Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

敗北事業を黒字化させたら上層部からイヤな顔をされました。

「たいしたことないですよ」謙遜のつもりの言葉が、屈辱の言葉になってはねかえってきて、今も僕の心を苛んでいる。

10月中旬。冷凍おせち事業の担当者が体調不良で倒れた。後任選びは難航。なぜなら一昨年、昨年と2年連続でおせち事業は数値目標を達成できず、社内で問題になったのを、部課長クラスなら誰でも知っていて、かつ、今シーズンも担当者が倒れた時点では芳しいものではなかったからだ。進んで手をあげるのは馬鹿であった。しかし、僕が代理として任されることになった。馬鹿ではない。部門長会議における一部上層部の計略で任されることになってしまったのだ。「これまでの方法ではうまくいかない。法人向け営業に長けた営業部の血を入れて販売を抜本的に変える」が表向きの理由。「うまくいかない事業を押し付けたい。失脚させたい」が真の理由であった。

家庭用おせちのセールス経験ナシ。前年までのノウハウ(販路)は当てにならない。予算もない。時間もない。ないない状況なので、自分に出来ることをやっていこうと腹を決めて、これまで培ってきた取引先や見込み客に売り込んでポスターと申込用紙を置かせてもらった。おせち事業を担当していた部門は、小売店と代理店を介した通販に活路を見出していたけれども、僕は新たに販路をつくるほうがまだ可能性があると踏んだのだ。

結果的に家庭用おせち事業は前年実績を越えるどころか、目標を大きくクリアすることになった。新たな販路も寄与したけれども、昨年までとは需要が大きく変化したことが大きい。新型コロナ感染拡大からの家庭用おせちブームである。

12月中旬。部門長レベルの会議で家庭用おせち事業の報告をした。端的にいえば「目標を達成して大フィーバー状態。ゼッコーチョー!」と報告した。すると僕に押し付けた上層部が「ブームに乗っただけじゃないか。キミの実力ではない。誰でもできる」と辛辣な評価を下した。それで終わればよかった。上層部は「本来、営業部は専門外。ここからは専門の部門にやってもらったほうがいいだろう。お疲れ様」と続けた。勝ちが見えたので横取りである。確かにブームとトレンドに乗っただけで、何もしていないと言われても仕方がない側面はある。

だが、控えめにいってクソすぎた。家庭用おせちが専門外であるのは否定できない事実。これから年末にかけて数字を伸ばしていける自信もない。経験もない。上層部は「おつかれさん。あとは任せてくれ」「ここからはブームに乗って誰でもできるから」「もっと数字を伸ばしてみせるよ」などとふざけたことを言っている。もうダメだ。面倒くさい。もういいや。とヤケクソになったときである。社長が口を開いた。

「いや、ここまで事業が順調なのは彼のおかげだよ」空気一変。社長は「ブームに乗ったのかもしれないけれど、ブームに乗る運も才能」と切り出すと、上層部を睨んで「そこまで言うなら、担当者が倒れたときに自分が手をあげてやれば良かったじゃないか」と続けた。圧倒的援護射撃。おせち事業を僕から奪おうとしていた人たちの勢いは完全に鎮火。上層部は「社長が仰るなら…」と悔しさを隠しきれない様子であった。

「たいしたことはしてませんよ」僕は社長に言った。謙遜であった。自負もあった。上層部へのザマミロ感等いろいろあった。社長はすべて承知しているといった感じで「たいしたことはなかっただろう」と労いの言葉をくれた。「キミの能力があればこれくらいは余裕だろう」という意味の、たいしたことない、であった。称賛の意味もあった。いえいえ本当にたいしたことないですよ。運が良かっただけですよ。運も味方のうちだよ。と社長とイチャついていると、失脚カウントダウンを恐れた上層部が話に割り込んできた。「いやあ、本当にたいしたことないよ。」「たいしたことない。この勢いで続けて頼む。勢いだけでいけるよ」などと、社長に話を合わせているようで、巧妙に僕のことをたいしたことのない奴と馬鹿にしていた。
こうして三者三様の「たいしたことない」が三国志の魏・呉・蜀のごとく微妙なバランスで成立した。僕はいつか滅ぼされるのか、奇跡の全国統一を果たすのか。一番可能性が高いのは社長国の属国で在り続けることだけれども、属国には属国のプライドがある。なお件の家庭用おせちは本日予約上限数をクリア。上層部の歯ぎしりが聞こえるようだ。ざまあ。(所要時間21分)

このような社会人日記満載の本を去年出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。