Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

君ははじめて見たブラのことを覚えているかい?

f:id:Delete_All:20241110235002j:image

25年前、僕は二十代の若者で、仕事に追われる日々を送っていた。誇張抜きに実家と職場を往復するだけの毎日。自宅の近くに幼稚園バスが送迎にやってくる場所があって、僕は毎朝、バスを待つ親子と目を合わさないようにして通り過ぎていた。ある日、バスを待つ親子のなかに男の子と一緒にいるマユミちゃんの姿を見つけた。彼女は幼馴染で、小学校最後の二年間は同じクラスだった。草野球やドッジボールも一緒にやった仲のいい友達のひとりだ。男の子は彼女の子供らしい。1985年、小学六年の夏、僕は彼女と幻の湖をさがす旅に出た。僕らが暮らす町は山と海に囲まれていて、あの山の向こうに誰も知らない湖がある、というマユミちゃんの言葉を信じて、僕と彼女とその他二人(誰だか忘れた)はお菓子と水筒を入れたリュックサックを背負って湖を目指した。マユミちゃんは小さい頃からいつも僕より前を歩こうとしていた。僕はそれが気に入らなくて、いつも彼女の前に出ようとした。でも幻の湖への道中は違った。パラダイムシフトが起きたのだ。

良く晴れた暑い日だった。シャツはすぐに汗で濡れてしまった。湖はピクニックコースから外れたところにあるので藪の中を進むしかない。足もとは湿っていて靴の中に水分が染みてきて気持ち悪かった。真夏の太陽の暑さと、下からの湿度に挟まれてペチャンコになりそうだった。出直そう、誰かが言ったけど、マユミちゃんから、男のくせに弱虫ね、と言われて帰るに帰れなくなった。マユミちゃんは先頭を譲らず、僕は彼女の背中にくっつくようにして歩いた。あとの二人は僕より少し離れてついてきた。実はマユミちゃんの背中から目が離せなくなっていた。彼女はブラジャーを身につけていた。僕が彼女のブラジャーに気づいたのはそのときが初めてだった。汗で濡れて透けてしまったシャツはブラジャーの守護者としての役割を放棄していた。ブラジャーは僕にこれが彼女と遊ぶ最後の機会になるという不吉な予感をもたらしていた。

ブラジャーはゴールテープに似ていた。僕は足が遅く、運動会の徒競走は3着が最高で、ゴールテープにふれることなくいつもレースを終えていた。遊びの延長でブラジャーに触れることもできた。お前ブラジャーなんかつけているのかよ、と茶化すこともできた。僕と彼女のあいだには遮るものはなかったからだ。でも出来なかった。触れることで大切なものが未来永劫に壊れてしまう気がしたのだ。僕らはこのままではいられない悲しい予感。僕らの背丈より高い藪の向こうにあるような未来がそれほど良いものではなかったら…という不安。そういうことを考えるとバラバラになりそうだったけれど、目の前で揺れるブラジャーに集中することで何とか落ち着きを保つことができた。後ろの二人が拾った木の枝で藪を叩く、ピシッ、という音が鬱陶しかった。そろそろだよ、もう少しだよ、幻の湖の接近を知らせるマユミちゃんの声が少年時代の終わりを知らせるサインのように響いて耳をふさぎたくなった。

ふいに目の前のブラジャーが大きくなる。マユミちゃんが立ち止まったのだ。僕とほか二名はマユミちゃんの横に出た。湖はあった。地図にはない湖。サイズは湖と呼ぶにはいささか小ぶりで湖面の多くは藪と葉っぱと影に覆われていたけれども、小さい僕らから見れば立派な湖だ。僕は目の前にある小さな湖より、横にいるマユミちゃんの胸が気になった。「湖が本当にあってよかった」と彼女が言い。「あるに決まっているよ」と僕は横目で見ながら答えた。旅は終わった。

中学生になると、僕とマユミちゃんは他人になる。予感的中。一緒に遊ばなくなり、話をすることすらなくなる。素行のよくないグループと行動を共にするようになった彼女の背中に、ピンクや水色のブラジャーのラインが浮かんでいるのを見たとき、僕の知っている彼女は変わってしまったと思い知らされる。別の高校に進学すると他人度は加速。軽く頭を下げても無視されるようになる。ガラの悪い男の中型バイクの後ろから降りてくる彼女は、制服を着ていてもわかるほど胸が大きくなっていたけれども、一緒に湖を探して歩いた少女の面影を残していたことがかえって僕の哀しみを深いものにする。あの夏、彼女のブラジャーはやはりゴールテープだった。僕は徒競走と同じようにゴールテープに触れることなくレースを終えていたのだった。

僕は、大学生、社会人になり、そして25年前、サラリーマンになった僕は母親になったマユミちゃんと再会する。僕は、彼女が子供といる幼稚園バスの送迎場所の前を毎朝通り過ぎた。目が合えば軽く会釈はした。彼女は頭を下げて返してくれた。何年か経つとマユミちゃんの姿は消えた。子供が幼稚園児から小学生になったのだろう。本当の終わりだ。もし、あの湖の前でブラジャーに触れていたら、茶化していたら。僕らは違うルートの未来を歩いていたのだろうか。わからない。戻れない。そして10年、20年と時は流れる。幼稚園バスの送迎場所の前を僕は毎日のように通り過ぎた。幼稚園に通う親子は何代も入れ替わり、幼稚園バスも新しい車に代わり、運転手のおじさんは引退しておばさんになった。

今年、僕は50歳になった。立派な初老だ。ブラジャーについて語る年頃はとっくに終わっている。今年の春、幼稚園バスの待ち合わせ場所でマユミちゃんを見つけた。彼女は小さい女の子を抱っこしていた。僕は頭を下げて挨拶した。5メートル先の彼女は声を出さずに口だけを動かした。マ・ゴ。孫!僕はなんだか胸がいっぱいになってしまった。幻の湖をさがした小旅行と僕の前を歩く彼女の白いブラジャーの記憶が一気に蘇った。あのブラジャーはずっと僕の前にあり、今も僕の前にある。ブラジャーのゴールテープは永遠に届かないものではなく、道標のようにずっと先にあり続ける道標だった。僕は僕しかジャッジできない、僕の、僕だけのレースを走り続ける、それだけのことなのだ。(所要時間40分)