Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「ご家族は?」という医者の言葉に声を失った。

診察室でお医者様から「ご家族は?」と言われて、僕は思わず天を仰いだ。そこには白く輝く天国のかわりに無機質な白い天井があった。

事件は冬らしい寒い朝に起こった。目が覚めたら口から血を吐いていた。血のついた寝具が現実のものと思えなかったけれども、身体を貫くような痛みがかろうじて僕を現実につなぎとめていた。「はやく病院へ!」いつもは冷静な奥様に促されて病院へ向かう。奥様は言ってはいけない言葉を吐き出さないよう、両の掌で口を押さえていた。痛みは、少し休んでいるうちに、耐えられる程度までやわらいできたので、119に頼らず徒歩10分の病院へ。背筋を伸ばせないので前傾姿勢。「ハアハア」息を吐きながら歩く姿は変態そのものだったと思う。受付。待機。診察。

診察を終えると、お医者様から「どうしてこうなるまで放置していたのですか」と詰問された。理由なんてない。肩をすくめた。症状をたずねると「希望する患者さんには手術をしますが…今はいい薬がありますから」という煮え切らない回答。手術はすすめられなかった。手遅れなのか。ダメなのか。自分のカラダに何が起きているのか。そんな僕の不安を察知して「うまくつきあっていきましょう」「あきらめることはありませんよ」「今はいい薬がありますから」と不安を増大させるフレーズを続けるドクター。僕は「ノーモー悩み無用!!あなたの髪 きっと生えてくる~」という多くの人を絶望から救出した古いCMを思い浮かべて己を奮い立たせた。起きてしまったことに絶望するよりも、それを壁に見立てて越えていこう。その連続が人生だ。できれば壁は低いほうがいい。低ければ低い壁のほうが越えるとき楽でいい。僕は壁が低いものであるよう祈る。高い壁を登って越えたときに快感を覚えるのはある種のマゾだろう。

「ご家族は?」とお医者様がたずねたのは、そのあとだった。その質問が生保のおばちゃんの口からであれば、家族構成への質問になるが、医療関係者の口からであれば、「今、ご家族はどこで何をしているか」という意味になる。僕は今朝の家族の姿、口を覆い隠していた奥様の姿を思い浮かべて素直に答えた。「家族は…」声がつかえる。言いにくい。僕は勇気を総動員して告白した。「家族は笑っていました。大爆笑です」「でしょうね」と彼の頬が緩んだ。

僕は痔だ。どこへ出しても恥ずかしくない痔だ。就寝中に下の口から出血、違和感を覚えて目を覚まして、患部に触れて血まみれになった手をみて「なんじゃこりゃ~」と絶叫したのだ。奥様から寄贈された生理用ナプキンを患部にあてて前傾姿勢ハアハア脂汗を流しながら涙目で肛門科へ向かおうとする、まもなく47歳になる男など笑いの対象でしかない。いや笑ってくれ。真顔とかありえない。大爆笑大正解。繰り返す。僕は痔だ。きれ、いぼ、あな。どのタイプの痔に該当するのかはあえて言わない。ご想像にお任せする。人様に尻をオープンしてプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。そのうえ「○○痔でした」なんて言えない。これ以上引き裂かれたらプライドと尻がもたないよ。(所要時間21分)

このようなエッセイをまとめた本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。