仕事でしろと言いたい。SNSが全盛の現代、やってしまいがちだけれども、自分スゴイ私満たされてるアッピールをするのは出来るだけ控えたほうがいい。自慢話を聞くのが趣味という奇特な人はさておき、ほとんどの一般人にとって俺スゲー私スゴイという自慢話は面白いものではないからである。アッピールは仕事でする。本当にスゴイ仕事が出来るのならその仕事自体がアピールになり評価になるはずだ。自らスゴイスゴイと言っている人はそれが仕事か、周りが言わないから自分で言うしかない取るに足りない人にすぎない。これを読んでいる人にはそうならないでもらいたい。そう願うのは当人のためではなく、ただ、僕がそういう人を目の当たりにすると疲れるからでしかない。

 

以上である。残念なのはバカになったふりをしてこのようなバカ話を続けてきた僕自身がホンモノのバカになってしまったことである。きっつー。皆のためにバカになろうなどと性に合わないことをしなければよかったと本気で後悔している。バカになってまで僕が伝えたかったのは、大事なのは自分の心に正直に向き合い、自分のために生きることが大事であるということ。「やりがい」のような自分の外にある曖昧なものに働くことの意義を見出さないことなのである。己の心に正直な僕は、108の煩悩をみたすために今からギャルとの出会いを求めてSHIBUYA109へ足を運ぶつもりでいる。よかった。雨も止みそうだ。(所要時間28分)

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