Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

母がボケたかもしれない。

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実家の紫陽花を眺めるのが好きだ。毎年微妙に色が違うので楽しい。そろそろ咲きはじめている頃だが、まだ、見ていない。実家で暮らす母とプチ断絶状態にあるからだ。何かあれば駆けつけられる距離にいるが日常的に接触をしない今のやり方が、ベターだと僕は考えている。理由については前に書いたとおりだ。子供が親の面倒を見るのが当たり前という彼女の考え方が気に入らなかったというのもあるが、顔を合わせるたびに金を求められるのがストレスになっていたからだ。
1ヶ月前、母からメールが送られてきた。題名はなく、文面は「元気ですか?」だけ。珍しい。通常、僕の体調や仕事を気にかけるフリすら見せず、「(金額)を貸してください。至急」と目的のみを告げてくる母が「元気ですか?」である。無視を決め込もうとしたけど無視できなかった。どうしても気になってしまった。その日は父の命日だったからだ。父の命日に、これまで僕の体調など心配したことがない母が「元気ですか?」なんておかしい。嫌でも三十数年前のあの日の父の姿を頭に思い浮かべてしまう。心配のあまり見に行った。
母は普通に健在で「何しに来たの?」と平常モードで、「ちょうどよかった」つって金を貸してくれと言ってきた。またかよ。返すつもりも当てもないのになぜ「貸して」なんて言うのだろう、なぜ素直に「くれ」と言えないのだろう。親としての威厳を保つためだとしたら逆効果だ。用途を確認すると「植木屋に頼むから」と答えた。そこからは「見積取って」「無理。いつものところに頼むから」「金額わからんやん」「だいたい分かるから」「いくつか見積取って安いところにしなよ」「付き合いがあるから無理」「僕が取るよ」「それだけはやめて」というストレスフルなやり取りに発展した。いつもの業者に頼んで提示された金額を支払うといって僕の言うことを聞かないのだ。自分のカネでやれ。僕は仕事で数社から見積を取って選定している。またコンペに参加すれば見積を提出して選定をされる側に回る。そういう仕事をしている立場からすると母の立ち回りはありえないのだ。ほんと、自分の金でやれ。僕は都合のいいATMなのだろう。無利子どころか返済の必要がない。残額の確認もしなくていい。付き合いきれない。とにかく植木屋に電話をかけて金額を聞いてくれと言って押し切った。母は「後期高齢者の親にそんなことを言えるなんて残酷な息子だよ」と言った。
母はたくましい。あんなおかしい内容のメールを、父の命日に送りつけて、僕を揺さぶって誘い出すのだからね。僕はなんだか大事な部分を侵略された気がした。悲しみとか怒りとかではなく虚しさ、やりきれなさ、否定。何か言葉にして吐き出さないと耐えられないので「こんな日に変なメールを送ってくるな」とたまらず言うと母は「こんな日って何のこと?」と首を傾げた。「本気かよ」「だから何のことよ」嘘だろ。母は父の命日を忘れていた。そういえば金の用途がわからないというのは認知症の初期症状と聞いたことがある。そういえば春の彼岸に墓参りに行ったとき、欠かさず母が供えていた花が今年はなかった。
或いは、僕を誘い出したけれども、さすがに恥ずかしくなってボケたふりをしているのかもしれない。プライドの高い母ならありえる話だ。いやプライドの高い母がボケたふりをするのは考えにくい。やはりガチで忘れてしまったのだろうか。僕は、母のプライドの高さを拠り所にして母の行動を好意的に捉えようとしているのだろうか。または虚言癖の発症か。後期高齢者になってからの中川翔子化はギザカナシス。
かなり昔のことになるけれども、お彼岸やお盆に父の墓へ手向ける花の数がだんだん減っていっていることについて僕は「みんな薄情だなあ」と口にしたことがある。そのとき、母は「亡くなった人は忘れられた方が幸せなんだよ。いつまでも立ち止まっていられたらあの世にいけなくて困ってしまう。お父さんも同じよ」と言っていた。確かにそのとおりだ。でも、こんなふうに忘れてしまうのは、らしくない。
あれから1ヶ月ほど。母はそれ以外の記憶はしっかりしている。日常生活は普通にできている。命日メールが、僕を誘い出すための策略だったら嫌だと思っていたけど、今は策略であったらいい、と思っている。長いこと付き合っていれば関係だって変わる。悪い変化だってある。安全な距離をとってダメージを抑えればいい。理不尽なことの多い人生だけれども、この理不尽を味わえなかった父のぶんも味わってみるつもりだ。まずいものを口にぶち込めば、美味しいものが引き立つからね。そろそろ母からお金の話があるだろう。今年の紫陽花はどんな色の花を咲かせているのだろう。楽しみだ。