
僕は給食会社の営業部長だ。営業という仕事をやっていると、上司や同僚からときどき「元顧客に営業をかけてみたら?」と持ちかけられることがあるが、そういう時どんな顔すればいいかわからないので、心の中の碇シンジ君の言葉にしたがって、笑うようにしている。
僕は、相手(元顧客)からコンタクトがないかぎり、自分から営業をかけないと決めている。同僚からは「営業のつまらないプライド」と笑われている。「新規開発からの契約ゲットにこだわっている」「他者の協力はいらない」みたいに、営業マンのプライドが邪魔をしているように見えるようだ。完全に誤解だ。プライドもこだわりもない。プライドよりノルマが大事だ。プライドとノルマを交換できるなら喜んでプライドを差し出す。それくらいノルマを達成するのは難しい。30年間の営業職人生で年ノルマ未達成は一度もないけれど、毎年、苦労している。年度末はいつも胃に穴があくような思いをしている。そもそもプライドなんてとっくの昔に安売りして、今は何も残っていない。
「元顧客に営業かけたら」というアドバイスは、僕が運輸業界のときもあった。どの業界にもあるのだろう。給食(業界)の特徴は、契約期間が比較的長いビジネスモデルであること。たとえば、皆さんが利用している社員食堂や学生食堂の業者が毎年変わることはないはずだ。また、家族が入居している老人ホームの給食業者が毎年変わることもないだろう。せいぜい給食業者が変わるのは数年に一度くらいの頻度で、何十年も契約継続しているケースも珍しくない。それが給食というビジネスである。逆にいえば毎年のように業者が変わるのは超レアケースといっていい。
長い契約期間のなかで顧客との関係は深くなる。深い関係は、夫婦関係と同様に良いことばかりではない。ポジティブとネガティブな面がある。顧客との意志疎通が滑らかになり運営がうまくいくというのがポジティブ面で、なあなあの関係性になってビジネスライクに問題が解決しなくなるのがネガティブ面。新鮮さが失われるのもネガティブ面だ。
どれだけ長い期間契約関係を維持していても解約という事実は変わらない。ところが、どういう思考回路からそういう理屈が導きだされるのかわからないが、長期間契約を継続していたという事実にフォーカスして「残念ながら契約は終了してしまったけれども、我々の仕事は今でも高く評価されている。長い契約期間がその証拠である」という謎の自己評価が醸成されている。
その謎の高い自己評価があるから、営業に対して「元客に営業をかけてみたら」と言えるのだ。プライドが高いのは僕ではなく、「元客に営業をかけてみたら」発言をする人なのだ。我々は素晴らしい仕事をしていたが、長い契約期間のうちに仕方なく解約に至ってしまった、だから今でもやりなおせる、というはた迷惑なプライドである。解約を撤退と言い変えたりしていたら間違いなくそれだ。
契約を専門にしている営業の立場からいえば、契約期間の長さがあっても解約は解約である。本当に評価される仕事をしているなら契約は継続しているはずで、何らかの問題がありそれを解決できなかったから解約になっているのだ。もちろん現場の仕事ぶりとは関係のない要因での不幸な解約はある。だが、良い仕事をしていたのになぜか契約を解除になったという自己分析をしているケースは、ほぼ間違いなく、自己評価と相手の評価とに乖離がある。つまり仕事が評価されていない。長い契約期間で守られて、自分たちの仕事が見えなくなっているのだ。
元顧客を対象とするのは営業開発上、難易度が高い。超E難度だ。まず、解約になった原因である評価されなかった仕事から、マイナスから出発になる。通常の新規開発案件より難しい。「当時はこれこれ、こういった事情で至りませんでしたが、今は改善されておりますので、土俵に乗せてくれませんか」と訴えるのである。プライドもクソもない。相手も長い契約期間のなかで当社のことをよく知っているので「そんなこと言われましても20年間の付き合いでオタクのことはよく知っているから…」と足下を見られるのである。もちろんよく知られているので営業マンの必殺技、ハッタリも通用しない。
さらに、マイナスから出発して四苦八苦しながら成約にこぎつけても社内の評価は得られない。「もともと契約していた相手だからその時代の仕事ぶりが評価されただけ」「過去の実績に乗っかった手抜き営業」などと言われて正当な評価を受けられないのだ。通常の案件にはない苦労があるうえ、正当な評価は得られない。ダブルでマイナス。地獄だ。このように元顧客は、マイナスしかないうまみのない案件なのである。新規開発のほうがずっと自由で楽なのだ。
「元顧客」案件を難しくしているのは、営業のプライドではなく、かつてそれを担当していた者の己の仕事に対する謎の高い自己評価とそこから発生するクソみたいなプライドである。元顧客への営業を持ちかけてくる人にはそれが永遠にわからない。だから、惣流アスカラングレーみたいに「あんたバカァ」と言いたいところをぐっと堪えて、笑うしかないのである。(所要時間26分)営業と給食業界について本を書きました→
