
約30年間、営業職として働いてきた。よくぞここまでやってこられたと思う。営業職に就いた当初は、「この仕事を続けられるのはせいぜい半年くらいが限界じゃないか」と絶望していたからだ。あの頃を思い出すと、煙草の香りのする真夏の喫茶店でごちそうになったコーヒーゼリーの味が鮮やかによみがえる。
平成8年(1996年)、大学を卒業した僕は東京で営業マンになった。営業部は、30代後半以上の個性豊かなオッサンばかりが在籍していた。20代後半から30代前半の人材が欠けていたのは、仕事がキツくて離脱者が相次いだからだと後で知った。研修で「電話の応対」や「名刺交換のルール」は教わったけれど、案件の見つけ方、商談の進め方、といった営業の仕事は誰も教えてくれなかった。今ならネットや動画で調べられるが、そういうものはまだなかった。ネットに接続できない携帯電話がようやく普及しはじめた、そういう時代だ。
夏になった。僕は言われるがまま名刺を配り、電話をかけ、飛び込み営業を繰り返した。かけた労力に対して成果は乏しかった。「これがいつまで続くのだろう」と定年退職まで炎天下で名刺配りをしている自分を想像してぞっとした。先輩たちは、ノルマを達成するのは当たり前で、プラスアルファで大きな契約を取ってきていた。一方で、普段は何をしているかわからない人ばかりでもあった。電話をかけているわけでもなく、資料を作成しているわけでもない。始業時間になると外へ出ていき、夕方になると帰ってきて、デスクで新聞や経済紙を読んでいる。ミーティングでは「順調です」「特にありません」のひと言で報告を終わらせていた。
僕には、先輩たちが遊んでいるように見えた。それでも目標を達成しているのは、長年のキャリアで培ったコネで仕事を持ってきているのだと思った。各先輩たちに一日密着したこともあった。喫茶店で涼んだり、映画館で新作映画を見たりするのに付き合わされただけで、仕事を教えようという雰囲気はゼロ。喫茶店ではコーヒーゼリーを御馳走になった。先輩たちは皆コーヒーをブラックで飲んでいた。先輩それぞれがそんな感じで遊んでいたけれど、成果はしっかりと出ていた。真面目に仕事をしていない。情報共有や協力もない。それでも成果を出すのだ。魔法みたいだった。
僕は魔法の正体が知りたくてたまらなくなり、先輩たちを追跡してみた。公共交通機関で行動する先輩のあとをつけたのだ。驚いた。先輩たちは会社に戻ってくるまで仕事らしいことは何もしていなかったのだ。真夏の太陽を避けるようにファミレスや喫茶店やパチンコ屋で時間をつぶし、時々、どこかへ電話をかけるくらい。日中一人で行動しているあいだに隠れて猛烈に仕事をしているにちがいないという僕の見立ては外れていた。
18時以降の先輩たちを追跡して謎は解けた。彼らは真夜中に仕事をしていた。見込み客と思われる人と飲み屋で連日接待、接待、接待。休日もゴルフ接待をしていたのだろう。なぜ、勤務時間内にサボっている姿を見せていたのか?そういうポーズで相手をけん制していたのだ。相手は同僚だった。当時、営業マン同士はライバル関係だった。ノルマを達成するのも大事だが、ライバルを打ち負かすことがより大事だった。チームで数字を上げるという考えはなかった。先輩たちは、サボっているのではなくライバルに手の内を明かさないようにしていたのだ。
僕にはこんな真似はできないと思った。心身がもたない。先輩たちとは違う仕事のやり方を模索した。秋、会社からノートPCが貸与された。それが転機になった。僕は、内蔵されていた謎の表計算ソフトを使って、自分の顧客を自分なりにデータ化して、経験やカンに頼らない面談ルーティーンを作りあげた。そのやり方は、基本的に今でも変わらない。そしてその方法を地道に進めていくうちに少しずつ手ごたえを感じていった。
翌年(1997年)になると先輩たちのやり方に限界が見えてきた。成果は出ていたが、世の中が接待の回数より、企画や提案で取引を決めるように変わりつつあった。接待を受けるのを禁ずる企業も出てきた。先輩たちのなかには、接待や付き合いに私財を投じてお金の問題を抱えている人もいた。酒、煙草、夜更かしで健康状態が悪い先輩もいた。2000年代に入ると昭和から続いてきた営業のやり方、接待、時間外、一匹狼的なブラックボックス化した仕事は、完全に受け入れられなくなった。時代遅れになり成果を出せなくなった先輩たちは会社から目を付けられ居場所を失い、去っていった。僕もその頃、転職して彼らとの関係は切れてしまった。
それから25年経った。当時の営業部で今も営業職として働いているのは僕だけである。人づてで聞いたところでは先輩たちは、借金で家庭を失ったり、体を壊したり、亡くなったりしていた。行方不明になった人もいる。先輩たちの仕事ぶりはすごかった。残念ながら栄光の季節が終わるのも早かった。先輩たちは悪くない。タイミングが悪かった。先輩たちが20年早く生まれていたら彼らは完走できた。先輩たちが放った光が強かったぶん、影も深かった。彼らはその影に飲み込まれてしまった。その姿はここ30年の世の中そのもののように僕には思える。
先輩たちは、バラバラで反目しあっていたけれど、なぜか皆、新米の僕には優しかった。真夏の喫茶店で涼みながら、バラバラの彼らは足並みをそろえるように僕に同じことを言った。「俺たちの真似はやめておけ。お前には無理だ」。当時は突き放した冷たい言葉に聞こえたけれど、先輩たちあ若い僕に「お前は俺みたいになるな」と教えてくれていた。それがわかったのはずっと後のことだ。言葉は神だが、ときどき正体を隠して僕らを試す意地悪な神なのだ。先輩たちは最前線で戦う優秀な営業マンで、世の中の変化を察知する能力に長けていた。うっすらと自分たちが辿る運命がわかっていたにちがいない。今はもういない、馬鹿で迷惑で不器用な先輩たちとの記憶を振り返るとき、僕はきまって真夏の喫茶店で御馳走になったコーヒーゼリーの苦味をじんわりと思い出すのだ。(所要時間30分)