
4月末、とある飲食店が廃業した。個人経営の小さな店だ。特定されないよう、店名と売り物は伏せておく。ウチの会社は食材と消耗品を納品していた。オーナーシェフは二代目で、先代から五十年以上も続いている老舗。今の店舗に移ってきたのは三年前で、移転の際に厨房機器を一部刷新したので機器や設備の老朽化が廃業の原因ではない。跡継ぎはなく、オーナー夫婦は六十代前半だが、僕よりも元気なくらいだ。売上や集客も好調だった。だから、廃業の理由をオーナーは明かさなかったけれども、お米や食材の価格高騰しか考えられなかった。
営業最終日、店に足を運んだ。なんとなく気まずい。訪問するたびに入口ドアに「価格改訂のお知らせ」が貼られていて、文面がお詫び調なのを見てなんとも言えない気分になっていた。最後の価格改訂は3月末。お詫びするのも疲れたのだろう、お知らせの文面はなく、ただ黒マジックの斜線で従来の価格を消し、新価格を赤マジックで書いただけだった。このお店は価格転嫁出来ているからいいほうだ。個人経営の飲食店の多くが、客離れを畏れて、価格に転嫁できていないのが実情だ。付き合いのあるオーナーは「テレビなどのメディアが「激安個人店」「爆盛食堂」といってありえない価格と量の店を取り上げているから…」と冗談交じりに愚痴っていたけれども、それが味と食材で勝負する店には不利に働いたかもしれない(言うまでもないが爆盛店に罪はない)。
訪問したのは、未開封の乾物や調味料の買い取り依頼を受けたからだ。食材の点で努力したつもりだったが、最悪の結果になって申し訳ない気持ちがあり、買い取りに応じた。個人経営の飲食店は弱い立場にある。ウチで食材を大量に購入して、個人経営店各位に展開する、スケールメリットを活かす形でサポートしていたけれども、じわじわ確実に上がる価格高騰には対応しきれなかった。オーナーは食材高騰について「何かが高くなるときは別のものが安くなったりしてある程度バランスが取れていたし、提供するメニューの変更で対応できたが、今は全部の食材が上がってしまって手を打てない。米の値段も下がりそうもない」と嘆いていた。「感染症のときはいつか終わると思って耐えられたが、今回の食材はしんどいよね」僕も当時を思い出した。大変な時期だったがこれを乗り越えたら上がっていけるという希望があった。「当時は営業が出来ない日があってしんどかった。今は営業ができている。利益を出せないのは自分の力不足だからね」とオーナーは落胆していた。
買い取った食材を軽バンに積み込んだあとで挨拶すると、オーナーは「あと十年は出来ると思ったんだよな」と寂しげだった。これからは趣味に生きるとのこと。人に言えない趣味らしいので追究するのはヤメた。「残念です。食材高騰でお店をやめなきゃいけないなんて。国が無策すぎますよ。備蓄米の効果もいまいちでしたし…」と僕は言った。国のせいにして自分の責任を軽減するつもりだった。ところが。オーナーの答えは意外なものだった。「お米や食材の高騰が理由じゃないよ。しんどいのは間違いないけど、ウチは従業員がいないから、生活するだけならなんとかなるんだ」え、そうなの。返せ、罪悪感と自責の念。
理由を訊ねると「家賃」とオーナーは答えた。契約更新をしようとしたら不動産屋から、オーナーいわく「法外な家賃」を提示されたらしい。具体的な金額は教えてくれなかったけれど、一食当たり数百円アップな感じ、という言い方で教えてくれた。試算。一日100食で営業日が月20日間、つまり2000食/月。仮に200円の値上げがマストなら2000食をかけて月40万円。大きい。飲食店経営で家賃(テナント料)の占める割合は大きい(なお終日ガスをつけっぱなしにしているラーメン屋は光熱費の割合が高くなる)。いきなり数百円。経営努力が無になってやる気を喪失するのも仕方がない。食材値上げでウン十円ごとにお客に詫びて価格改訂をしてきたのがアホらしくなる話だ。
契約更新時に家賃(テナント料)を爆上げして追い出し、次の借り手を当初の家賃より上げて契約する。東京から近く、観光地でイメージが良く、インバウンドと借り手の見込みがモリモリあるからそういう手法が成り立つのだとオーナーは教えてくれた。「すげえ流行っているシャレ乙な古民家カフェが突然謎の閉店をする理由ってそういうことらしいよ」それがお前らのやり方かあああああ!個人経営の飲食店の難しさについてマーケティングやクオリティの問題にするコンサルタントがおられて、確かに正論っちゃ正論なんだけれども、実際にはどうにもならない理由による経営難も多いのだ。だから難しいんだよね。(所要時間29分)