Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

資本主義~そして終わりのない悲しみ

先日、SNSを眺めていたら実業家の人が全裸の女性たちでつくられた人間シャンパンタワーに酒を浴びせて「これが資本主義だ」と叫ぶ動画が流れてきた。当初は生成AIで作成された悪戯動画と思ったが、並び重ねられた平凡な尻の造形にリアルと金の匂いを感じ取って、現実のものと判断した。僕は、その実業家をまったく知らない。動画もバカバカしく、良いのではないかと軽く流していた。真剣に取り合うものではないと考えていたのだ。実業家も撮影者も尻出しガールズも、くだらねーと笑われて終わるものと気楽に考えていたのではないか。

ところが世間様は右から左へ流すことを許さなかった。不謹慎。下品。何が面白いのかわからない。(実業家の)家族や子供が見たら悲しむぞ。そういった「いかがなものか」的な反応が大半であった。人間シャンパンタワーは法律に反していない。プライベートな場で尻を並べてはいけない、何人も許可なく尻にシャンパンをかけてはいけない、と法に定められていない。罪刑法定主義によれば罰せられることはないのである。強いていえば猥褻物チン列罪に該当するかもしれないが、汚い尻は猥褻物というよりは汚物だろう。飲食店で汚い尻を出すことが公衆衛生の観点から問題視されそうであるがそういう声は僕の尻かぎりではなかった。「問題ありません」とSiriも言っていた。

法的に問題がないのであれば反感を買ったのは「お金持ちが鼻持ちならないことをやっていてなんかムカつく」という条件反射的な感情からだろう。「家族や子供が可哀そう」という道徳面からの非難については、旦那/父親が馬鹿な行為をしているだけであって周りが流せばいいだけのこと。つまり動画を問題視しなければよい。家族や子供も旦那/父親を反面教師にすれば良い。もし、子供が「僕もお父さんのようになりたい」と決意してより多くの尻を並べてクフ王級の人間ピラミッドを作り上げようとするなら、それはそれでよいのではないか。

では、なぜムカつくのかというと僕らが知らず知らずに持っている欲望を金の力でいとも簡単に叶えたからではないか。並べた尻にシャンパンをかけ流したい。素麺を、チーズフォンデュを、フルーチェ(イチゴ味)を尻の列にかけ流してみたい。しかし、それらは叶わぬ願望だ。これまで諦めてきた夢の残骸だ。それを実業家が財力と人脈で実現した。SNSで公開した。なんかムカつくのである。しかしムカつくと素直に表明するのは負けた感がしてムカつくので、不謹慎、下品、家族子供が可哀そうといった理屈を持ち出して「いかがなものか」表明したり、これが面白いと思っているのは可哀そうというエンタメ性からのダメ出しをしたりするのだ。

告白しよう。僕は羨ましい。生まれ変わったら尻を並べ積み上げてみたい。その模様を配信したい…しかしそこで僕は人間シャンパンタワー動画の真の意味に気付いてしまった。思い出してほしい。実業家は、尻が丸出しの女性を積み上げて人間シャンパンタワーに高級酒をかけながら「これが資本主義だ!」と叫んでいた。あれは金持ちの傲慢のあらわれとして多くの人の目に映っている。それは間違っている。ムカつきの感情が強すぎて素直に見られなくなっている。よく思い出してほしい。あの動画は資本主義の限界と悲哀を映し出している。どれだけ金を稼いでも札束を積んでも並べられるのは平坦で平凡な六つの丸出し尻のみ。共産主義国家の権力者が本気になれば積み重ねる尻の数は桁が二つちがう。尻ひとつとってみても、港区界隈で網に引っかかる尻ではなく、寺沢武一先生の『コブラ』をはじめとする作品に登場する美女の、肉厚で匂い立つような尻になる。研磨された宝石のごときピカピカの尻。財を成し、名を成しても、資本主義のもとでは港区界隈で集めた小汚い尻を重ねた人間シャンパンタワーが到達点になる。資本主義では!そして薄暗い尻の前で「これが資本主義だ!」と叫ばずにいられなくなる。あの動画は資本主義の限界への絶望、資本主義に裏切られた嘆きなのだ。あれは現代社会で繰り返される悲しみに彩られた絶望と嘆きの叫び、令和の「ブルータス、お前もか」に他ならないのだ。ま、実害がないものに目くじらを立てるのは時間とカロリーの無駄なのでやめておいたほうがいいと思うよ。(所要時間20分)昨年出したエッセイ集になります→