Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

人権セミナーで意識が高まりました。

人権セミナー参加を契機にこれまでの自分の考えを改めることにした。人権を重んじるというのは、簡単にいえば人を大事にするということ。今までの僕は自分の人権や苦難を主張することが人権だと信じて、他人という存在やその人権を蔑ろにしていた。誤解を恐れずにいえば、加害者サイドにいた。僕は42歳。もう手遅れかもしれないが、これをきっかけに生まれ変わりたいと強く思っている。

 

僕は初めての参加だが、そのセミナーはいくつかの会社の代表や担当者が集まってすでに何回か催されていた。コンテンツは講師による人権とその成り立ちについての講習と小グループトレーニングの2部構成。5~6人のグループに別れて、各々が今抱えている悩みを打ち明け、それについて皆で語り合い解決を見出すのである。ぱっと見、単なる悩み相談室にしか見えなかったのは僕の劣悪な人権意識のせい。恥ずかしいかぎりだ。

 

各々の悩みは通俗的でくだらないものに人権意識の薄い僕には思えた。「心を許しあえる友人がひとりもいない」「家族にいえない秘密があります。打ち明けるべきでしょうか」「人生の意味が見いだせない」「心にもない、キツイ言葉を人に浴びせてしまう」「マンション共用部に打ち捨ててあるゴミを私が捨てても捨てても捨てる人が絶えません」などなど。それらの悩みを皆で受け止め「君だけが悩んでいるのではない。ここにいる誰もが悩める子羊なのです」「あなたには友人がいます。あなたの目の前にいるじゃないですか」「人生の意味を見出せないと見出すことが出来た人生ほど意味のある人生を私達は知らない」などとときに笑って、ときに涙を浮かべて、肩を叩き、励まし、慰める。美しい世界がそこにはあった。人権を重んじれば悩んでもどうしようもないことをわざわざ悩める充実した人生を送れるのだ。実に素晴らしい。光が射した気がした。

 

僕の順番が来た。抱えてきた悩みを出会ったばかりで大して親しくもない友人たちに吐き出し、赦されるのだ。「私はEDです。妻とは一度も関係したことはありません。精子も少なくて子供を持つことは諦めました」透明な闇のような僕の深い悩み。誰も、何も、言わない。友人たちは重すぎる悩みに潰れてしまいそうに見えた。人権を重んじるとは他人を大事にすること。友人たちよ。子羊を見捨てることなかれ。重苦しい空気を引き裂くようにリーダー的な役割の人が口を開いた。「大変だね。じゃっ、次」軽っ。このように僕の悩みは極めて軽く処理されたのである。

 

結局のところ、飛び入り参加の他人の悩みなんてそんなものなのだ。そこには《悩みは誰もが共有できる一般性と普遍性》を持つものでなければならないという暗黙のルールがあった。僕の吐き出した悩みはごくごく個人的、かつ特殊すぎた。いいかえれば僕の人権なんて軽く扱われるような、たったこれっぽっちのものにすぎないのだ。これまで僕は加害者意識を持ちながら人と付き合ってきた。間違っていた。しくじっていた。僕は軽んじられた人権の所有者。これからは被害者意識全開で生きていこうと思う。(所要時間12分)