Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「あなたは子供がいないから人生楽勝ですね」と言われた(2年ぶり春夏通算19回目)

先日、同僚から「部長は子供がいないから人生楽勝ですね」と言われた。失礼極まりない。このテーマはこのブログで何度も取り上げている。それだけ言われているということ。職場の同僚と学生時代の友人において50代で子供がいない僕は、圧倒的に少数派。目立つのだろう。少数派に対して無自覚で容赦がないのは日本社会の特徴であり悪いところだ。怒らなければダメだ、という意見もあるだろうが、こういった発言をする人は哀れみと軽蔑の対象であり、同じ土俵に立って争うものではない。仕事上少なからず付き合う必要があるため、心の中の「距離を置く」フォルダにぶち込んで、何事もなかったように無視すればいい。怒るのは時間とカロリーの無駄。親兄妹ではない僕に、彼らを修正する義理はない。

「子供がいない」は本当に楽なのか。全然実感ない。いないことによって、失礼極まりないアホ言葉を浴びたり、子供と母ちゃんの乳奪いあいゲームが出来なかったり、マイナス面が大きい。「パパやめて~、このミルクは赤ちゃんのものよ~」と叱責される経験が出来なかったことが、今後の僕の人生に負の影響をもたらすのは間違いない。子供がいることで得られる喜びは得られず、「子はかすがい」といわれるように、子供で絆が保たれることもない。小遣いも少ない。尿漏れは酷いが、子供がいないために父親の威厳は芽生えず、股間にはいつもうっすらと千葉県型の染みがある。不謹慎だが、メリットは一家心中の危険性がないくらいでは?子供がいなくても、「心中宵庚申」のような夫婦心中の危険性はあるので、メリットとしては弱いけど。 

子供がいると大変なのは理解している。子育ては肉体的精神的経済的に大変だ。だが、あくまで想像だけれど子供がいるから頑張れるということもあるはずだ。会社上層部から理不尽な言葉を浴びせられたとき、僕は「クビになってもいいや」という精神で「お言葉ですが…」と言い返してしまうが、「家族がいるから我慢した」といって子供がいる同僚は耐え忍ぶことができている。そのほかにも子供がいるという要素がポジティブに働いているように見えることは多い。「子供がいる/いない」のどちらの難易度が高いのだろう。その人次第、どの要素を重視するかで変わる。人それぞれで前提条件が違うので比較が難しいし、ひとりの人間が同時に「子供いる/いない」の経験ができないので、サンプルが取れないからだ。強いていうなら、どちらともいえないが答えになる。
 「子供がいないと将来不安じゃないですか?」と言われることもある。これも、いないから楽勝の亜流で、失礼極まりない言葉だ。不安と子供の有無の関係がよくわからない。文脈から、歳を取って病気やケガで身体が不自由になったとき、仕事を辞めて経済的に苦しくなったとき、子供がいないと助けてもらえないということっぽい。あるいは孤独に死んでいくのは寂しすぎるということかも。死ぬときは誰でも孤独だから、子供の有無は関係ない。そもそも孤独に死ぬことのどこが悪いのだろう。子供に囲まれて昇天したいなんてエゴだろう。子供がいない僕がいうのもおかしいが、子供を自分の人生を飾る何かと思っているとしか思えない。歳を取っても子供がいれば安心という考えも同じだ。子供を保険と勘違いしているのではないかな。自分の将来は自分で何とかできるように今から対策を考えましょうね、としか言えない。
「子供がいないと楽勝」「子供がいないと将来不安じゃない?」といった言葉に、僕が反論しないのは、発言主の子供に対する問題や疑問を僕に投影しているにすぎないからだ。前者は「子供のせいで大変」、後者は「子供がいても不安」のあらわれである。失礼極まりないと繰り返してきたが、これらの発言は僕に対してよりも、自分の子供に対して失礼極まりないものなのだ。子供のいない人生をうらやましがるのはやめましょう。人生は人それぞれ。子供のいない人生は、それはそれでなかなかハードモードなのだ。小遣いは少なく、レスや不能を疑われ、子供関連の楽しそうなイベントは経験できないのだから。ま、僕は今のところ、おかげさまでギリハッピーだけど。(所要時間22分)

夫婦別姓より大事なもの

夫婦別姓が議論されている。つい先日も、経済界のボスっぽいおじさんが、夫婦別姓の導入を記者会見で主張していた。国際基準で仕事をする上で必要なのだろう。導入は、既に個人に対して番号が付与されているから、多少ドタバタする位で済むのではないか。社会が混乱する、破壊されるという意見もあるが、それくらいで壊れるような社会は壊れて作り直した方がいい。選択制か強制か、議論を尽くして導入するかどうか決めてもらいたい。他人事のように述べているのは、他人事だからだ。我が家はすでに夫婦別制である(別姓ではない)。

どういう名を名乗るかは、個人の権利の問題だ。選べるようになるのが自然だ。現実社会の一部であるネットやオンラインゲーム上の名前が自由に設定できるように、夫婦どちらかの姓といわず、現実社会も名前を自由に設定できるようにするのが理想だろう。

夫婦は個別に行動する時間がもっとあってよい。僕個人の意見だが、日本の夫婦は一緒にいすぎる。四六時中一緒にいるように見える夫婦も見受けられる。配偶者のことを相方と呼んでるのを見ると脂ギッシュなオッサンに背中から尻をじっとり舐められるような感じがする。「夫婦で笑顔の絶えない家庭を作りたい」なんて言葉を見聞きするが、理想にすぎない。結婚は笑顔の7日間が終われば、苦難と絶望で身を削りながら進んでいく地獄の進軍である。ハードな地獄の進軍では名前などどうでも良くなってくる。事実、我が家は互いを名前で呼ばなくなって久しい。育ちのいい僕は、奥様の名を「さん」付けで呼ぶが、奥様は僕を「ねえ」「あんた」「ちょっと」と親しみを込めて呼ぶ。機嫌がいいときは「キミ」。すでに名前は死んでいる。そのため、名前や別姓などどうでもいいのである。別姓とは、夫婦それぞれが個人としての権利を持つということ。別々の姓を名乗るのはあくまでその一部にすぎない。僕は生来温かみのある人格であったが、このような達観に至ったのは現在の奥様と結婚したからである。僕を戦士にしてくれてありがとう。

 我が家はお互いを尊重した各々独立した生活ができている。結婚当初から寝室は別だ。洗濯物も別。他の夫婦関係に密着した経験はないので想像になってしまうけれど、歯ブラシを共有したり、風呂やトイレを一緒に使ったりすることはない。食事は同じものを食べた方が経済的なので同じものを食べているが、休日の半分くらいは個々に自由に行動する(先日、ひとりで鉄道博物館へ行った。楽しかった)。

互いに趣味を押し付ける事も無い。ときどき奥様から意見や思想を押し付けられる事はあるが、表面上だけ賛成しておけば、内心で「そんなことあるわけねーだろ」と思っていてもオッケー。映画やライブも別々。映画館まで行って、奥様は「永遠の0」僕は「ゼログラビティ」を鑑賞したこともあった。どちらがセンスがあるのかはあえて言わない。奥様のセンスが僕に干渉する事は無いからだ。つい先日も、奥様が映画館でオッペンハイマーで、僕は自宅でオッパ〇ドウガーだった。だが、我が家レベルで夫婦別々の生活を達成していても、夫婦個々の権利が守られているとはいえない。

僕は、夫婦別姓が夫婦各々の権利を守るものなのか懐疑的だ。オッペンハイマー/オッパ〇ドウガーで夫婦間の独立を果たしている先進的な我が家においてでさえ、経済的自立、つまりお小遣い制の廃止は実現していない。別々の姓を名乗ったくらいで経済的自立を勝ち取れるとは思えない。先述のとおり、ハードコアな夫婦関係において名前は失われる。名前よりも大事なのは金である。夫婦間の独立がなされていても、月額19,000円の小遣いでは事実上、何もできない。個人の権利は経済的独立の上に成立するのだ。夫婦別姓の前に強制的夫婦別口座、小遣い制の廃止を真剣に議論していくべきだと僕は考える。なお、小遣い額のアップの交渉は、「君にもっと経済力があれば考慮してもいい」という悪魔の一言で打ち切られてしまった。地獄の行軍はまだはじまったばかりだ。きっつー。(所要時間27分)

ぜんぶ「プロジェクトX」のせいだ。

ぜんぶ、「プロジェクトX」のせいだった。僕が勤めている会社上層部のクソ・ムーブが悪化したのは、今春放送開始の「新プロジェクトX~挑戦者たち~」の影響だった。上層部が週末の会議で「プロジェクトXみたいにできないのか」「土曜日に放送されているから見たほうがいい」と言っていたから間違いない。

www.nhk.jp

「プロジェクトX」はオッサンのオッサンによるオッサンのためのおとぎ話だ。ある難易度の高いプロジェクトの成功を目指し、様々な課題や困難をオッサンたちが乗り越えていく血と汗のドラマだ。特徴はプロジェクトの意味や技術の凄みではなく、関わったオッサンたちの人間ドラマにフォーカスしていること。その作りが「俺たちは空に輝く星のように華々しくはないが、地味に人々の暮らしを支える地上の星なのだ」というオッサンのプライドを刺激してウケた。自分も「地上の星」になれるのではないかという夢を抱かせた。オッサンは自分が好きだからだ。平成まではそれが通じた。だが令和の時代にプロジェクトX的な価値観、仕事観はいかにも古すぎやしないだろうか。残念ながらオッサンたちの血と汗と涙で勝てる時代はとっくに終わっている。だいたいのビジネスマンはそのことがわかっていて、プロジェクトXをおとぎ話をして楽しんでいる。だがプロジェクトX復活でプロジェクトX的な働き方が今もイケると勘違いをする人たちも中にはいる。それが当社の会社上層部だ。

たとえば、僕の勤めている会社では人材流出と人材確保が課題となっている。各部署の責任者が協力して、定期昇給額や賞与の増額などの対策を練っている。先日、そんな僕らの思惑を無視し、会社上層部がトップダウンで現場社員の給与を月2,000円上げた。結果は最悪。「月2000円…ナメとんのかコラ!」とかえって現場の人材流出ムードは高まってしまった。そんな逆風にめげずに僕らは取り組んでいる。所定労働時間内で問題を解決しようとしている。その姿勢が会社上層部は不満らしい。僕ら部長級に「仕事が終わったあと、夜に対策会議をやるくらいの熱意を見せろ」と言ってきたのだ。夜な夜な部長達が集まり、残業代返上で真剣に取り組んでいる熱い姿を部下に見せることが問題の解決につながると考えているのだ。プロジェクタェーックスッ(例のアレ)。これまで「残業は悪」「残業するやつは仕事ができない」と罵っていた会社上層部が突然の残業推奨。プロジェクトXの影響としか思えない。

また、ウチは食品会社で常に新商品の開発を行っている。これまで上層部は新商品について、コストと売上と利益しか興味を示していなかったが、今月の開発会議から「現場第一主義」をうたって突如参加。会議の冒頭で「ニーズに背いた商品開発が当社の生き残る道」という意味不明な訓示をして和やかなムードを作り上げてくれた。プロジェクタェーックスッ(例のアレ)。現場第一主義。現場の声を聞く。これもプロジェクトXの影響だろう。当社の看板商品を試食して「他社はこんな優秀な商品を開発しているぞ!開発部門はなにやっているんだ!」と絶叫して開発者に喝を入れるのもプロジェクトXの描く熱いリーダーの間違った解釈だと思われる。

まだある。当社は縦割り組織だが、本部自体が小規模なこともあって、部署間の協力体制はできている。部署間のセクショナリズムは強くない(皆無とはいえないが)。僕の経験では、営業部門の長として他部署に協力を求めて拒否をされたことはないし、その逆もないはず。ところが会社上層部は、縦割り組織の弊害を憂慮して、部署の垣根を越えた飲み会の来月開催を決定した。「縦割りで意見も交わさず非協力的かつ硬直化した組織体制」というプロジェクトX的な妄想にとらわれているとしか思えない。「こんな会話もままならない縦割り組織(妄想)では、部署間でいがみあっているばかりで(妄想)一丸となって目標に向かえない!(妄想)」。そこで上層部が解決策として打ち出したのが飲み会。プロジェクタェーックスッ(例のアレ)。令和の時代に飲みにケーションで意思疎通。しかも参加者から会費3000円徴収。現場社員の昇給額より多い。ふざけているのか。

他にも会社上層部は「無茶な納期設定」「不採算部門からのミラクルな商品で逆転」「大義のためには人命もしかたない」などを口にするようになっている。これらもプロジェクトXの影響だと思われる。

このようにプロジェクトXのせいで当社の混乱は悪化している。NHKには老人の中にはおとぎ話をおとぎ話として受け取ろうとしない人がいることに留意して番組を制作していただきたい。かつて番組に夢中になった60代70代を、「モーレツな労働は正しかった」という誤解をまねくような描き方で変に勇気づけないでほしい。プロジェクトXで描かれる、血と汗と涙でつくられた熱意と団結があれば勝てるという勘違いが、日本が世界で勝てなくなった理由だ。だからこそ、僕や僕よりも若い世代は、ふたたび点灯した迷惑な地上の星たちを潰していかなければならないのだ。(所要時間30分)

人材流出阻止目的で臨時昇給を実施したら地獄の門が開きました。

会社が大荒れ。上層部が行った臨時昇給がその原因。一般的にポジティブなイメージのある昇給イベントで地獄になるのはめずらしいことである。説明しよう。当社は特に現場において人材不足状況が問題になっている。会社上層部は、人材流出阻止のため「ギリギリの経営判断で現場の皆様の昇給を決定いたしました」と社内メッセージを送り、現場社員を対象に臨時昇給を突如実施した。典型的なトップダウンである。

ところが昇給額が一律月2000円。しょぼすぎ。それを知った現場社員から「ギリギリに切り詰めて2000円なのか?」「2000円しょぼすぎないか?」「バカにされている気がする」など、絶望感が強まり、流出ムードが加速してしまった。最悪の結果だ。

僕ら部長クラスは、このトップダウン決定を事後に知らされた。事前に知っていたら、現場の反応と絶望を正確に予測できたし、昇給額が2000円ということもなかったし、最低でも「ギリギリの経営判断」という文面をメッセージから削除していただろう。いずれにせよ後の祭りだ。この決定に関わらずに済んだことを今は感謝している。残念ながら他人事というわけにもいかない。連休明けから営業部長の僕も現場からの「この会社の施策はふざけているのか」という声への対応に追われている。

1人月2000円であっても、相応の人数に支給するとなれば大きな金額になる。費用対効果はマイナスだ。なぜ、上層部がこのような阿呆ムーブをキメたのか。それは金融機関からの天下りメンバーのため、業界と現場を全く知らないからである。現場は知らないが、現場からリスペクトされたい、という気持ちが強い。そのため、現場介入をたびたび行っているがすべてしくじっている。たとえば昨年末ニュースになった宅配冷凍クリスマスケーキ事件は覚えているだろうか。当社は同様に冷凍食品を扱っている。上層部は急遽、現場視察を実施。5人仲良く車で冷凍倉庫に駆けつけ、倉庫を外から見て5人並んで腰に手を当て指差し呼称「ヨシ!」をキメる姿を現場スタッフに目撃されるという愚行を犯した。彼らは現場からよく思われたいのと同じくらい、現場からナメられたくないという気持ちが強い。そのため、現場で的外れなポイントを視察したり、素人丸出しの質問をするのを回避するのである。バカにされたらリスペクトされないからだ。こうして現場介入にしくじってきた彼らは、手っ取り早く現場からリスペクトされるには昇給だと安易に考えたのは想像にかたくない。

会社上層部は、「今回の臨時昇給を事前に知って、了承したことにしてくれ」と僕ら部長級に依頼してきた。後付け連帯責任。自らトップダウンを強調したのに今更なかったことにするつもり。僕は上層部に質問した。「もし今回の施策がうまくいっていたら、上層部の皆さんの成果になっていましたよね。そのとき、私は無関係とされますよね。いやむしろ部長クラスを排除してうまくいったと会社内で言いまわりますよね」。上層部は「まぁそうだね。そういうことになるね。なぜなら我々が決めたことだから」と実に都合の良いことをいうので「拒否します。私は事前に知らされていません」と答えた。当たり前である。会社上層部は僕からそういう反撃が来るとは思っていなかったらしく、口を大きく開け、首をかしげ、悲しそうな表情を浮かべた。馬鹿にしているのか、単なる馬鹿なのか、わからない。あるいは軽度の痴呆かもしれない。

上層部は、現場社員の給与を上げる「姿勢」を見せることが大事だと勘違いしていた。金額の問題ではないという見込み違いである。完全に間違っている。労働者は金額が全てだ。昇給だけで嬉しい、金額は関係ないという人間は存在しない。また、恩着せがましさも裏目に出た。経営状況や社会情勢を鑑みた感じ、社内で慎重な話し合いを経た感じ、それらを演出するための「ギリギリの経営判断」と言うワードを使ったのが最悪であった。つかセンスなさすぎ。やった感を醸し出すためのギリギリは、会社の経営状況がギリギリと捉えられた。まぁ普通そう受け取られるよね。

炎上はされに延焼中である。現場以外の本社や支社、各営業所の社員から「なぜ現場の社員だけなんだ」「差別だ」と言う声が上がっている。人間とは面白いもので、たとえ月2000円の昇給であっても、自分が対象外とされるとムカついてくるのである。2000円が20,000,000円のような気がしてくるのである。さらに、現場社員に限定したことによって現場で一緒に働いているパートからも不満がでている。パートスタッフも人材確保に苦労しているのに、時給アップはされなかったのである。上層部に確認したら「パートがやめても代わりはいるもの」と綾波レイのように言っていた。現場がわかっていない。

この問題の対策会議に営業部長の僕も強制参加させられている。昇給対象のパートを含む全社員への拡大、昇給額のさらなるアップ、パート時給のアップしかないように思われる。それでも会社上層部は「昇給だけでもありがたいのに、金額について文句を言うとは現場社員は贅沢だ」と自らの失敗を認めていないので、これからも同じような事は繰り返すだろう。社員は馬鹿じゃないので、同じ仕事であればより良い環境、より賢い上層部を求めて、同業他社に移っていくものは出てきても仕方ない。止められない。このように、行動力のある権力をもった無能がいちばん厄介なのである。

なお、僕の会社員生活において今回の人材流出策はワースト2位に留まっている。さらに輪をかけて酷いワースト1位がある。だから、まだ耐えられる。以前勤めていた会社上層部は、人材流出を阻止するため、あえて退職金制度を廃止した。退職金がなくなれば必死に今の状況にしがみついて働く、つまり転職を考えなくなるというワンダーな思考によるものであった。この政策は、効果てきめんであった。退職者が続出した。僕もこれでやめた。お金うんぬんではなかった。行動力のある無能と付き合うのは耐えがたいからである。このように、労働者が働きたいと思う職場環境には会社上層部も含まれるのである。(所要時間33分)

会社上層部に疎まれて着実に退職に追い込まれている。

僕は食品会社の営業部長、先日、ある問題社員を上層部から託された。営業部門は表向き「会社の看板を背負っている」と持ち上げられるが、他の部署でパッとしなかった人材が送り込まれてくる姨捨山のような場所でもある。僕は会社から珍獣使いとして評価されている。自称必要悪くん、「刺身が生だ」部長、仕事中の居眠りが止められない眠狂四郎君、役職を与えられれば本気出しますよ氏、言われたこと以上の仕事は出来ませんマン……思いつくだけでここ十年くらいの間にこれだけの厄介な人を面倒を見てきた。時間の無駄であった。これからの職業人生でこの無駄な時間を少しでも取り返していきたい。と心に誓った矢先にこれだ。

問題社員はクライアントから運営を委託されているレストランの責任者だ。腕はよく、客先からの評価は高い。その一方で問題をたびたび起こすため取り扱いが難しい。手を焼いた上層部が珍獣使いとして評価を得ている僕に彼を任せたのだ。上層部からは「一任するからフリーにやってくれ」と言われた。実際に問題の社員と会ってみて、会社上層部が彼の取り扱いになぜ苦労しているかはすぐにわかった。当該社員は阿部寛似で睨まれると圧力を感じた。ただし身長が阿部寛より25センチほど低いためその圧力は弱かった。アベちゃんは大酒飲みで無断欠勤を繰り返していた。だが、腕は確かだった。客先からの評価も高い。上層部は、アベちゃんを何とかコントロールして客先からの評価を継続したいと考えていた。一方、アベちゃんは、客先からの高い評価を背景にふざけた仕事をしていた。守秘義務があるので、ここには書けないが、無断欠勤以外にも問題はたくさんあった。レストランの運営は当初うまくいかなかった。責任者となったアベちゃんが運営を安定させた。その実績によって客先から信頼を得ていた。そのため、上層部はアベちゃんに問題があっても目をつぶって放置していたようだ。

上層部が僕に期待したのはアベちゃんを制御することだった。僕の出した結論はシンプルだった。解雇だ。本人に反省がなく改善の見込みがないと判断した。理由を淡々と伝えたらアベちゃんは納得していた。未練もないようだった。「俺がいなくなったらあのレストランの仕事がなくなるかもしれませんよ」と言われた。「結構です。こちらの問題です。君には関係ありません」と答えた。「こんなふうに社員を乱暴に切っていいの?部長さんはそんなに偉いの?」「僕も社員なのであなたのような仕事をしていたらクビになるでしょうね」「部長さんご家族は?」「資産家の娘である妻と小学6年と3年の娘。それからシベリアンハスキーと港区白金台の一軒家で暮らしている」嘘である。もう会うことのない人にプライベートを教える意味がないので、僕が目指していた理想の家族を教えた。「忘れないぞ部長さんのこと」脅迫かしら。「この会社の事はすぐ忘れて、新しいところで頑張ってください」。心優しい僕は、本人からの退職という形で終わらせた。脅迫に屈したわけではない。

 僕の対応は、会社上層部から非難された。叱責を受けた。「問題から逃げただけだ」「問題に対処していない」「1番楽な解決法を選んだ」等々。社内規定に反している人間を見逃すことはできない。特定の客先からの高い評価を得ていたとしてもだ。それで免責されるような組織は腐っている。結局のところ、会社上層部は僕が気に入らないのだ。僕がどのような対応をしても非難されるのだ。「客先からの評価はどうなる」と会社上層部から詰問。「そんな評価はクソでしょう。問題人物で獲得した評価をあてにする位なら撤退したほうがいいです。対応してこれまでよりも良い評価を得ればいいだけです」「そんなことができるのか」「わかりません。客先に説明して理解を得てしっかりとした対応を取る。我々がやるべき事はこれだけですよ。皆さんがやることですよ?わかってますか」と助言したが返事がない。ただのしかばねのようだ。

連休明け。会社上層部は当該客先に赴き、自らの手で問題社員を解雇したので今後ともよろしくお願いします、と挨拶したらしい。クソが。僕は脅迫されたのだ。命を狙われているかもしれないのだ。今この瞬間もアベちゃんは僕の家族(架空)を狙って、白金台でシベリアンハスキーを探しているのかもしれない。恐ろしや。会社上層部は僕に様々な難題を押し付けて退職に追い込もうとしている。薄々気づいていたけれども最近はそれを隠そうともしない。それがムカつく。会社上層部の意のままになるのは嫌なので、相手の神経がすり減る位に嫌がらせをしながらギリギリまで会社にいたいと考えている。50歳をこえて転職活動するのもダルいからね。これが正解なのか、そうでないのか、僕にはわからない。(所要時間32分)