Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

不味いカレーライスは1秒見れば分かる。

カレーライスの呪いが解けない。家族にも秘密にしていたが、カレーライスを1秒見るだけで、美味しいか美味しくないかがわかってしまう、そんな呪いが僕にはかけられている。おかげで僕はカレーライスが出てきただけで、ガッカリすることがある。食べ物とは、経験からある程度の予想はつくけれども、実際に口に入れて食べてみて初めて味がわかるものであり、それが食べるという行為の楽しみである。確かに、見た目だけで美味いか不味いかわかる、というのは、不味いものを回避できるというメリットもあるけれども、食べるまで味がわからない、「見た目はアレだけど食べたらオイシー!」という楽しみが失われるデメリットの方が大きいのだ。インジェラやコシャリのように、数年に一度食べる機会があるかどうかの食べ物ならまだいい。だが、国民食ともいわれるカレーライスについてその楽しみが失われているのだから悲劇というほかない。僕だけがこのような理不尽な呪いにかかっているのは、不公平だ。なので、今日は特別に皆さんと呪いをシェアしたい。その呪いは「カレーのルウが全力でライスにかけられているカレーライスには気をつけろ」。これは、僕がかつてお世話になった大ベテラン給食営業マンから教えられたものだ。彼は給食営業40年のプロである。そういう人物が、「給食商売で絶対の法則はほとんどないが、これだけは数少ない絶対的な法則」と自信をもっていたのが「カレールウ・オン・ライスはヤバい」である。カレールウがライスの上に掛けられているのは、お米のクオリティが低いこと、前日のライスを再利用していることなどを隠蔽するためだと彼は断言した。つまりカレールウのビジュアルや香りや味でライスの低いクオリティをごまかしているというのだ。実際、彼に連れられていったカレールウ・オン・ライスなカレーライスを提供している学食で、カレールウと分別してお米のクオリティを確認すると、低いレベルのお米が使われていたのだ。同じ学食で提供されている、カレールウのかかっていいないA定食のライスは、平均的な品質のお米が使われていた。「見ろ。カレーが掛けられているカレーライスには気をつけろといった理由がわかったろ?」と念を押した彼の姿をよく覚えている。カレールウをライスにぶっかけて提供する理由はわかった。カレーライスは若者に人気がある。そこそこ美味しいし、なによりも安い。食堂経営は厳しいので、カレーライスのコストを下げよう、ライスに味の濃いカレールウをかけてしまえば多少質を下げても分からないだろう、と考えるのは筋が通っている。だが、僕のカレー人生を振りかえってみると、カレールウを別の容器に盛ってあるケースは当たり前として、ルウとライスを同じ皿に盛ってあるケースでも、ライスとルウはきっちり分別されているのがほとんどであった。ライスにカレールウがかけられているのは、家庭をのぞけば、ごく一部の店と学食と社食のカレーライスくらいだ。だが、カレールウがかけられているカレーライスはイマイチだよと根拠と共に示されて言われても、イマイチな味のカレーライスというものに遭遇した記憶がないのはどういうことだろうか。教えられた法則が間違っていないのなら、おそらく、ぜんぶ、美味しく食してきたのだろう。そもそも、カレーライスは不味くつくるほうが難しい、安心のメニューである。基本的には当たり外れの少ないメニューである。たとえばスキー場のイマイチな食堂でも「カレーだけは…」という安心感から僕はカレーライスを選んできた。カレールウがかけられたカレーライスも美味しく食べてきたはずだ。「カレールウ・オン・ライスはヤバい」という呪いは、そういうカレーへの絶大な安心感を破壊するものであった。呪いをかけられて以来、ライスにカレールウがオンしてるカレーライスを見ては「オンかよ…」とガッカリし、実際に食してどれだけ美味しくても「美味しいなー。でもお米の質は低いんだよな。僕のバカな舌がダマされているだけなんだよな。」とテンションが上がらないうえ、自分を卑下するばかりの自虐ランチタイムになってしまっている。人生の何割かを損している気がしてならない。(所要時間21分)