Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

超久しぶりに父と再会した。

「プロダクトは消費されることが一番幸せなんだ」父がよく使っていた言葉だ。「地図に残る仕事」ほどキャッチーではないにせよ、ほとんど口癖のように言っていたものだから、僕の心に刷り込まれたようにずっとあり続けている。先日、父が書いたいくつかの論文を見つけた。40年前に「価値工学(VE)」について書かれた論文で、誰かがネット上にアーカイブしてくれたものらしい。工業デザイナーだった父は、スケッチや水彩画といった仕事に近いものだけではなく色々なことを僕に教えてくれた。サイモン&ガーファンクル、カーティス・メイフィールド、西部劇や戦争映画。それからバスキア。ピアノも学ばせてくれた。もう少しアカデミックなことを教えてくれていたら僕も大成したのではないかと恨み節のひとつでも言いたいところだ。しかし、サイモン&ガーファンクルの『いとしのセシリア』が流れていたあの書斎で、価値工学の論文をいくつも書いていたとは…自分の知らない父の姿に驚いてしまう。僕は価値工学がどんなものなのか、よく知らない。サービスや製品の価値を最大限にする理論といったところだろうか。ただ「プロダクトは消費されることが一番幸せ」と言っていた父の言葉の源流を突き止められた気はする。父が亡くなった初夏、僕はよく、老夫婦を見かけては父と母の訪れなかった未来の姿を重ねたものだけれども、最近は重ねることもなくなってしまった。長い時間が流れてしまったから、とひとくちにいうのは容易いけれども、その長い時間を生きてきた母と僕の想像力で補完した年老いた父とを並べることは、なんだか母と母の生きてきた時間に失礼で、不敬罪に値するような気がしたからだ。父が死んだ理由はわからないままだ。永遠にわからないままでいい。価値工学についての論文を書きながら己の価値を過少評価してしまったとしたら何という皮肉だろうか。僕は思う。いってみれば人間は誰もがプロダクトで、消費されることが喜びなのだ。プロダクトは誰かに使われ消化されることが本質であって、プロダクト自身が寿命を定めるものではないはずだ。そういう意味では父はプロダクトを産む側の人間としては合格だったかもしれないが、プロダクトとして失格だった。実際、父が書いて遺したいくつかの論文は、そう多くはないだろうが、それでも何人かの人の役に立っていて、その様子は僕に、年に数えるほどしか船舶が通らない岬にある灯台の灯りを想わせる。生前はまさかこんな形で自分の書いたものが、世界のどこからでも、四六時中いつでも、読まれるような状態に置かれるとは思っていなかっただろうけれど。僕は営業という仕事をやってきたので、インスタントな、数字にあらわれる種類の仕事を否定しない。ただ、仕事というのは、インスタントに評価されるものばかりではないこともよくわかっているつもりだ。「地図に残る仕事」というコピーがあるけれども、そこには自分の手で地図に記す仕事だけではなく、たとえば宝物のように地図には載っていないけれども、他人に発見されて他者の手で地図に記される種類の仕事も含まれるのだと僕は思う。父の論文のように。叶わない夢やどうにもならない欲望、不自由な肉体を抱えながら、いってみれば消費されながら生きていくことに、虚しさを感じて逃げてきたけれども、今はそれほど悪くないような気がしてきている。今も時折「プロダクトは消費されることが一番幸せなんだ」という父の言葉を思い出す。だが、最初にその言葉を聞いたときの情景はまったく思い出せない。きっと、その言葉が今も生きていて、思い出す必要がないからだろう。(所要時間18分)