Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

上野、パンダ、それからロックンロール。

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三連休の初日に大学時代の友人Aと後輩Bに会った。三人で会うのは2004年以来になる。物理的距離的体力的な問題の同時多発的な発生により、ずっと会うことが出来なかった。友人Aが2010年の冬に体調を崩してどうにもならなくなり東京から故郷の青森に帰省し、新聞社に勤めていた後輩Bはすでに九州へ異動していたため、三人で会うにも会えなかったのだ。おっさん三人には若いカップルのような遠距離を埋めるほどの愛の力はなかった。昨年、後輩Bが長年の激務が祟って体調を崩して仕事を辞め、地元の栃木に帰ってきた。そして、10数年かけて生活の安定した友人Aが青森から夜行バスで上京することになり、後輩Bも合流して上野で会うことになったのである。

上野恩賜公園のカエル噴水で待ち合わせした友人Aは元気そうだった。16年経って僕らは52歳のおじさんになっていた。青森へ帰るとき、死人みたいな青白い顔をしていたので、顔をあわせるなり「お前…」と絶句するような展開を覚悟していたので、「よう」と軽い感じで声をかけられて力が抜けてしまった。遅れて合流した後輩Bも顔色は悪くなかった。仕事を辞めて体調が回復しているのだろう。唯一働き続けている僕だけがストレスで頭髪が白くなり老人みたいだった。

居酒屋に入り、生ビールで乾杯をしたら、所属していた研究会の地下組織のアジトのような部屋で、煙草を吸いながら三人でアホな話をしていた日々が昨日のことのように蘇った。美しいエピソードはひとつもない。映画とか小説とかアニメとかロックとか女の子とか風俗とか割のいいアルバイトとか単位の取りやすい講義とかそういうどうでもいい話ばかりしていた。ときどき照れ臭かったけれど自分たちの才能に見合わない夢について語ったりもした。若い僕らには恐れはなく、失うものもなかった。90年代半ばで暗い時代が始まりかけていたけれど、なんとかなるという根拠のない楽観がいつも前にある闇を明るく照らしていた。僕らは失うものがなかったのではなく、何を失うのかわかっていなかったのだ。

50代になった僕らの飲み会は予想外に、「あの頃は」「昔は」「あいつは今」みたいに、2020年代2010年代2000年代の壁をアルコールの力で乗り越える、センチメンタルな確認作業にはならなかった。ひたすら今の話をした。あとはせいぜい近未来の話。僕らはずっと会っていなかったけれども、お互いの不在の時間を埋めるような答え合わせを必要としなかった。だから簡単な経緯報告を終えると「まあ大変だったよな。お互いに」と生ビールの乾杯で「昔」を終わらせた。思い通りにはいかなかった、完璧からは遠い人生。若い頃、自分で自分に期待したレベルには及ばなかった才能。体調不良や病、努力ではどうにもならないこともたくさんあった。僕らは、そういうものをいちいち取り上げて嘆くようなダサい大人にはなりたくなかった。だからひたすら「今」と「近未来」の話をした。今、俺はこんなことをしている、明日はあんなことをしたい、みたいに。友人Aは「手帳持ちになってしまったけれど悪いことばかりではない」と今の仕事について語った。東京時代よりも津軽訛りが強くなって三割くらいは識別が難しかった。後輩Bは、仕事を辞めて体を休めたら改善されてきたのでそろそろ動くつもりだ、と言った。僕は、体が壊れても前へ進む二人の前で早期退職とは言い出せず、なんとか定年まで頑張ってみるつもりだと言った。

僕らは長い時間をかけて少しずつ失うものをなくしていた。夢や希望や目標は叶わなかったかもしれない。思ったよりずっと低空飛行だったかもしれない。でも、大学を出て約三十年生きてきた。その時間は他人から見ても、自分が思うよりも、しょぼくて情けないものかもしれないけれど、それだけで価値と意味のあることなのだ。友人は「未来は見るのをやめた」とも言った。僕はそれを正しいと思う。今を積み重ねていけばいい。僕らは未来がクソみたいになりうることを、身をもって知っている。僕らがこの手でつかめるのは今だけだ。クソみたいな未来にならないようにクソみたいな今を足掻く。それだけだ。もう若くもない。才能も体力もない。全員、体がボロボロでひとりは手帳持ちで、ひとりは休職中で、ひとりは中小企業の中間管理職だ。だからなんだって言うのだ。僕らにはもう失うものはないのだ。何だってできる。高いところを飛ぶより低空飛行のほうが面白いだろう。最高だ。

「とにかく生き残ろう」と誓って僕らは別れた。じゃあな、と言って。軽く手をあげて。まるで三十年前に大学のキャンパスで「また明日な」と言って別れたときのようなあっさりとした別れだ。僕らには明日がある。ありふれた明日だ。最高の気分だった。だって、友達を再発見できたのだから。友人Aが土産といってパンダのぬいぐるみをくれた。「パンダは去ったが俺たちの魂は上野に永遠にあり続ける」みたいな熱いメッセージが込められているのだろうか。いや、おそらく何の意図もないのだろう。僕はこのパンダのぬいぐるみに「最後まで生き残る。絶対にくたばりはしない」と誓った。かたく誓ったんだ。(所要時間28分)最新エッセイ本になります→