Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

採用面接で「これは圧迫面接に該当します」と指摘されて心が死にかけた。

就職求人市場は、需要状況によって「売り手市場」「買い手市場」と呼ばれる。今は売り手市場であるらしい。売り手市場であれ、買い手市場であれ、そのときどきにおいて優位に立った者が優位にある立場を利用して強者のふるまいとする…僕が新卒の頃、平成一桁台は今ほどコンプライアンスもなく、買い手市場であったため、それはまあ酷い目にあったものだ。そんな薄汚れた下水のような世の中で、せめて己が面接官としてかかわる面接において、自分だけはドブネズミみたいに美しくありたいと心に決めている。

美しくあり続けることを試されるような試練が続いている。

第壱話 出ない、電話

初冬。営業職企画職の欠員補充のための中途採用に応じて「業種や仕事について担当者と実際にあって話を聞いてみたい」という問い合わせがあった。20代女性。アメリカ暮らしの長い帰国子女。ただし、現在勤務しているため特定の平日夕方6時から職場近くで話を聞かせてほしいという要望アリ。「それがかなわないならこの話はなかったことにしてくれ」と売り手市場らしい強気な発言もあった。不利な立場にある僕と人事担当は、その要望に応じて、指定された場所と時間にDon't be lateという強い気持ちをもって待機していた。売り手市場の厳しい状況下で我々の出した求人に対する反応が薄かったからである。

都内の巨大ターミナル駅。夕方。人の多い時間帯。僕は人事担当とオッサン二人で待っていたが、約束の時間が迫っても相手は現れなかった。
「最近の若い人は時間ぴったりに来るから」「我々の時代では考えられませんけどなー」と余裕の態度で若者を待っていると待ち合わせの時間ぴったりに人事担当の携帯に着信があった。「2人ともグレーのコート。七三とテンパー」スマートフォンを耳に当てて彼は言った。73と10%。我々が立ち尽くしているポイントの詳細を伝えるために、ここの番地と降水確率を教えたのだろうか。

《慌てずに来てくださいね》《多少遅れてもオッケーだから》弱い立場特有の卑屈さのチラつく言葉を吐いたあとで人事担当は「近くまで来ているが人が多すぎてどこにいるのかわからない。二人の格好と特徴を教えてくれとのことです」と説明した。七三分けと天然パーマ。僕は頭髪を分けているつもりはないが、天パーの人事担当は分け目という概念が欠損しているらしく、七三分けに見えるようだ。人間は自分の持っていないもの、経験したことのないものを理解できない。見た目の特徴を誤って伝えることがランデブーの失敗に直結することがテレクラ経験のない彼にはわからない。嫌な予感がした。

そして悪い予感は的中する。1時間近く待たされた挙句、面接希望者は現れなかったのだ。電話には出なかった。待ち合わせ相手の容姿を遠方から視認してドタキャンをするとは。ルッキズムかよ。確かに僕らは目の下のクマを隠しきれない疲れ切ったオッサンではあるけれどドタキャンはきっつー。ネット恋愛で盛り上がって実際に会うことになり「あなたの姿を事前に確認したいから画像送ってー」という声に応じた途端、音信普通を喰らうオッサンの気持ちが少しだけわかった気がした。これが売り手市場…。こんな薄汚い世界でも自分だけは強くありたいと思った。なにより人間を信じたかった。人間の美しい魂とやらを。

第弐話 プレゼンの価値は

このような出来事があったために、プレゼン君との面接は僕にとってとても美しい経験になった。プレゼン君。その名からは想像しにくいと推測されるので説明させていただくと、彼は、面接において、実に感動的かつ印象的なプレゼンをおこなったのである。我々がプレゼンを求めたのではない。求められていないプレゼンを、彼は自発的に、プレゼンをすることが、まるで10年前から定められていたいたかのように、ごく自然におこなったのだ。もし、買い手市場であったら「悪いねー。意気込みは分かるけれど面接希望者が廊下で20人ほど待っているので手短にお願いできるかな。できたら3秒くらいで」といってプレゼンを遮っただろう。だが、時はまさに売り手市場。扉の向こうに面接者はいない。プレゼン君のプレゼンを拝聴する以外に我々には選択肢はなかった。

掛け値なしで素晴らしいプレゼンだった。大昔に蒸発した仕事に対する情熱とやらを取り戻せそうな気がした。彼は冒頭で5分ほどかけて「当社にどれだけ惚れ込んでいるのか」についてたっぷりと話したあとで「当社でやりたいこと」を熱く語りだした。培ってきた経験を活かして私なら御社の仕事のありかたをブラッシュアップできます。新たに事業を立ち上げて軌道に乗せた経験のある私なら新規事業をゼロから立ち上げられます。もちろんグローバルにビジネスをしてきた私なら残念ながら関東一円の猫の額ほどの狭いエリアで展開している既存事業を全国展開させられます。

私なら。私なら。私なら。売り手市場の勢いにまかせた《私ならラッシュ》に僕と人事担当はノックアウト寸前になった。大言壮語ではなかった。極めて客観的にウチの会社が抱えている問題をとらえ、それに対する現実的な解決策を打ち出した内容であった。彼の「私は風を起こします」というキメ台詞を喰らったときはマジで失神するかと…。

プレゼン君のプレゼンは裏を返せば「現在会社で働いているあなたたちは、私と比較すると能力的に問題を抱えているうえ、無駄に積み重ねてきたクソのような経験で身動きがとれなくなっている。それゆえ私のような高性能かつ柔軟な発想をもった人間と同じレベルで仕事ができない」と言っているようなものである。もし今現在2023年が買い手市場であったなら強気に「現在働いている私たちにはキミほどの能力がないとでもいうのかね?」と指摘するところであったが、現実の2023年は新卒の給与アゲアゲの売り手市場。とても言える状況ではなかった。

正直にいってプレゼン君はどこに出しても恥ずかしくないほど全方位的な好青年であり同時に有能なビジネスマンであった。彼の実績と能力はぜひ当社の一員として働いてもらいたい、とつい口にしてしまうほどであった。面接の終わりに僕は思わず感謝の言葉を口にしていた。「そこまで真剣に当社のことを考えてくれてありがとう」と。一緒に働きたいと心の底から思ったのだ。翌日、プレゼン君に内定の連絡を入れた。電話の先で彼は「本当ですか。信じられない。応募して本当に良かったです」とシャイな感じで謝意を伝えてきた。そして彼の希望する待遇に経験と実績を加味して上乗せした条件を提示すると「そんなに!本当にありがとうございます。会社から、皆さんからの期待に応じられるように頑張ります」と喜びをこらえきれない!というような口調で述べた。嘘みたいだろ。その数日後に「辞退します。他社に決めました」と棒読みで彼は辞退してきたんだぜ…。きっつー。

第参話 せめて、求職者らしく

プレゼン君ショックの傷が癒えないうちに次の応募者があらわれ、面接をすることになった。営業職希望の男性。30代。期待しすぎると裏切られたときのダメージが大きいことを学んだ僕と人事担当は、粛々と面接をすすめることにした。最初に簡単な挨拶と自己紹介をしたあと、人事担当が「では最初にお名前をお願いします」とうながした直後、事件が起こった。

30代男性は「氏名は履歴書に記載されているはずです。記載されていることをあらためて言わせるのですか。緊張感のなかで分かっていることをあえて言わせる行為、これは圧迫面接に該当しませんか。問題になりませんか?」と言ったのである。

想定外の事態に人事担当が「いちおう確認の意味で、ですね」「確かに書いてあるけれども」と動揺している傍らで、僕は「めんどくせー奴が来たぞー」とネガティブな気持ちの高まりを感じることはなかった。ただ虚無的な気持ちになり、面接スペースの窓から見える青空を眺めながら、夕飯に何を食べようか、考え始めた。それでも僕らは大人なので、大人らしく、大人しく、粛々と面接をすすめたのである。30代男性はときどき、書いてあるとおりですけど、というフレーズを挟みながらも既定の質問に対応した。僕らも彼の「書いてあるとおりですけど」のたびにイラッとしながらもイラつきを表に出さずに冷静に対応した。話は弾まず、既定の質問以外の質問をする気持ちはなかった。

最後に、既定どおりに「ご質問はありますか」とたずねた。30代男性は「採用通知はいつ、どのように来ますか」と言った。通知ではなく採用通知。採用される可能性が高い。つまり勝算があると見積もっていなければ、出てこない言葉であった。「名前をどーぞ」「はいそれ、圧迫面接です!」の流れでどう採用しろと?きっつー。僕は、不採用通知と言いたいところをぐっとこらえて「通知は三日以内にいたします」と言った。三日も待たせることなく、翌朝、不採用の連絡を入れた。

最終話 お礼、心の向こうに

立て続けに地獄面接を経験してきて、売り手市場において己が優位にあると勘違いして強気に面接に臨んでくる人間が一定数いることがよくわかった。この仕打ちの恨みは買い手市場になったときに晴らすしかない。圧迫面接で潰してやる!という暗黒面に落ちてしまう寸前の僕を救ってくれたのは、辞退したプレゼン君からのお礼メールであった。彼は内定辞退の謝罪とその理由を教えてくれた。詳しいことは明かせないけれども、「待遇が良かったということもありますが、御社が素晴らしすぎて私の能力が入る余地がないように見えてしまいました。御社より劣悪な環境の他社を選んだのは、待遇が良かったということもありますが、自分の能力をより発揮できると考えたからです。このたびはありがとうございました」という内容であった。

お世辞でも嬉しかった。売り手市場を憎む気持ちは萎んだ。ダークサイドに堕ちないで済んだ。救われた。売り手/買い手市場は要因のひとつにすぎないのだ。結局のところ人間性や性格といった個人の資質が、面接というイベントの持つ重大性や緊張感を加えられて、ワンダーな行動として現れるということなのだ。今、僕は面接におけるドタキャンや意味不明な言動に感謝している。採用/不採用の判断に要する時間と手間を省けるからね。(所要時間70分)