Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

営業職の仕事でAIを使うには「妥協」か「発想」が必要。

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僕は食品会社の営業部長。昨年から営業の業務にAI(生成AI)を導入して、効率化とコスト削減をすすめている。まず、初期の企画提案書に添付するイメージやパースを業者からAIに切り替えた。理由は、中小企業なのでビジネスになるかどうかわからないものにコストをかける余裕がないため、それから、一件当たりにかける労力を下げて多くの案件にエントリーするためだ。これまでは業者に依頼していたけれどもコストとスピードの点で不満があったのだ。ただ、正式な企画提案書には精密な図面やイメージ図が必要になるため、そこでは業者の力がまだまだ必要だ。つまりAIを使うところと使わないところを分けて仕事をしている。AIで作成したもののクオリティーについては、そこそこ、及第点といったところ。初期段階のイメージ図なら許せるというレベル。ちょっと著作権的に危ない感じもするので使用には注意が必要ではある。

先日、部下が作成した企画案にがっかりした。体裁が整っていて、論理的に破綻がなかったのだ。現在のトレンドや顧客のニーズを拾い上げて、的確なプランとその効果が記載されていた。まとまってはいたが、ごくありふれたものだった。ひとことでいうと意外性がなかった。その部下はトレンドや常識から外れたぶっとんだアイデアを持ってくるのが長所だった。彼の、ぶっとんだアイデアに対して、どう実現していこうか考えるというのがチームの強みだったので、僕はがっかりしたのだ。案の定、それはAIで作ったものだった。

企画提案のアイデア出しとそれのまとめにAIを使っているけれども、作られたものに面白味は感じない。尖ったところがなく、無難なのだ。一見すると、内容はまともで、論理的で、見落としていた部分も拾い上げてくれて、体裁が整っているので、こんな感じでいいかも、と思うのだ。それは妥協だと僕は思う。「こういうものが欲しい」というものから離れていても、こんな感じかな、と妥協してしまうのだ。真面目な人が真面目な顔で真面目に語ってくると面白味はないけど説得力があるので、まあそれでいいじゃないか、と妥協して賛成してしまうようなものだ。体裁が整っていることに人間は弱いのだ。

昨年末に、とあるコンペにおいて同業他社の企画提案書を見る幸運に恵まれた。驚いた。おそらくAIを使って作成したものだと思われるが、当社がAIで作った不採用にした企画とほぼ同じだったのだ。独自技術と開発力のある巨大企業は別として、ごく一部の例外を除けば、中小企業に特別アピールできるものはない。その証拠に地方のテレビで放送されている中小企業のCMはどれもこれも「地域密着」と「信頼と実績」「創業何年」しか謳っていない。事業規模・事業圏、サービスや商品が類似した中小企業がAIをつかって企画案を作成すると、似たものが作られてしまう可能性があるようだ。つまり与えられる材料が同じであれば、AIは同じものを吐き出すのなのだろう。

これまで中小企業の営業として僕がやってきたのは、大企業にはできない無謀なチャレンジとか、細かすぎて効率の悪い仕事とか、ハッタリをかますとか、年間数万円にしかならないニッチな仕事とか、人の気持ちの裏をかいたり、意表をついたりするような企画提案を考えることだったけれども、そういう類のものをAIは苦手としているみたいだ(今のところ)。真正直すぎるのだ。それでいて嘘を真実のように言うから困りものなのだ。厄介だ。

それでもこれからの時代を平凡な中小企業が生き残っていくためには、AIをうまくつかって効率よく業務をすすめていくことが不可欠だ。企画案なら、AIが作り出したものを「体裁いいよね」って妥協して採用するか、既存の常識にとらわれない斬新な商品やアイデアを苦しみ抜いて考えてAIを使って企画にまとめていくか、この二つだと思う。できたら後者にしたい。というわけでAIを使って平凡な企画を作成した部下に「体裁や常識はいいから君の発想を企画にまとめてみて」と指示を出したら、速攻で、老人ホームの利用者向けに「通夜振る舞い食イベント」企画をもってきた。斬新だ。間違いがあっても困るので念のために「通夜振る舞い食というのはお通夜のあとに遺族が食べるあの食事だよね」と確認したら「そのとおりです」と部下は答えた。縁起が悪すぎるので却下したのは言うまでもない。だいたいクライアント(老人ホーム)に出せるわけがない。まずは、「通夜振る舞い」を老人ホームで再現することの是非について、AIに相談してもらいたかったものである。(所要時間26分)最新お仕事エッセイ本はこちらです。

「仕事に『やりがい』を感じない」と部下から言われます。

僕は食品会社の営業部長だ。3月である。年度末である。気分が沈む。というのもこの時期はノルマ未達見込みの部下が作り上げた出来の悪い言い訳を聞かされるという苦行が待っているからである。彼らは先行きの見えない社会を呪い、己の不運を嘆く。「仕事にやりがいがない」「モチベーションが上がらない」と真顔で言う。彼らは、失敗の理由がわかっていながら、言い訳をする。聞くだけ無駄だ。やりがいはない。でも仕事だから真顔で聞く。ひととおり話を聞き、アドバイスしたあとで「やりがいは仕事に必要かな?」と質問する。彼らから、やりがいは不可欠ではないけれどあった方がいい、という答えが返ってくる。そんな彼らに僕が出来ることは「仕事は生活のためにやるものだよ」と言うことくらいしかない。

仕事についての考え方は人それぞれである。だがそれでも僕は仕事は生活のためにやるものであり、それ以上でもそれ以下でもないと考えている。生活はやりがいより圧倒的上位にある。やりがいがなくても、気分が乗らなくても、対価をもらっている以上、生活のためにやる。やるしかない。それが仕事というものだ。二十年前、僕はとある有料老人ホームで働いていた。厨房スタッフに欠員が出て、その補充で派遣されたのだ。当時も今も同じ営業職だ。厨房仕事は僕の本業ではない。もちろん不満はあった。モチベーションもゼロだ。やりがいなんて一ミリもない。それでも仕事だからと自分に言い聞かせて、納得させ、早番から遅番までこなした。欠員自体、一応、やりがいが原因ということになっていた。「毎日、淡々と食事提供する業務に対してやりがいを感じられない」という理由でスタッフが離職していた。そういわれたら「まあしょうがないよね」としか言えない。やりがいは便利な無敵ワードなのだ。

確かに、その老人ホームの業務は、食事提供時間にあわせて調理盛り付け作業を粛々と進めていくものだった。献立や指示書通りにこなす。個性は出せない。そのうえ個人対応が細かく神経を使う。間違えると命にかかわるから責任も大きい。それでも、決められたことをこなしていくだけの仕事だ。だから、そこにやりがいを感じないという言い分はわからなくもなかった。でも、仕事だからやるしかないのだ。なぜなら仕事はやりがいのためでなく生活のためにするものだからだ。

厨房スタッフの定数がそろわないので、完全調理品や冷凍食品を多用して工程を簡略化しようという意見が出たが、話し合いの結果、手作り感のある食事を続けることになった。仕事は生活のためにある。その生活は客のものでもあるからだ。有料ホームに入っている人の生活のなかで食事は大きな割合を占める。その食事を変えることは生活を変えることになると考えたのだ。その方向性が正しかったのかはわからない。ただ、良かったとは思っている。ある日の夕方、僕が食堂のテーブルを拭いているときに入居しているじいさんから声をかけられた。彼はブルース・リーに酷似していた。ブルースは「ここの食事は家庭のごはんを思い出すよ」と褒めてくれた。ブルースは元気で陽気なじいさんだった。ホームの夏祭りではどこからか持ち込んだ一升瓶を片手に顔を赤くしていたのが印象に残っていた。ブルースは翌日ホーム内で突然倒れて亡くなった。ブルースが生前最期の食事と、かつて自宅で家族と食べていた食事とを重ねられて本当によかった。そしてそのとき僕は、仕事は自分だけでなく相手の生活のためにあることを再確認した。

仕事は生活のためにある。生活とは仕事として製品やサービスを提供する側の生活であり、提供される側の生活でもある。仕事はクソつまらないけれど、生活のためだからやれるのだ。また、やる価値があるのだ。それが仕事というものであり、やりがいのあるなしで仕事に影響が出るなど論外なのだ。これまで僕は、ブルースじいさんの胸熱エピソードを話してきたけれど、ゆとり世代の部下からは「やりがいがない仕事なんて夢がないっすよ」という薄味の反応しか返ってこなくて、そのうち、やめてしまった。Z世代からは「コスパが悪い」と笑われるだけだろう。

僕はやりがいを否定しない。実際、ブルースの生前最期の言葉にやりがいを感じた。だが、それは仕事の副産物だ。やりがいは仕事の目的ではなく、仕事をするなかでときどき出会えるラッキーな宝物みたいなものなのだ。そんな出会えるかどうかわからないラッキーを仕事の目的にしていたら、うまくいくわけがないのだ。僕はそう思うよ。(所要時間25分)昨年出したエッセイ本です→

 

プロ経営者が あらわれた!

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僕は食品会社の営業部長だ。先日の会議で、会社上層部に「なぜ業界のことを知ろうとしないのですか?」と質問をした。彼らは金融機関からの出向でやってきて、取締役におさまった。そして、十年もその立場にあって業界の知識とコネがゼロで、的外れなことばかりしている。先日も受託している社員食堂の販売価格を、委託契約を無視して上げようとして先方とトラブルになりかけた。「牛丼屋だって自由に価格に決めている」が言い分であった。外食産業と給食事業の区別がついていないのだ。質問に対する専務(上層部トップ)の回答が想定外だった。「あえて学ばないようにしている」と彼は言い切ったのだ。「君たちは業界の知識常識に縛られているが、私たちはフラットな視点で見ることができる。なぜかわかるかね営業部長」。わからない。わかりたくもない。「我々はプロの経営者だからだ」と彼は付け加えた。プロ経営者があらわれた!

プロ経営者と聞いてフラットな気持ちになった。プロとは仕事人である。対価を得るために商品やサービスを提供する。そのために必要な技術を習得して実戦で経験を積む。それが仕事人だ。フラットな気持ちでプロについて考え、思い浮かぶのは、子供の頃に川崎球場で見たロッテオリオンズの落合選手だ。贔屓目に見ても数十人しか客がいないライトスタンドに淡々とホームランを打つ姿は幼い僕に「プロ」の凄みを教えてくれた。翌日のスポーツ欄に観客動員五千人と書ききった記者のプロ意識も忘れられない。また、我が家の奥様もプロの仕事ぶりを評価している。変な犯罪が報道されるたびに「もしムラムラしてどうしようもなくなったらプロの店に行ってくれ」と僕に懇願してくる。それくらいプロはすごいのだ。

それに対して当社の会社上層部はどこがプロなのかまったくわからなかった。真顔でプロ経営者を自称されると、フラットな気持ちでいようとしても思わず(笑)になってしまう。そもそも経営者はプロだ。プロでない経営者などいるのか。プロ経営者が経営に参画して酷いことになった企業は数知れない。なかでもマーケットの専門家やマーケターは地雷。でも、招へいする側が悪い。わざわざ「負ーけっと」「負ーけたー」と名刺に記載されているのだから。市場が読めるという傲慢と、成功体験だけを記憶して失敗を忘却する図々しさがよろしくない方向へ企業を動かす。大金を集めて沖縄にハリボテのジェラシックパークを築く。きっつー。

会議は衆院選の話題になった。食料品が減税の対象になったら事業に大きな影響が出るからだ。僕が「プロ経営者のフラットな視点から見て今回の結果はどうですか」と話を振ると、専務は「まだまだ世襲議員、二世三世が多い。全然駄目だ。政治に染まっていない、フラットな視点をもった人がこれからの政治には必要なのではないか」と発言した。ごくごく平凡で予想通りでフラットな意見だった。上層部のメンバーが口々に、さすが、わかってらっしゃる、と専務を持ち上げた。

するとそれまでニコニコと楽しそうに話を聞いていた社長が「私も二世なのだが」とひとこと言った。抑揚のないフラットな口調だった。一瞬で会議室の空気が重苦しくなる。会社上層部たちは、あっ、という声にならない声をあげた表情でかたまった。それから社長は会議室にいる人間一人一人に「なんで二世はダメなのかな」と詰めていった。「社長は特別です」「例外です」という哀れな老人たちを「その特別な理由を聞かせてください」「例外という答えは答えになっていませんね」と追い詰める社長。詰められた人たちの心電図がフラットになっていくようだった。社長はプロの殺し屋だ。

いよいよ僕の番。答えを間違えたら最悪、失脚。フラットライナーズの仲間入りだ。咄嗟の機転で「メジャーリーグのグリフィーはお父さんも良い選手でしたが、息子さんの方がメジャー史に残る名選手ですよね」と言った。社長は満足したようにうなずいた。ありがとうメジャーリーグ。僕の次に詰められた経理部長は僕が野球で乗り切ったのを真似して、長嶋茂雄・一茂親子を持ち出した。カズシゲはアウトだろう、怒声が来ると思って身構えていたら、社長は「一茂は売れっ子だからね」と許していた。社長の怒りポイントがわからない。

ここまで読んでお気づきだろうか。僕は、会話を誘導することによって、自らの力を使わずに対抗勢力にダメージを与えている。すなわち僕はプロの工作員。こんなクソみたいなデスゲームに勝ち残りながら、僕は会社員人生をなんとか生きている。会議の終りには、専務も心電図フラットから生き返って「次回の会議ですが」と各自の日程を調整していた。さすが自称・プロ経営者。なかなかしぶとい。みんな必死に生きている。(所要時間25分)エッセイ集を出しました。よろしく。→

上野、パンダ、それからロックンロール。

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三連休の初日に大学時代の友人Aと後輩Bに会った。三人で会うのは2004年以来になる。物理的距離的体力的な問題の同時多発的な発生により、ずっと会うことが出来なかった。友人Aが2010年の冬に体調を崩してどうにもならなくなり東京から故郷の青森に帰省し、新聞社に勤めていた後輩Bはすでに九州へ異動していたため、三人で会うにも会えなかったのだ。おっさん三人には若いカップルのような遠距離を埋めるほどの愛の力はなかった。昨年、後輩Bが長年の激務が祟って体調を崩して仕事を辞め、地元の栃木に帰ってきた。そして、10数年かけて生活の安定した友人Aが青森から夜行バスで上京することになり、後輩Bも合流して上野で会うことになったのである。

上野恩賜公園のカエル噴水で待ち合わせした友人Aは元気そうだった。16年経って僕らは52歳のおじさんになっていた。青森へ帰るとき、死人みたいな青白い顔をしていたので、顔をあわせるなり「お前…」と絶句するような展開を覚悟していたので、「よう」と軽い感じで声をかけられて力が抜けてしまった。遅れて合流した後輩Bも顔色は悪くなかった。仕事を辞めて体調が回復しているのだろう。唯一働き続けている僕だけがストレスで頭髪が白くなり老人みたいだった。

居酒屋に入り、生ビールで乾杯をしたら、所属していた研究会の地下組織のアジトのような部屋で、煙草を吸いながら三人でアホな話をしていた日々が昨日のことのように蘇った。美しいエピソードはひとつもない。映画とか小説とかアニメとかロックとか女の子とか風俗とか割のいいアルバイトとか単位の取りやすい講義とかそういうどうでもいい話ばかりしていた。ときどき照れ臭かったけれど自分たちの才能に見合わない夢について語ったりもした。若い僕らには恐れはなく、失うものもなかった。90年代半ばで暗い時代が始まりかけていたけれど、なんとかなるという根拠のない楽観がいつも前にある闇を明るく照らしていた。僕らは失うものがなかったのではなく、何を失うのかわかっていなかったのだ。

50代になった僕らの飲み会は予想外に、「あの頃は」「昔は」「あいつは今」みたいに、2020年代2010年代2000年代の壁をアルコールの力で乗り越える、センチメンタルな確認作業にはならなかった。ひたすら今の話をした。あとはせいぜい近未来の話。僕らはずっと会っていなかったけれども、お互いの不在の時間を埋めるような答え合わせを必要としなかった。だから簡単な経緯報告を終えると「まあ大変だったよな。お互いに」と生ビールの乾杯で「昔」を終わらせた。思い通りにはいかなかった、完璧からは遠い人生。若い頃、自分で自分に期待したレベルには及ばなかった才能。体調不良や病、努力ではどうにもならないこともたくさんあった。僕らは、そういうものをいちいち取り上げて嘆くようなダサい大人にはなりたくなかった。だからひたすら「今」と「近未来」の話をした。今、俺はこんなことをしている、明日はあんなことをしたい、みたいに。友人Aは「手帳持ちになってしまったけれど悪いことばかりではない」と今の仕事について語った。東京時代よりも津軽訛りが強くなって三割くらいは識別が難しかった。後輩Bは、仕事を辞めて体を休めたら改善されてきたのでそろそろ動くつもりだ、と言った。僕は、体が壊れても前へ進む二人の前で早期退職とは言い出せず、なんとか定年まで頑張ってみるつもりだと言った。

僕らは長い時間をかけて少しずつ失うものをなくしていた。夢や希望や目標は叶わなかったかもしれない。思ったよりずっと低空飛行だったかもしれない。でも、大学を出て約三十年生きてきた。その時間は他人から見ても、自分が思うよりも、しょぼくて情けないものかもしれないけれど、それだけで価値と意味のあることなのだ。友人は「未来は見るのをやめた」とも言った。僕はそれを正しいと思う。今を積み重ねていけばいい。僕らは未来がクソみたいになりうることを、身をもって知っている。僕らがこの手でつかめるのは今だけだ。クソみたいな未来にならないようにクソみたいな今を足掻く。それだけだ。もう若くもない。才能も体力もない。全員、体がボロボロでひとりは手帳持ちで、ひとりは休職中で、ひとりは中小企業の中間管理職だ。だからなんだって言うのだ。僕らにはもう失うものはないのだ。何だってできる。高いところを飛ぶより低空飛行のほうが面白いだろう。最高だ。

「とにかく生き残ろう」と誓って僕らは別れた。じゃあな、と言って。軽く手をあげて。まるで三十年前に大学のキャンパスで「また明日な」と言って別れたときのようなあっさりとした別れだ。僕らには明日がある。ありふれた明日だ。最高の気分だった。だって、友達を再発見できたのだから。友人Aが土産といってパンダのぬいぐるみをくれた。「パンダは去ったが俺たちの魂は上野に永遠にあり続ける」みたいな熱いメッセージが込められているのだろうか。いや、おそらく何の意図もないのだろう。僕はこのパンダのぬいぐるみに「最後まで生き残る。絶対にくたばりはしない」と誓った。かたく誓ったんだ。(所要時間28分)最新エッセイ本になります→

氷河期世代は完全に終わった。

僕は52歳の就職氷河期世代で、中小企業で営業部長として働き、家族は妻とサボテン、こづかいは月額19000円である。先日、衆議院選挙が終わった。ここ1年超で実施された三回の国政選挙で就職氷河期世代は完全に見捨てられたと実感する。国政選挙が始まる前は、氷河期世代は属する人数が多いからだろうけど、その救済策が話題に登るけれども、選挙がはじまるとトーンダウンし、選挙後にはほとんど触れられない。このお決まりのパターンを繰り返している。施策は行われているけれども、救済が必要な人がまだいるので十分とはいえないし、それ以前に、世代の上の方の年齢が50代半ばに達したので時間切れだ。

もちろん、氷河期世代全員が負けたわけでもない。ほとんどの人は粘り強く戦って生き抜いている。優秀な人間もたくさんいる。僕の観測範囲、僕の周辺では、なんらかの公的な保護が必要なほど困窮している人間はいない。僕も何とかここまで生き残っている。つまり氷河期世代の中でも、うまくいっているグループとそうでないグループがいるということ。どのグループにフォーカスするかによって見方や評価は変わる。たとえば、バブル世代でもバブルに乗り損ねて美味しい思いができなかったグループはある。若い世代も同じだ。ひとつの世代内にあらゆるグループがあり、年齢や通過した社会情勢といった共通項があるぶんグループ内での比較は残酷になる。

つまり、氷河期世代の最大の敵は、他の世代や社会や政治ではなく、なんとか脱落せずに他の世代と渡り合っている氷河期世代の人間になるということ(このことは前にこのブログで書いた)。僕が、氷河期世代への救済措置が不十分だったり、手遅れだったりすることについて文句を述べているのは、当時から問題になることが分かっているのに見過ごしてきた社会や政治に対する怒りが第一であって、正直いって氷河期世代への同情は第二である。

氷河期世代が氷河期といわれるのは、他の世代と比較してまともな仕事に就くチャンスやセカンドチャンスがなかったからだ。それが長い時間をかけて敗北感に変化している。しかし、己の人生の勝ち負けを決めるのは自分自身である。こういってはなんだけど、たかが就職チャンスの有無や大小や多少の違いにすぎない。氷河期世代より上の世代は日本が経済的に絶好調だったからたまたま就業チャンスに恵まれた。今は人不足のために就業チャンスに恵まれている。それだけのことであり、人間の価値には無関係だ。もしかしたら、現在初任給アゲアゲウハウハな現代の若者たちにもイバラの道が待っているかもしれない。たとえばAIに仕事を完全に奪われて、若い頃はよかったなーと嘆くようになる可能性だってゼロではない。

敗北感や終わった感は、自分で「負けた」「終わった」と結論づけたときに、「感」が取れて敗北、終了になる。周りからどう思われても、気にしなければいい。自分をジャッジできるのは自分だけなのだ。「お前は氷河期世代の中でもうまく行っているからそんなことが言えるのだ」「比較的勝ち組にいる貴様には説得力がない」と言われそうだ。都内タワマンに住むような自らは良い暮らしをしながら「平等に貧しくなろう」と発言するような某上野先生と同じレベルの説得力しかないぞ、と。いや、現実的に僕は負けているのだ。負けを認めていないだけなのだ。

最初に入った会社は一部上場の歴史ある優良企業だった。僕が30歳手前のときに直属の上司の不正に巻き込まれ、部署ごと冷や飯を食わされるような目に遭った。で、会社の一部からは共犯みたいに見られたこともあって、面白くなくなり、辞めた。2000年代に入ったばかりの頃だ。まだまだ就職氷河期は続いていた。転職先は見つからなかった。同業他社で同じ仕事を探したけれど空きはなかったし、先輩に紹介された会社は辞めた経緯を知っていたらしくあっさり落ちた。

そのとき僕が実感したのは、道から外れて転落してしまったこと、二度と一部上場企業のようなメジャーには戻れないということだ(戻る気もなかったけど)。そして、再就職したところはまったく別の業界の中小企業だった。このとき僕は負けていた。ただ、負け続けるのはイヤだったから、コツコツと小さな勝ちを積み重ねていこうと決めたのだ。会社は中小でしょぼかったし、業界は地味。でも負けは認めなかった。周りを気にせずに目の前の仕事に集中したから、転落しても、今まで生き残れたのだと思う。つまり戦略で負けていても、戦術的な勝利を重ねていけば逆転できるんじゃないかとありえない絵を自分勝手に描いたのだ。

周りからみれば氷河期世代は終わっているように、負けているように見えるだろう。気にしなければいい。繰り返すけれど、自分の人生をジャッジできるのは自分だけなのだ。負けている状態はまだ勝っていないだけ。終わっている状況はスタート前の静けさ。見方を変えればなんとかなる。極論をいってしまえば、社会から酷い目にあったと思うなら、何もせず世の中のお荷物になってしまってもいいのではいか。武器がなければ、そういう戦いもあるだろう(おすすめはしないけど)。

氷河期世代はいろいろ言われているけれども言わせておけばいい。たまたま前後の世代に比べて運がなかったというだけのことで、人間の価値には関係ない。自分の価値は自分で決めてしまえばいいのだ。はっきりいって現実は厳しいよ。救いや助けはない。祈りは届かない。でも自分の価値は自分が何者であるかは自分で決められる。そして宣言してしまえばいいのだ。氷河期世代は終わったと。(所要時間30分)エッセイ本を出しました。氷河期世代の奮闘記でもあります。→