Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「子供を持てばわかる」で話を終わらせるのヤメて。

とある友人と飲んでいて「子供は東大か京大へ行かせるつもりだ」と冗談を聞かされたので「言うのはタダだからな」とゲラゲラ笑ったら相手が真顔で半ギレしていた。冗談ではなかったらしい。「小学5年生の息子を学習塾と英会話と体育予備校とスイミングスクールに通わせているので小遣いが少ない」という愚痴からの流れで飛び出した東大進学希望発言。僕が冗談と勘違いしたのも無理はない。と思う。なぜなら彼は学生時代、どちらかといえば、というか、明確に勉強が出来ない人だったからだ。じっさい、酔っぱらっていたとはいえ、その場で暗唱した九九も相当に怪しかったし、「dog」の意味を問われた英語の小テストで「ドッグ」とカタカナで解答していたのを僕は強烈に覚えている。トンビが鷹を生む、ということはありうるけれども、自分の遊びほうけていた過去や目の当てられない成績を棚に上げて、子供に猛烈に勉強をさせて成績を望むのは何なのだろう?僕には子供への期待ではなく、親のエゴに思えてならなかった。彼は、子供から友達と遊ぶ時間がないと訴えられて、平日の一日だけ自由時間を与えた、これも子供のためだと胸を張った。子供は塾はともかくスイミングだけは笑顔で通っているそうだ。もし、鷹だと信じていた子供がトンビだったらどうするのか?親のエゴが子供を潰すこともあるんじゃないのか?と僕は彼にたずねた。彼は「なんで人間の子供の話をしているのに突然鳥の名前が出るんだよ。エゴってなんだよ。意味わかるように言ってくれよ」と答えた。絶望した。彼は諺もエゴも知らない。ここをスタート地点として、どうすれば東大の赤門に辿り着けばいいのか、一億光年くらいか、僕は厳しすぎる現実を中ジョッキで流し込んだ。そういえば、俺はやればできる、と彼はよく言っていた。今も。リアルな友人でもネットの向こうの知り合いでもいいのだけれど、やればできる、という人間で実際何かをやって成し遂げた人間を見たことがない。「やれば」という仮定は現状からの逃避に他ならないからだ。そういう仮定を設定している限り、何も成し遂げられない。もちろん、やればできると内心で思っていてモチベーションにするのはありだが、なぜか宣言して、予防線を張ってしまうのが、何とも悲しい。最悪は「やればできる」から「やればできた」へ、過去形になってしまうことで、僕の目の前にいる友人はそのステージに入りつつあった。永遠の「やればできる」地獄から抜けられないのは、悲しいかな自分の責任でしかないが、己の「やればできた」という幻想を自分の子供に託すことが、はたして夢や希望といえるのだろうか。僕にはとても思えない。思えないので「友だちだから言っておくけどはっきりいってお前勉強出来ないよね。そんなんで自分の子供が東大へ行けるとどうして思えるわけ?飛躍してると思わない?飛躍っていうのはわかりやすくいえば、Bダッシュで大ジャンプして高いブロックに飛び移るって意味なんだけどさ。まあ、不可能とは言わないし子供の可能性を否定するわけではないけど、ドラマや映画の観すぎじゃね?いやいやいやいやビリギャルだって東大じゃないし。そういうの親のエゴっていうんじゃね?醜いよ。まあ、エゴっていうのは、わかりやすくいえばワガママってことなんだけどさ…」と言った。友人は、子供には…、と言葉を途中で打ち切り、それから僕に「お前も子供を持てばわかるよ」と言った。僕はそれきり何も言えなくなってしまった。子供のいない僕にはわからないという宣告。反撃不能。子供を持つことはなかったが、もし仮に子供がいても、僕は子供に自分以上を期待しないとは思う。子供を持てばわかること、子供を持たないとわからないこと、おバカな友人でも知っていること、親のエゴでも過去へのリベンジでもないこと。子供のいない僕がそれを永遠に知りえないことが少し寂しく、そして悔しい。(所要時間19分)