Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

9/27発売フミコフミオ本『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』最終段階で泣く泣くカットした未収録エッセイを公開します。

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【速報】Amazon「胃・腸の医学」で位! 

9月27日という消費増税直前という最高のタイミングで、KADOKAWAさんより、現代における生きづらさに迫るエッセイ本『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』が発売されます。

内容は「会社」「仕事」「社会」「家族」といった人生の様々なシーンで普通の会社員である僕が「きっつー」と感じた生きづらさを探求して、それらをどうやりすごしてきたかを真空パックしたものだ。そこらへんにいる中小企業勤務のオッサンの悩みと解決なので、スーパー・ビジネスマンのそれよりは、皆さんにもウルトラ共感していただけると思う。 

今日は特別に未収録エッセイを大放出したい。KADOKAWAのエモい担当編集I氏と場末の居酒屋で飲んで「僕、16万字くらい書きますよ。余裕っす」「フミコ先生ありがとうございます!」と盛り上がった勢いそのままに、僕は17万字近くきっつーな文章を書き、校正もおこなった。ところが最終段階でI氏から「まことに申し訳ありませんが、文字数の関係で…」という大人の事情申出があり、最終の、最終の、最終段階でカットすることになったものだ、これを読んでいただき、少しでも『胃に穴』に興味を持っていただけたら嬉しい。

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未収録エッセイ①/失敗を恐れない人は勇気があるのではなくナメているだけでは?

PDF→失敗を恐れない人は勇気があるのではなくナメているだけでは?.pdf - Google ドライブ


「私は失敗を恐れない」は勇気があることを表している言葉だ。それが「バカだから失敗がわかりません」と言っているように聞こえるときもある。

 記憶が蘇る。

 「僕は怖くないぞ!」

 友達が大きな声をあげて、空気の抜けた自転車で公園から路地への下り階段を降りようとしている。「ケガするって」「危ないからやめろ」周囲の声に「大丈夫だって!見ていろ!」と言い返し、そのまま自転車で下り階段に突っ込んでいった彼は、二、三段下ったところで、がくっとハンドルを取られ、ガラガラドチャーン! と落ちていった。足が空に、頭が地面に、一回転して落ちていって、動かなくなった。

 「死んだ?」

 張り詰める空気。死んだ人間は生き返らない。仕方がない。諦めよう。今日という日を胸に刻んで生き残った僕らは強く生きよう。彼のぶんまで立派な大人になろう。
彼は生きていた。擦り傷だらけになった彼は「すげえだろ」と己の勇気を誇っていた。

 

これは勇気ではない。蛮勇である。バカとも言う。周囲を巻き込まないなら蛮勇はたいへん結構。血を流している蛮勇君を放っておくわけにもいかないので、彼の自宅まで送り届けた。僕らは彼のお母さんから「友達なのに、なんで危ないことをしようとしているのを止めないの!」と叱責された。そのとき「トンビはトンビしか産まないのだなあ」と思ったのをつい昨日の出来事のように覚えている。

 

それ以来、「失敗を恐れない」という蛮勇族が現れると、パブロフの犬のように警戒するようになってしまった。

「失敗を恐れない」蛮勇族を警戒する僕みたいな人間もいる一方、「失敗を恐れない」というフレーズが魅力的に映る人もいる。新進気鋭の実業家が「私はね。過去の前例や常識にはとらわれない。失敗を恐れたりはしない。失敗は成功の母だからね。ははは」とインタビューで答える。すると疑うことを知らないピュアな若者はその言葉をそのまま真に受けて「すげえ。かっこいい。俺も失敗を恐れずに挑戦するぞー」と進んで失敗に突き進んでいって滅亡するのだ。

成功者の「失敗を恐れない」は、失敗を恐れていないわけではない。あらゆる失敗を想定し、対応策を講じたうえで、ようやく恐れなくなったという表明である。常識的に考えて、失敗を予想せずに自転車で階段を下って傷だらけになった蛮勇君が成功するわけがない。もし蛮勇君が起業しても、「痛みは痛いと思うから痛いのです。痛いと言っている余裕があるなら、お客様に笑顔を向けましょう」なんて言うようなブラック会社の代表になるのが関の山だろう。


失敗を恐れないは、失敗を軽く考えることではない。「失敗は成功の母」「失敗を糧にしよう」みたいなフレーズがとても軽く扱われていて怖い。失敗ナメすぎ。千の成功を積み上げても、たった一度の失敗ですべてが無になることがあるからだ。社会には他人の失敗をいつまでも覚えているヒマ人がいて、執拗に「あんたあのとき失敗したじゃないか」と言ってくる。

 

以前勤めていた会社で同僚だったクボ君は、大変気さくな好人物で、近い年代の人たちからは「クボちゃん」「クボッチ」と呼ばれて親しまれていた。その親しみは、彼生来の愛すべき、そそっかしさや忘れっぽさから来ていた。「まーた、クボちゃんかよー」「しっかりしろよ。クボッチ」という声を何回耳にしただろう。クボ君は、上司からよく叱られていた。仕事をするうえで、そこだけはミスったり忘れたりしちゃいけないポイント。そこさえ押さえておけばオッケー、あとは何とかなる、そういうポイント。クボ君はそういうポイントをしっかりスルーしていた。

 

「あのさー。何度同じことを言わせるんだよ!」
「すみません。この失敗は次に活かします」
「キミねえ。毎回、毎回、そう言っているけど、いつ活かされるのよ。え? いつ!」

 

クボ君はこんな感じで上司にヤラれていた。失敗の印象は強い。こうしてクボ君の失敗を語っている僕も、クボ君イコール失敗の印象が強くて、そこから逃れられない。クボ君は確かに失敗が多かったけれど、失敗よりもずっと多くの成功があったはず。


キツいのは、失敗はなかなか忘れてもらえないこと。どんな小さな失敗でもずっと影のように自分を追ってくることだ。

 

仕事のうえでの成功のほとんどは、誰からも褒められることのない小さな実績だ。否応なく叱責を受ける失敗のほうが目立ってしまう。クボ君はたくさんの成功を積み上げていた。だけどクボ君の時々の失敗がそれらを無にした。成功の価値は失敗によって減じられてはならない。成功はその成功をもって評価されなければならない。

 

それは理想。残念ながら人間はそこまで綺麗に割り切って考えられない。

 

現実は、ひとつの失敗によって数多くの成功はなかったことにされている。一度の失敗で出世街道から外されてしまった有能な人材を、これまで何人も見てきた。クボ君とは10年以上も会っていないけれど、彼の積み重ねてきた失敗が糧になって、今は大きな花を咲かせていると信じたい。

 

今、僕は失敗を恐れる中年。守らなければならないものが出来たから失敗を恐れているのではない。成功以上に失敗を重く見るようになったのだ。加えて、経験を重ねてあらゆる失敗を予測できるようになった。予測できる失敗は回避できる。予想されている失敗に突き進んでいくのは、蛮勇君のようなバカだけでいい。

 

「僕はどうしても失敗したい。自分の武勇伝にしたい」という奇特な方には、失敗するのなら若いうちにしておくことをおすすめしたい。突然のリストラ。熟年離婚。莫大な借金。こういう失敗は、中年になってからではガチで取り返しがつかない。こうした失敗をしないためには、どうすればいいのか。簡単である。何もしなければいい。皆さんの会社にもいないだろうか。肩書や役職もなく、ただボーッとしている先輩社員。積極的に動かず、あらゆるものに無関心、無気力のスタンスを周知させて「あの人は仕事できないから……」「あの人に仕事を任せると、いいかげんなことをして頼んだこちらの責任が問われる」と思われるようにするのである。誰でもできる、責任の問われないどうでもいい仕事のみを粛々とこなすだけの日々。一度の失敗が人生を破壊する恐怖がこうした人間を生むのだ。

 

失敗は失敗。殺人や強盗のような犯罪でないのに許されなさすぎだ。これからは失敗が許される世の中になればいい。あらゆる組織で残機制度を導入してはいかがだろうか。失敗するごとに残機は一機ずつ減っていくが、残機ゼロになるまでは責任を問われない。手柄を立てたら1UPキノコ。人事担当の方に残機制度の導入を真剣に検討していただけたら幸いである。

 

家庭のほうがデンジャラス。会社など、家庭に比べればイージーモードである。会社で失敗して上司から詰められるのがきつかったら辞めてしまえばいい。だが家庭は逃げ場所がない。家庭から逃げても慰謝料や養育費が地獄の果てまで追ってくる。尻の毛まで抜かれる。奥様という名の秘密警察は失敗を見逃さない。情状酌量もない。

 

小さなしくじりも大きなしくじりも等しく重罪。奥様警察には賄賂も役に立たない。
「ささ、どうぞ」と賄賂を菓子折りの箱に入れて渡せば、「この金はどこから調達したの! なぜ生活費に入れないの!」と別の罪名がアドオンされるだけである。

 

外出時にトイレの消灯を忘れれば「やっぱりあなたはダメだ。失敗ばかりの出来損ない人間だ。どうして何度言ってもわからないのだろう。バカなのだろうか。こんなバカと結婚した私がバカだった。私の人生を返してほしい。ああ、佐藤健君と人生をやり直したい!」といい、これまで地味に積み上げてきた功績が全否定。前日、特上カルビをご馳走しても胃袋で消化されてしまえば、無意味。家庭においては「失敗を恐れない」などという甘い理屈は通じない。もし、あなたが「僕は失敗を恐れない」と口に出来る家庭をお持ちならば、それは素晴らしく贅沢な人生を送っているか、妄想だと思うよ。

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 ちなみに掲載イメージはこんな感じ。文字多めのストロングスタイルで勝負です。

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では、よろしく。