Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

あの夏、ダメになりかけていた僕は迷うことを決めた。

15年前、30才の夏、大卒で入った会社をただ何となく辞めた。辞める理由はなかった。会社員にとって、会社を辞めるというのは、そこそこ大きな決断だ。背中を押してくれるものが必要になる。それが成長のための新しい環境であったり、今勤めている会社では実現できない目標であったりするのだけれど、そういうものは一切なかった。勤めていた会社に大きな不満や問題はなかったのだ。だから、些細な問題をひとつひとつ取り上げて、会社を辞める理由を無理矢理こしらえなければならなかった。同僚たちに「え?そんなことで辞めるの?」という顔をされたので「個人的な問題ですから」といって誤魔化した。「それは逃げだ」と言われ、そんなことはない、と反論したけれど自分が敵前逃亡しているのは僕自身がいちばん分かっていた。

15年経った今でも、その会社に対して悪いイメージはない。当時の同僚とも数年に一度の頻度で酒を飲んでいる。あの夏、辞めなければ、今でもそこで働いている気がする。ただ、当時の僕からは、あの場所で、空いた穴ひとつひとつを丁寧に埋めていくような仕事をする根気が失われていたのも事実だ。理由はなかったけれども、疲れていたのだ。心も体も。

 会社を辞めたときには何もなかった。僕の手に残されたのは、数年間の会社員生活を送れば誰でも身に付く程度の社会常識くらいのもの。具体的な目標とか叶えたい夢があれば、何もないのを武器にして足を踏み出せるが、何もなかったので最初の一歩をどちら側へ踏み出せばいいのかさえわからなかった。踏み出す方向がわからない状態ははじめてだった。学校を卒業すれば次の学校があった。学校を終えれば就職があった。選択を迫られたときに、道がいくつかあり、消去法であれ何であれ、どれかを選べば迷うことはなかったのだ。何もなく辞めた僕にはその道がまったく見えなかった。会社を辞めたときの唯一の武器だった「なんとかなる」という根拠のない自信が、根拠の無さばかり増幅して不安へ姿を変えるのに、それほど時間は必要なかった。

近所の公園のベンチで煙草を吸いながら昼寝をした。パチスロで並ばない7にイライラして川に向かって石を投げた。太宰の「人間失格」を古本屋で買ってきて読んだ。誰かが見ているわけではないのに、誰かの目を意識して、将来に迷っているふりをした。このままではダメになる。自分の身の振り方をしっかり決めないといけない。わかっていたけれど、何も出来なかった。僕には何もなかったからだ。夢や希望。不満でさえも。そういったものがあればトライできたかもしれない。何もないは何も生み出さない。だから僕は迷っているふりをして、一歩を踏み出すまで、決断の期限を引き延ばそうとしていたのだ。

ハローワークからも、逃げ出してしまった。職員の人からは希望や職歴について質問をされて、正直に「希望はありません」と答えると、おいおい、という顔をされるのがムカついたし(当たり前だ)、職歴を答えたら前と同じような仕事へ導かれてしまうような気がしたからだ。そのとき僕は気づいた。自分の人生を決めてしまうことから僕は逃げたかったのだと。

30才。若い頃僕を追い立て、駆り立て、悩ませていた何かは既になくなっていた。それで僕は、迷うことが許されない年齢に足を踏み入れたと勝手に思い込んでいた。そんなことはなかった。勝手に自分で自分の人生を、そういうもの、と決めてしまっていた。生き方を決められないのではなく、決めてしまっていたのだ。何も決まっていないなら、それでいいじゃないか、そういうふうに考えて、前の会社とはまったく異なる食品業界に飛び込んだ。食品業界を希望して選んだのではなく、違う場所に行けば違う自分になれるかもしれないという希望を僕は選んだのだ。

スパっと決められる羨ましい素質を持っている人もいれば、なかなか決められない人もいる。そして迷いはネガティブにとらわれがちである。けれど、見方を変えれば、人生なんて迷いと決断の連続じゃないか。そして迷いのターンの方が決断のそれよりもずっと長いはずだ。だから迷ってもいい。全然いい。迷うことは生きることなのだから。僕は迷うことを決めたのだ。

あれから15年、あいかわらず迷いまくりだけれど、食品業界の端っこにまだ僕はいる。僕はこれからもおおいに迷い続けるだろう。あの夏、そう決めたんだよ。(所要時間26分)