
母を連れて家族で東京ディズニーシーへ遊びに行った。今回が母と訪れる最後のディズニーと決めていた。ランドではなくシーを選んだのは、開業25周年でお祝いムードだから。「最後だからお祝いしてもらわなきゃ」という母の前向きな言葉に僕は胸が詰まりそうになった。母は80歳を超えている。最近、目に見えて体力が落ちた。今回を最後のディズニーとしたのは、体力面からの判断である。母は、何度も「これで最後なんだね」と名残惜しそうに言った。一か月前。一週間前。前日。当日の車内。現地で。何度も、何度も。僕はそのたびに「そうだよ。最後のディズニーだよ。楽しもうね」と返した。最後という言葉をこれほどの重さを持って使ったことはない。「最後」と口にすればするほど重さが増していくような気がした。誰にでも最後はやってくる。その時が来たのだ。
東京ディズニーランドができた年、子供会のイベントで初めて訪れた。母と弟と一緒だった。ミッキーマウスやドナルドダックに会えて嬉しかったことを覚えている。ドナルドダックのぬいぐるみを買った。今でも実家のリビングに飾ってある。40年以上の歳月で、帽子は外れ、毛並みもバサバサ、クチバシは歪んでしまった。「最後だね」何度も念を推す母に「ウチのドナルドダックだってボロボロで持ち歩けないでしょ」と言い訳した。母は「そうだね。体力が落ちたから仕方ないね」と笑った。ディズニーリゾートのような行楽地に後期高齢者を連れて行くのは大変だ。本人たちは、なかなか弱音を吐かないし、強がる。言葉を鵜呑みにできないから難しい。そのため、顔色や息づかいを観察して、異常が発生する前に休憩を取る必要がある。休憩場所を確保したり、お茶や食事の店を確保したり、トイレまで連れて行ったり、走ったり、手を引いたり、荷物を持ったり、大変なのだ。来なければよかったと毎回後悔する。それでも今回は母から「最後だけど楽しいね」と言われたらすべてがチャラになってしまった。
時の流れは残酷だ。これまで普通に出来たことが普通に出来なくなる。苦労するようになる。苦労してもできなくなる。終わりが来る。楽しいアトラクションには降りるときが必ず来る。人生というアトラクションも同じだ。永遠に続かないからこそ、いつか終わりがあるからこそ、その途上の一瞬、一瞬が輝くのだ。生きることは、ジェットコースターみたいだ。アップダウン、急勾配、一回転。それらを克服したり我慢したり慣れたりしてなんとか乗り越えていく。逃げられない。別ルートはない。若い頃、父が生きていたら家族はどういうカタチになっていたのかよく想像した。現実よりも良いものを頭に描いた。そうなっていた可能性は高い、と思う。だが現実はそうはならなかった。僕が歩む現実のルート。父がいれば後期高齢者が一人増えてディズニーシーに来られなかったかもしれない。母と今のような何でも話せる関係にはなっていなかったかもしれない。僕は、ようやく長い時間をかけて今のルートも悪くないと思いはじめている。

老いた母がいるので、レイジングスピリッツやセンター・オブ・ジ・アースのような派手に動くアトラクションや、アナ雪やソアリンのような何時間も並ぶアトラクションは回避した。乗ったのはシンドバッドの冒険やアクアトピア(まもなく終了)、ラプンツェルといったのんびりとしたものばかりだ。大好きな海底二万哩は終日動いていなかった。残念だ。夜八時半すぎに、お土産とお菓子を買って母との最後のディズニーは終わった。混雑する店のなか母の手を引っ張っての買い物は、どんなアトラクションよりも僕の体力と精神をすり減らした。生き返りの車の運転は眠気との闘いになる。母は、駐車場でなかなか車に乗ろうとしなかった。入口近くにある巨大な青い地球を見つめながら、母は「楽しかったよ。これで最後なんだね。もう体力がもたないよね」とつぶやいた。僕は母をワゴン車に押し込みながら「母さん、楽しめたかい?朝九時から夜九時まで満喫したよね。これで最後だよ」と告げた。
母は80歳を超えた。老いたけどまだまだ元気だ。息子の僕は52歳になった。元気じゃない。持病の腰痛や肩痛、高脂血症に加えて、加齢による運動能力と体力の衰えはすさまじく、母(後期高齢者)を連れて面倒をみながらディズニーリゾートを回るのはもう無理だ。きっつー。よって、僕の体力の問題により今回をもって母のディズニーは最後とさせていただいた。まことに申し訳ない。(所要時間23分)このような家族文章はこちらのエッセイにもあります。→
