Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「読みたいもの」は書かないほうがいい。

「読みたいもの」を書くことは、おすすめしない。読みたいものを意識することは、書くうえで邪魔になりうるからだ。

なぜなら「読みたいものを書こう」と言われれば、世に出ていない未来の傑作ではなく、「誰々のあの作品」と具体的な作品を思い浮かべてしまうからだ。僕ならばナボコフの「ロリータ」やヘミングウェイの短編、最近の作品だと「鬼滅の刃」を思い浮かべる。どれも卓越した素晴らしい作品であることに異論はないだろう。

だが、これらはすべて、過去に誰かの手によって生み出されたもの。「ああいう作品をものにしたい」と憧れるのは大いに結構。だが、「読みたいもの」を意識して、過去に縛られることはない。むしろ、できる限り「読みたいもの」から自由になって、書きたいものと向き合うようにするべきだ。たとえどんなに偉大な作品であってもそれは過去のものなのだ。

「読みたいもの」は、優れた文章であり、憧れの対象。三島由紀夫のような文章に憧れて目指すのは大変結構だ。だが、文章を書くときは、可能な限り意識から排除しよう。「三島のような文章を書きたい」という気持ちが強すぎれば強すぎるほど、自分の言葉への変換から純粋さを失わせるノイズになる。「自分ならこうやって書くけれども、三島はこんなの書かないよな」というバイアス(先入観・思い込み)がかかってしまったら、最悪である。

「読みたいもの=評価した文章」は、わざわざ意識して思い浮かべなくても、すでにあなたの血肉になっている。影響下にある。だから遠ざけて、忘れてしまうくらいの意識と距離感で付き合うくらいでちょうどいいのである。

仕事や研究など生活においても、憧れの存在や目標があったら、すでにその影響下にあるのでわざわざ意識する必要はない。過剰に意識することで憧れの人のモノマネになってしまう。あなたの人生はあなただけのものである。前例のない、完全オリジナルな、自分だけの人生を生きよう。

書くときに、読みたいものを意識しない。読みたいもの、憧れの文章は、北極星のように、はるか遠くにあって、僕らを導いてくれる存在なのだ。僕らは読みたいものから、もっと自由になって、書きたいものを書くべきだし、そう生きるべきだろう。

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この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される『神・文章術』からの先出しです。