午後2時。急に強くなった雨を避けるために入ったバーミヤン。隣のテーブルにやって来たスーツ姿のおばはん二人組が4人掛け席なのに並んで座ったとき僕が感じた違和感は、数分後にやってきたジャージ姿のおばはんが、二人の前に座ったときに解消された。営業マンの勘で保険のセールスと察知した僕は、急速におばはんトリオへの興味を失い、コーヒーを飲みながらパソコンでの事務作業に集中した。
「え!仕事の話は!」突然大きな声がした。強い口調だ。後からきたジャージおばはんだ。僕が体を起こして横目で見ると、ジャージおばはんは困惑したような表情を浮かべていた。スーツおばはんズの声に動じる様子はなかった。余裕があった。生保セールスの交渉決裂か…。僕がふたたび興味を失うと、「救済なのよ」「え?何」「救済なのよ奥さん」「もう共済には入っているから」「救済」「共済」と微妙に噛みあっていない会話が聞こえてきた。勘弁してくれ。3月の実績数が全然頭に入ってこないぞ!
しばらくするとおばはんトリオは少々興奮したのだろうね、声量があがってきた。仕事にならねえ。「奥さん、困ったときはどうするの?」「どうするの?」おばはんズが煽るように質問をすると「旦那が助けてくれるから」「貯金はあるから」とジャージおばはんが切り返す。生保のセールスにしてはおかしい。もしかして損保か。営業マンの勘外れたり。
「奥さん病院に入れなくなったらどうするの?」「どうするの?」というおばはんズに「それはいいから仕事の話してよ」と苛立ちを隠そうとしないジャージおばはん。病院…やはり生保の勧誘か…三たび興味を失うと「奥さん、気づいていないだけで運をつかっているのよ」とおばさんズのスピリチュアル寄りの言葉に心がザワつく。「ちょっと待って、この間のあの人にもこの話をしたの」と詰め寄るジャージ。「したわよ奥さん」と待ってました感全開のおばはんズ。この話ってなんなんだよ。あの人って誰だよ。
「なぜ、これが仕事につながっているの?」「奥さん聞いて。これからとても大事な話をするから、まずは聞いて」とおばさんズ1号が言うと、相槌要員の2号がバッグからカラーの新聞のような資料をテーブルにひろげて声をあげて読みはじめた。仕事って何だ。僕は置いてきぼりになりかけていた。そのとき、僕の気配に気づいた1号が僕の方を見た。警戒するような目。プロの仕草。営業マンの勘で、エイリアンに拉致られるような危機を察知した僕は、すっと立ち上がりドリンクバーへ歩いていった。ドリンクバーからでもおばはんトリオのテーブルは不穏な雰囲気を醸し出していた。
席に戻った。トリオはエキサイトしていた。テーブルの新聞には青空の写真が掲載されているように見えた。「これは何なの」ジャージおばはんがおばはんズの話を遮って言った。「もしかして●●●?」薄々僕が思っていたことをジャージおばはんが代弁してくれた。しかしおばはんズは負けない。「奥さん、これを最後まで聞いて。困っていても、みんなこれでうまくいくの。これがあるから仕事がうまくいくの」と言い返した。そして説明を続けた。
説明が終わった。「奥さんどう?」とおばはんズが言った。なぜ自信ありげなのか。隣にいた僕でも分からなかった。「だ~か~ら●●●はいいから、はやく仕事の話をしてよ」とジャージおばはんも負けない。信じない者の強さを感じた。おばはんズが言い返す。「奥さん、コロナウイルスが流行るとね。病院に入れなくなるの。みんな家にいなきゃいけなくなるの。食べ物がなくなって、戦争が起こるの。でもこれが生活にあればひとりひとりが幸せになれて戦争は起こらないの」
僕は日本版イマジン爆誕の瞬間に立ち会っている気がしてきた。おばはんズの言葉に感銘を受けたのかジャージおばはん沈黙。「奥さん、これが仕事に必要なものなの。一緒にやりましょう」とおばはんズは念を押すように言った。慈しみのある声色だった。
「で、何がしたいの。仕事は?●●●の話はいいから」とジャージおばはん。響いていない。強すぎる。「奥さん、これがあれば仕事も生活もぜんぶうまくいくの」とおばはんズが諭そうとするのを遮ってジャージおばはんは「●●●には入らないから。仕事はどこいったのよ!自分のぶんは支払うから金輪際連絡しないでサヨナラ」と言って立ち去ってしまった。
ジャージおばはんが立ち去ってしまうと重い沈黙が残った。何となく気まずさを覚えた僕は自分の仕事に戻った。しばらくして横から「すぐに連絡しましょう」「私はあちらに連絡を入れます」という不穏な声が聞こえた。横目でみるとおばはんズ二人はスマホを駆使してあちらこちらに連絡を入れているのが見えた。にーげーてー!僕はジャージおばはんが●●●の包囲網から逃げられるよう、軽めに祈っておいた。
今みたいな厳しい状況下でも、おばはんたちのように人はたくましく、強く、そして相変わらず生きている。●●●は今の状況を利用して伸びようとしている。そんな人間の強さに僕は心震えた。彼女たちが口にしていた「仕事」が何だったのか謎のままなのは少々気がかりではなるが、人間の強さを知ることが出来て良かった。明日と人間の強さを信じれば、生きていける。僕はそう思うよ。(所要時間31分 ●●●は想像にお任せいたします)