Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

さよならスリーエフ

「星より明るくスリーエフ」のフレーズで一部神奈川県民で有名なコンビニ、スリーエフがなくなった。正確にはローソンに吸収されている。スリーエフは神奈川県発祥のコンビニチェーンで、神奈川の外へ住民票を移したことがない僕には当たり前のようにいつもそこにある存在だった。

高校を卒業する時期くらいまでだと思うけど、かなりの数の店舗が近隣にあったので、てっきりセブンイレブンと肩を列べるような全国チェーンだと僕は感覚的にとらえていた。この感覚、一度でもスリーエフの「くいチキン棒」をおやつにしたこのある神奈川県民ならわかってもらえると思う。実家からわりと近くにあってお世話になったスリーエフもローソン・スリーエフへと様変わりしていた。僕が学生だった頃だから20年以上前の昔ばなしになってしまうが、その当事と現在の店舗を比べて大きく異なるのは、成人向け雑誌コーナーが大幅に縮小されているところ。あの頃。ありったけの勇気を武器に、なけなしの金をはたいて、表紙にある写真と文字という限定された情報と野生の勘、それから作り手の良心とプロのプライド、それらを信じ、選んだ成人向け雑誌を手に取り、レジに並んだときの身を震わすような昂りと同様の昂りを僕は知らない。昂りのほとんどは大人たちの汚いビジネスの上で裏切られ弄ばれてしまったが、それも今となってはいい思い出。機会があれば、理不尽なブツで干からびていった分身たちのために復讐は果たしたい。「デラべっぴん」「投稿写真」それから「BOMB!」に「DUNK」。成人向け書籍を愛してやまなかった僕が、数あるコンビニの中でスリーエフを選んだのは一人の協力者の存在が大きい。実家の3軒隣りに住んでいたカッチャン。カッチャンは僕より二つ年上の兄ちゃんで、僕が小学校一年から四年までの四年間一緒に集団登校をしていた仲だ。中学と高校ですっかり疎遠になってしまったが、僕らには他の誰とも分かち合えない共通点もあって、顔を合わせれば普通に話をしていた(と思う)。そのカッチャンがスリーエフでバイトをしていた。大学生になった僕はカッチャンのいるシフトを狙ってレジに並んだ。ありとあらゆる成人向け雑誌を持って。僕はレンタルビデオ店でアダルティックな作品を借りたことを、その店でバイトしていた知り合いから作品名と延滞金額まで母親に密告された苦い経験があった。想像みてほしい。性癖が実の母親に露見する恐怖を。きっつー。カッチャンは同志なので絶対にリークしない。そんな信頼感が、背がひょろっと高くて無口な彼の姿には、笑顔にはあった。誰ともわかちあえない共通点が僕らにはあった。カッチャンは30才過ぎまでそのスリーエフでバイトをして、近くの工場に就職した。彼の職業について僕は詳しく知らない。僕が知っているのはその後の彼が職を転々としていたこと。そして休日になるとガレージで国産のスポーツカーをいじったり仲間とドライブに出かける姿だったり、朝早く車で出勤する音だったり、その程度の断片的な情報しかない。もしかしたら彼にとって一番良かったのはスリーエフでバイトしていた時代だったのかもしれない。いつしか彼のガレージは錆び付いたスポーツカーと野良猫の住まいになっていた。3年ほど前だろうかカッチャンのおばさんとばったり町で会った。おばさんは「40過ぎて家でゴロゴロしてるのよー」と呑気にカッチャンのことを笑っていた。一昨日、実家に寄ったときに母からカッチャンの死を知らされた。母もたまたまその日の朝おばさんから聞かされたのだった。葬儀は家族だけで済ませたと。カッチャンは心臓の病で今年1月末に倒れて入院し1ヶ月後に亡くなった。不思議と悲しみはない。涙もない。あったのは悔しさだけだ。オヤジさんと同じじゃないか。駄目じゃないか、カッチャン。僕とカッチャンの誰とも分かち合えない共通点。それはほぼ同じ年齢のときに父親を亡くしていたこと。二才年上のカッチャンは僕より二年早く、ほぼ同じ10代の一時期に父親を亡くしていた。親父が変な死にかたをしてちょっと我が家がバタバタしているときカッチャンはすすんで犬のタローを預かってくれたりもした。カッチャンの父親もカッチャンと同じ心臓の病で突然逝ってしまった。カッチャンも彼の父親と同じ46歳で逝ってしまった。偶然に決まっているし偶然だと信じたい。信じるしかない。神様の存在は信じるけどそいつはとんでもなく意地悪な奴に違いないと僕は思う。集団登校のときに僕が馬鹿をやらかしたとき。父親を亡くしたとき。スリーエフで成人向け雑誌をコソコソ買いに来たとき。カッチャンは「まあしょうがねえよ」と言った。いや言ってくれた。多分、僕のそばで僕と同じだった彼の言う「しょうがねえよ」だからこそ、下手をすると投げやりにも聞こえかねないその言葉は、いろいろなものを纏って、僕の心の奥まで響いたのだ。でも今の僕は「しょうがねえよ」の言葉ひとつで彼の死を受け入れることは出来ないし、若い頃の僕をいくらか救ってくれた「しょうがねえよ」は神にも救いにもなっていない。まだ。カッチャンの分まで生きようとはまったく思わない。人間一人が背負えるのは自分の人生だけだ。ただ、現実に起こってしまったことがなんであれ、それを受け入れられるまでは、とりあえず生きてみるしかない。それだけのことだ。カッチャンのお墓は小高い山にある墓地のいちばん上にあるそうだ。僕らの住んでいる町は木々に覆われた山に囲まれている。もはや何の祈りも後の祭りで役に立たないけれど、せめて彼の眠る場所から彼がいちばん長く過ごしたあのスリーエフの星のマークが木々の隙間から見えてほしい。その星が今は違う名前を冠していたとしても構わない。しょうがねえよ。(所要時間33分)