Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

家族というヤバい

臍炎を患い、丸二日、激痛でのたうちまっていた。おかげさまで今はすっかり良くなっている。今後、趣味のヘソいじりが出来なくなるのは、いささか残念だが仕方がない、人生は諦めの連続なのだから。心配し温かい言葉をかけてくれた家族には感謝している。昨年一年間音信不通状態にあった弟は「大丈夫か?保険入ってるよな」と仕事の合間に電話をくれた。箱職人の元師匠でもある(元とあるのは僕が跡継ぎから丁稚奉公坊主に格下げされたから)義父からは「あとのことは心配するな。いざとなったらサラリーマンを辞めて箱作りを手伝えばいい。月に一万も売上がないが…」と不安を煽る効果しかないエールもいただいた。ありがたい。当初、ヘソの炎症は想定外であり、ただ胃をおさえて転げまわりながら激しい痛みを訴え、悪魔のようにウーウーうなっている僕の様子を妻から聞いて、皆の頭には重大深刻な病気が浮かんだみたいだ。電話の向こうで「若いから…」と言ってその後の言葉を繋げなくなってしまった母には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。その途切れた先の言葉が「大丈夫」なのか「進むのはやいよね」だったのか、今は、確かめる術もない。「いいからすぐに病院に行ってください」「何の病気かわからないと私が不安です」と妻に追い立てられ、這うように病院へ行き、診断&処置を受けて落命せず現在に至る。本当に良かった。我が一族は用意周到の一族である。たとえば結婚してからの数年で僕が死んだら金がおりる保険サービスをいくつか薦められ加入し、毎年のように強引に人間ドッグを受けさせられている。この正月も、遺言を書くように家族一同から勧められた。お年玉として渡された「コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5サイズ」を手に、ふと、「まだ43だけど、これに書いたら、なんか僕は早く死んでしまいそうだね」「デスノートに見えてきたよ」と呟くと母と妻は、平均寿命よりずっと短い人生だった祖父と父はきっと遺した家族が心残りになっている、あなたにはそんな幽霊になってもらいたくない、あなただって同じ想いでしょう、と真顔で僕を諭したのだった。人間の、あれほど真剣な表情を僕は今までに見たことはない。

コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101

コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101

 

心配をかけた家族や親族に、無事を伝えた。妻は「キミに何かあったら私が困ります」と言いました。母は「もし何かあっても生命保険があるから私は大丈夫」と言いました。弟は「兄貴にもしものことがあったとき俺は揉めたくない。不動産の権利等諸々の決め事をしておこう」と言いました。義父は「そんなことより年明けてから箱がひとつも売れていない俺の方が重症だ」と愚痴りました。僕は気づいてしまった。私が、私は、俺は、俺の方は、そればかりで、良かったね、はどこにもなかった。同情や見舞いの言葉などは求めていないけれども、まさか、ここまで己のことしか考えない個人主義が蔓延しているとは。いや。用意周到なだけだ。正月のコクヨ エンディングノートに触発されて、家族の裏の姿、個人主義が垣間見えてしまったけれど、基本的には僕のカラダを心配しての言葉なのだと僕はまだ信じている。激痛でのたうちまっていたとき僕にかけてくれた言葉を思い出す。妻のいった「私が不安です」が「私の(今後が)不安です」で再生された。義父の「後のことは心配するな」は「(死んだ)後のことは心配するな」、弟の「保険入ってるよな」は「保険入っている(なら俺がカネの心配をする必要はない)よな」で再生された。母の途切れてしまった言葉。「まだ若いから」に「進むのハヤそう。保険金受取人に私の名前は入っている?」と続くのが再生された。経済的な話ばかりで誰も心配していなかった。だがこれも誰にも心配かけたくないと日々常々考え、口にしている僕の思いを家族がくみ取ってくれたからなのだと信じている。第三者からは僕は家族の肉ATMにしか見えないかもしれない。だが、もっと深いところで僕ら家族は繋がっているのだ。逞しく用意周到に生きる彼らを僕は誇りに思う。エンディングノートにはまだ一文字も書き込んでいない。このノートをデスノートにするもしないも自分次第なのだ。(所要時間23分)