「立場が人を変える」とは本来、どんなボンクラでもそれなりの役職に就けばそれに伴う責任感や重圧によってそれなりの仕事をするようになる、というポジティブな意味を持つフレーズだが、部長職を捨てて会社を辞めた僕の周りにいる人たちの、おぞましいばかりの変貌を目の当たりにしてしまうと、とても、とても、そういうポジティブな意味を持っているフレーズには思えない。たとえば在職中は絶対に僕のことを「部長」と呼ぶことのなかった年上の同僚。彼は僕が辞めてからブチョ~、ブチョ~と呼ぶようになった。ふざけてんのか。立場が変わったらこうである。奴は、心の底から性根が腐った人間なので、素人童貞のまま小汚い万年床で孤独死してもらいたい。家族に目を向けてみると、妻は専業主婦時代に、プロ市民にでもそそのかされたのだろうね、主婦の家事は年収換算すると1,200万円になるという異説を持ち出し「君は1,200万円を稼ぐ私をただ働きさせている」という理屈で数回に渡る小遣いアップ要請を審議することなく却下してきた。しかし、今、家事の大半を任されているのは僕である。つまり年収1200万を稼いでいるのは僕。という明確な根拠で妻に小遣いアップを要請したら「アルバイトの身分で何が年収1200万円ですか」などと都合のいいダブルスタンダードを持ち出して取り合おうともしない。何色の血が流れてるのだろうか。このように正社員、部長職という立場を失ってしまうと人心は離れて酷い仕打ちを受けるのだ。きっつー。さて、僕は現在、仕事の内容は線香臭いので公表は避けるが、アルバイトの身である。不安なのは、その契約期間。《契約期間は営業開発の男性が産休の間≫と人事担当から説明を受けたものの、サンキューつって、おいそれと納得できない。「育休の間違いですよね」「男性はウンコしか産めないはずですよ?」と何度も確認したけれども人事マンは間違いないと言い張るので信じることにした。生まれなければ半永久的にアルバイトを続けられるし。こうして線香臭くなる前の一時期、僕は、社員食堂で皿洗いパートとして働いていた。最初はパートで働くなんてって腐っていたけれども、今は、パートして食堂でおばはん達と働いてみて良かったと思っている。この経験は僕の人生にとって宝になるとさえ考えている。告白しよう。僕は会社に勤めているとき、アルバイトやパートタイマー、それから無職の人たちを完全に見下していた。わからなかったのだ。健全な肉体と精神を持ちながらフルで働かなんて。楽をしている。ズルい。そんなふうに見ていたのだ。実際に自分がパートになって働いてみて、それまで見えなかった、いろいろなものが見えてきた。理由なき無職は無価値で考慮するに値しないが、アルバイトやパートタイマーは正社員とまったく同じだった。皆、生活を維持するため、生きていくために、必死だった。社内での立場を必死に守る社員と同様に、自分の居場所を守るために、他人を蹴落とす人もいれば、金に汚い人間も多かった。よくテレビや映画で見かけるような、お金はないけど心は綺麗、お金持ちは心が汚い、というゲロ吐きそうな構図が現場レベルに存在しないことが確認できたので本当にいい経験だった。あの、皿洗いパートタイムは、僕のような性格の歪んだ人間でもアルバイトとしてやっていける、そんな確信を与えてくれた貴重な時間となった。私事になるが、家計を助けるためにパートとして働いている妻が正社員として雇用されることになった。努力が実って良かった。めでたい。喜ばしい。つって以前ならば祝辞を述べるところだけれども、ファブリーズ噴射、洗濯物完全分別、帰宅直後の強制全身コロコロ、合体グランドクロス永久禁止といった現在受けている非人間的な扱いが、今回の正社員化でより悪化し無慈悲なものになることが予想され、素直に喜べないでいる。多分、立場は人を弱くするのだ。それも一方的に。(所要時間19分)