Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「相手の心に爪痕を残す話術」を部下に教わった。

長年取引のある顧客から紹介案件の話をいただいた。大変ありがたい。既に構築された顧客の信頼にベースに話を進められるのは大きい。確実に担当者や決定権者に会えるのからだ。一般的な新規開発営業に比べれば難易度はずっと低い。話を持ってきた事業部から引き継ぎ、ルート君にアポを取りを命じた。ルート君は「前職のルート営業経験を活かしたい」という本人の希望で、今月から我が営業に異動してきた若手のホープだ。前の部署での評価は上々で、黒縁眼鏡が真面目そうな印象を与えてはいるが、どういう人物かは詳しく知らない。すでに紹介されている相手にアポを取るだけのイージーな仕事だから来たばかりの彼にちょうどいいだろう。そういう目算。頼んだ日のうちにルート君から「アポが取れました」と報告を受けた。楽勝の仕事であった。

翌日状況一変。紹介してくれた顧客から怒りの電話が入ったのだ。「オタクの営業が妙に馴れ馴れしい態度で電話を入れたらしいじゃないか!」というクレームであった。ボスの耳にも入ってしまう。「電話だけで出入り禁止になるなんて聞いたことないぞ!」御意。僕も聞いたことがございません。ルート君にヒアリング。すると彼は「何もしてません。アポを取っただけです。アポを取るだけでクレームが入りますか?何かの間違いではないですか」と弁解し、「そうだよなー間違いだよなー」と僕も同意。事実、間違いであった。彼に任せたのは完全な間違いであった。なぜ、僕は「彼を育てなければいけませんから」と薄気味悪い上司面をして連れて行ってしまったのだろう?「君ひとりで行け」と言ったボスが結果的には正しかった。

ルート君と紹介された会社を訪れた。「いいか。商談は僕がするから君は相槌を打っていればよろしい」「わかりました」。内線で相手を呼び出す。「お待ちください」の声に「嗚呼、アポ取りは正確だった」と安堵する。談話室で対応してくれたのは取締役であった。若い。30代か。物凄いやり手感。長年の営業経験が警報を出している。傍らにいるルート君に「気を付けろ」というメッセージを込めた視線を向ける。彼は不敵な笑みを浮かべていた。やるじゃないか。これがルート営業で培った度胸か。

商談は順調であった。挨拶&名刺交換。最近のニュース。紹介元での事業展開。取締役の前向きな言葉。そのときである。ポキポキ!突然、異音が鳴り響いた。何の音だ。目の前の取締役が顔色ひとつ変えていないことから、この事業所内で発生するノイズだと判断してスルー。取締役の胸には安全を意味する緑の十字マークがあった。この場の安全を司る神に「ここヤバくないすか」と言えるだろうか。言えない言えない言えない。

ポキポキを気にしながら商談を進める。ポキ。ウチの会社のストロングポイント。ポキ現在の相手の概況、ポキ、悩み、ポキ、要望をざっくりヒアリング。ポキポキポキポキ!。怖すぎる。動揺を押し殺しつつ、営業マンの本能で話をまとめていく。沈み行くタイタニックで讃美歌「主よ、御許に近づかん」の演奏をやめなかった楽団と己を重ねる。プロの仕事だ。対峙する取締役もプロであった。ポキポキに動じる素振りはない。「では今回の面談をきっかけに前向きに話を進めていきましょう」「よろしくお願いいたします。では」つって傍らのルート君に帰るサインを送ろうとして視線を向けた瞬間である、テーブルの下で組んだルート君の手のひらからポキポキポキポキ!という音がした。鳴っていたのはお前かよ!取締役の不信感とポキポキの狭間で血圧が上がる。パワハラにならない程度の強さでルート君の足を蹴った。彼はなぜ蹴られているのかわからないという顔をしながら指をポキポキ鳴らした。こいつ…。まさか電話でポキりながらアポを取ったのか?

僕の思考を遮るように取締役が声をかけてきた。「このあとはどちらに行かれるのですか?」完璧な社交辞令。こういう場合「ええ、ちょっと近隣の事業所に寄っていきます」「2件ほどお客様とアポがありまして」などといって仕事をしている感、ここだけじゃないよアッピールをしておけばよろしい。具体的に話すアホはいない。ここにいた。ルート君はポキポキ指を鳴らすと「極楽食品株式会社人材サポート室長のムロタさんと2時にお会いして納品している商品の値上げを打診する予定です」と極めて具体的に答えた。極秘事項やぞそれ。直後にまたポキポキ!

取締役はやり手であった。度重なる指ポキに穏やかな表情を崩さずに「お車ですか?」と話を合わせてくれた。ルート君「車です(ポキポキ!)」取締役「極楽食品なら正門を出て東へ向かえば一般道で行けますよ」「高速で行きます(ポキポキ!)」「高速でしたら西ですね」ポキポキやめてー。「方角だとわかりにくいですね、正門を出て右ですか左ですか(ポキポキ!)」「右ですね。二つ目の信号を左折です」「右に左ですね!あーナビ通りですね、わかりました!(ポキポキ)」やめろー。「ではこのへんで失礼したします」僕は声を絞り出してアホな会話を遮ってその場を後にした。

帰りの車。助手席から指ポキポキを注意しようとしたらルート君が機先を制して「うまくいきましたね」と言ってきた。「どこが?」「次に繋がりました」「当たり前だろ。相手も紹介元に恥をかかすわけにはいかないから無下にはしないよ。つかあれは何のつもり?」「何です」「指ポキ」「すみません。緊張すると無意識にやっちゃいます」ポキポキ。注意したそばから鳴ってるぞ。「蹴りで注意したぞ」「相槌になってませんか?」ポキポキが相槌。ウソーン。「あとさ、最後の左右のやり取りは何?お客さんは友達じゃないんだぞ。ナビ使えばいいだろ」すると彼は「フレンドリーに話をしておいたほうが今後の商談が円滑に進むと思いまして。部長のやり方は少し型どおりすぎると自分は思いました」と言ったのである。アポを取る際も、高速を下りてからの道順を、間違いがあってはいけないからといって、事細かに聞いたとのこと。ウザすぎる。

「とりあえず君にはこの案件は外れてもらうから」と通告した。ルート君はハンドルを握りながら器用にポキポキ!と鳴らすと「私の案件を横取りするつもりですか?」と怒りを隠せない様子であった。それから彼は「イヤです。今日の面談で爪痕を残したのは、部長じゃなくて私ですからね」と言い放った。きっつー。「爪痕じゃなくてただの傷跡だろ」と言い返す気持ちは激しいポキポキ音で萎えてしまった。それから数日経ったけれども、今も僕の頭の中では、あの、乾いたポキポキ音が鳴り響いている。(所要時間36分)

こういう逆境を乗り越えるための、会社員による会社員のための会社員の生き方本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。