ワイドショーを誤解していた。バカバカしく、くだらないものと決めつけていた。自分の浅はかさが恥ずかしい。僕は給食会社の営業部長で、ときどき人員不足の老人ホームと保育園の厨房にヘルプで入っている。昼食の提供が終わると休憩時間で、休憩室でパートさん達とワイドショーを連日見ている。パートさんたちとの「あらまあ」「やだあ」な雑談に参加するのも大事な仕事だ。共通の話題の源であるワイドショーは無視できない。これほど真剣にワイドショーを視聴したことはない。新鮮な経験だった。そして認識が変わったのである。ワイドショーはくだらないものではなかった。
連日のようにワイドショーで取り上げられている事件があった。京都で起きた痛ましい事件だ(今は部活動遠征バス事故に移行している)。毎日、毎日、これでもかといわんばかりの現場レポート、ご近所インタビュー、元警察官の考察。その日も現地緊急レポートという名目で容疑者の自宅前と遺体発見現場から「特別な動きはありません」という、どうでもいい中継をしていた。番組MCが、片田舎の民家を映した静かな映像のあと、コメンテーターに意見を聞き始めた。そこで事件が起こった。ある女性コメンテーターが急に深刻な顔で「この事件を報じる意味ってあるんですかね」「何になるんですか」みたいなことを言い始めたのだ。それから「母子家庭は再婚してはいけないってことなんですか」などと、やや脱線したことまで言い出し、当該事件を報じる意味・意義について疑問を呈したのである。MCは真顔で「我々には視聴者の皆様に事件をお伝えする義務がある」と言っている。その他のコメンテーターは毒にも薬にもならないお決まりのコメント。コメンテーターというのは専門性もなければ、勉強も重ねてるようには見えない人ばかりだ。冠番組を持てない芸人、現役引退後に迷走している元スポーツ選手、結婚出産を経てグラドルからママタレになったタレントなどで、責任を問われない、極薄な言葉を吐くのがお仕事だ。世界でもっとも楽な職業のひとつだろう。
当該事件の取り扱いについてクエスチョンを投げかけたコメンテーターのムーブは、ネットニュースで取り上げられ、概ね好意的に受け入れられたように見えた。その後似たようなお気持ち表明をするコメントをする有名人も出現した。悲惨で救いのない事件を好奇心と視聴率稼ぎのためにから取り上げるワイドショーは褒められたものではない。僕も子供の頃からくだらないものだと思っていた。だが、その認識は間違っていた。
そもそも、ワイドショーはゲスなものである。疑問を呈したコメンテーターの方もゲスなものだとわかっていて、出演しているはずだ。もし、ワイドショーが清廉潔白なものに見えていたのなら、世の中に対してコメントする能力はないだろう。また、ゲスなワイドショーが嫌なら出演を拒否すればよい。あるいは意見を述べたあとでギャラを返上してその場で退場すればいい。なぜ、その後も出演し続けてグルメコーナーや物価高サバイバル術にコメントしていたのだろうか。謎だ。
僕にはこの一連の流れにワイドショーの素晴らしさが凝縮されていたように見えた。懐の深さ、多様性を認める姿勢。言うまでもなくワイドショーはゲスなものである。その枠組みのなかで「この事件を取り上げるのはいかがなものか」と疑問を呈したコメンテーターは、事件を好奇心から取り上げ、当事者への配慮の欠けた、マスコミの姿勢について意見をしていて素晴らしいと評価される。ワイドショーも一時的には非難されるが、反対意見や否定的見解を抹殺せずに抱えている器の大きさ、多様性への配慮を評価される。つまり、それぞれがワイドショーという仕組みのなかで役割を果たしていて、素晴らしいと僕は思ったのである。
ワイドショーはショーである。もっともな意見や、共感を得る意見であっても、ゲスなワイドショーに取り込まれればゲスの一部にしかならない。意見というものは内容もさることながら、意見する場がより大切なのである。ワイドショーなどは最悪である。現場のパートさんたちはそれを見越していた。件のお気持ち表明のごたごたを見ても「なんか揉めてるけど、打ち合わせが足りないんじゃないのー」という反応であった。このようにどんなまともな意見であっても、ワイドショーというゲスな仕組みのなかで消化分解されてしまうのである。きっつー。ワイドショーはゲスなのではなく、めちゃくちゃゲスなのである。ショーがないね。(所要時間23分)給食から社会を見るエッセイ本を出しました。
