Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

今は亡き上司の言葉をまとめてみた2024

今は亡き上司の言葉をまとめてみました。久しぶりなので入門者にもわかりやすい「オールタイムベスト」と、昨年発掘された手帳に記録されたものからセレクトした「発掘品」で構成されてます。激動の令和を生き抜くヒントにしてもらいたい。

【オールタイムベスト】
「刺身が生なんだが……」刺身に対する熱いクレーム。
「妻の配偶者が死んだ……」斬新な欠勤理由。人間て想定外の事態に遭遇したとき「お前や」のひとことが出ないものですね。その後無事に離婚されました。
「俺はチャンスをピンチに変える男だ…」やめてくれ
「腹を切って話し合いましょうや」本音で話そうの意らしいがなぜか切腹ハラスメントを強要される。そういえば上司は三波春夫と三島由紀夫が好きでした。
「強いていえば、人間の業…ですかね…」クライアントからトラブルの原因を質問されたときのひとこと。汎用性が高すぎる言葉です。
「最後に…私事になりますが、先日一年間別居しておりました妻との協議離婚が無事成立いたしましたことを皆様にお伝えして、これを新郎新婦へのお祝いの言葉に代えさせていただきます」僕の結婚パーティーでのスピーチ。呪いの言葉。
「結婚生活には三つの袋がございます。一つめは給料袋、二つめは堪忍袋、三つめは、えっと、玉袋だったか…まあ、いいでしょうそんなつまらん話は」結婚パーティーでのスピーチ。みっつめのときに股間に手を触れる細かい芸付き。
「新潟県がある金沢にいたイトコでハトコが亡くなった…今日告別式で明日お通夜なので山梨県にいかなければならない」お前はどこで何をしているのか。10数年経った今でもまだ解読できてなくて意味不明です。

「今日みたいな空が荒れているとき…アポなしで会うと客の心がつかめる……」という営業謎理論を持ち出して洪水警報の出ている地域に出向く上司。これだけでもクソ要素が強いが…。
「台風のなか近くまで来たものですから」「暴風雨にもかかわらず偶然通りかかったので」などと自宅待機中の担当者に執拗に電話をかけまくるクソムーブをかまして無事に出入り禁止を喰らう。さらに…。
「出入り禁止になってからが本当の勝負よ……」などと【相手はこちらを認識しているぶん他社に先行している】という謎のポジティブシンキングで病的に食い下がり無事に着拒。美しい3ステップ。

 

【発掘品】
「参ったな…女房とは別れたのに義理のお母さんが俺を離そうとしねえ……」元義母からの借金を返していなかったため督促を受けていた模様。自分本位すぎる。
「知ってるか…協議離婚というやつは名前ほど話合いはない……」バッサリやられた模様。
「たまったもんじゃねえな。息子が大学を出た途端に離婚だってよ……」40手前で子供を授かって頑張ってきたのに人生は酷である。
「空き巣にご祝儀を盗まれたー」手ぶらで同僚の結婚式に参加した理由
「俺は辞めても引く手アバタ―……」(正)引く手あまた。諦念退職時の強がり。なお、引く手はなくて無職のまま死亡。南無。
「御年64才。キリがいいから会社やめることにした」60歳の時点でやめてほしかったの声多数。
「送別会なんてみっともねえからやらなくていい、と言ったのですが」自ら声掛けした送別会の挨拶冒頭。なお送別会の参加は本人含めて3人。そのうち一人は僕でした。さくら水産で魚肉ソーセージを食べながらさくっと終わらせました。
「俺レベルになると相応の立場を用意しなきゃいけねえからな…」再就職の困難をポジティブで乗り切るマインド。見習いたいものです。出来る人材は相応の立場を用意してでも採用されるのでは?とは言えませんでした。
「一兵卒として働きたくても、俺の持っている『将の器』が許してくれねえ…俺の背負った業だな」再就職の困難をポジティブで乗り切るマインド。「敗軍の将の醸し出す陰湿なオーラがそうさせるのでは…」とは言えませんでした。
10「腹を切って死ぬか…死んでから腹を切るか…営業マンの最期は二択しかない……」イヤすぎる。
11.「安心しろ。俺が見守っているからお前らは全力で取り組めばいい。心配は無用。ダメだったらお前ら自身で責任を取ればいいだけのことだ……」見てるだけー。
12.「営業部の責任は連帯責任。成果は俺の指導の賜物。当たり前のことを何度も言わせるな……」この手の発言はアレンジをかえてたくさんありました。
13「ピンチは部下に託す……それが俺なりの教育的指導」ボンバーマン。上司がチャンスをピンチに変える理由。
14「出る杭は打たれるというが…一流の俺は出る前の杭を滅多撃ちにしてきた。立場を脅かす若手は早期に潰さねえとな…」僕らが会社で生き残る秘訣はここにある。
15「伸びてくる若手を見出す眼力には自信がある…」確実に有望株を見出して潰していく稀有な才能の持ち主だった。死んでよかった。
16「顔はともかく、性格はよさそうですなあ……」クライアント主催のパーティーで相手のご令嬢を見ての感想。
17「金で解決……それでいいの?あんた」競争入札でしくじったときの負け惜しみ。
18「奴ら……俺と同じ世界の人間だと思っていたのに……」失注したときの悔恨の一句。
19「OKYAKUSAMA MANZOKU℃」 お客様満足度。度が忠実でいい。
20「私たちの見積金額は消費税別途です……競合他社は消費税込みのところを我々は別途。別途でーす」【誰もセールスポイントにしないところをあえてセールスポイントにする】という謎の営業理論を披露。無事に無視されていた。
21「当社と契約したら金銭をお渡ししてもいいですよ……ご安心ください。足のつかない金です」周囲は冗談だと思っていたから助かったが僕だけはガチ発言だと知っている。
22「アポなし飛び込み営業はイヤがられるが、イヤよイヤよも好きのうちというやつといってな…向こうは待っているんだ。俺たち飛び込み営業マンを」迷惑マインド。
23「アポなしは困ると言われますが、そんならアポをくださいよ。くれないでしょ。だからアポなしなんですよ……いいんですかイチ営業マンが仕事がなくて野垂れ死しても」営業マンの地位向上を訴える言葉。または自身の最期(孤独死)を予期していたかの言葉

23‐B「アポなし営業みたいな時代の徒花を生んだのは、会ってくれないあんたたちですぜ……」逆転の発想。
24「あんた…俺の血税でメシを食ってるのを忘れてはいませんか?」官公庁の仕事の説明会における恫喝
25「俺だ…。先に名乗るのが礼儀というもんでしょう」問い合わせ電話への対応。
26「ではさいなら。契約してくんなかった人間に敬語なんていらんでしょ」敗戦の弁
27「誤解するな…俺の敬語はタダじゃねえ……」客以外にはシビアなビジネス感を披露。
28「ウチに決めてくれなければ木っ端微塵にいたしますからね~~!」プレゼンの〆。アメリカンジョークだと思われてよかった。
29「総務相手の飛び込みは入社式と株主総会の日を狙え……奴らその日だけは居留守ができねえからな」居留守ガードを突破スキルを伝授。
30「はるばる来たぜ函館へ」注)青森空港に着いたときの言葉
以上である。また来年。(所要時間35分)

 

とある事業の醜い終焉

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食品会社の営業部長だが、ときどき、管理業務も任されている。つか、やらされている。契約違反ではなかろうか。今月に入ってから年末をもって契約満了となる事業を任されることになった。年末で終わる仕事を今さら?嫌な予感しかない。契約満了となるのはオーナーと委託契約を結び当社が運営しているレストランである。長年契約更新してきたが、3ヶ月前にオーナーから契約満了(更新の意思なし)を伝えられた。食堂は一旦クローズして、工事期間を経て数ヶ月後にリニューアルする予定。リニューアルを機に業態を変えるので当社はお役御免となった。契約満了の事業終了。そこに怨念はない。

とはいっても絡んでいる人はいる。現場で働くスタッフだ。社員数名とパートは十数名。社員は年明けから異動が決定。パートは雇い止めになるけど異動先の紹介で対応。うまくいっていると聞いていたが僕の出番になった。何かが起きている。会社上層部の「トラブルが発生した時はトラブルのもとにまったく関わっていない人間に当たらせる」という方針によって僕が当たることになったのだ。超迷惑。

食堂の閉鎖、つまり契約満了に伴う手続きが終わり、後は年末までの契約期間を全うするだけになったこの時期に「現場責任者からうちのひどい扱いを受けてきた」「働く場所を失いたくないから訴えられなかった」と主婦パートのグループが訴え出てきたのだ。まず話を聞いてわかったのは「現在の仕事がなくなることへの会社への不満」である。契約満了にすぎないのだが、会社への不満から「会社がオーナーに事業の終了を申し出た」というストーリーを作り上げていた。オーナーは仕事を続けたかったに違いない、と言う思い込みである。いやむしろ会社も契約を切られた被害者なのだが……。この点については「当社としては事業継続をしたかったがオーナーの意向だから」と説明した。「ふーん、そういうことにしておきましょう」とグループの人たちは言っていた。納得できないのか、理解できないのかは僕の知るところではない。

彼女たちの不満は現場責任者と本社担当者へ向かった。「現場責任者から数々のハラスメントを受けてきた」「本社担当者はそれをスルーしてきた」とハラスメント担当セクションに訴えたのである。そして彼女たちグループは「今まで我慢してきたけれどももう先がないところで我慢する必要もなくなった。だから年末まではとても働けない。会社都合なのだから、年末までの賃金は支払ってほしい。年休も取れないから換金してほしい」と求めてきた。一刻も早くそこを離れて職探しをしたいというのが、彼女たちの目的だと推測した。

ハラスメントに対しては慎重に当たらなきゃいけない。現場責任者の社員は前倒しで異動をかけて沈静化をはかった。年末まで現場を維持できればよいので代替ヘルプ人員を回す手配も行った。ハラスメントについては社内担当者に同席してもらってグループと対話した。実はハラスメントについての証拠は何も見つかっていない。録音やグループ以外のパートからの証言もない。それを持ち出すより、グループの彼女たちの話に耳を傾けることにした。事業が終わるのだ。無事に終わらせることが先決だったのだ。彼女たちは「こうやって来てくれた部長さんには申し訳ないけれども、本部の運営がなっていないから、私たちの仕事はなくなるんですよ。オーナーだって本当は辞めたくなかったはずですよ。」と従来の主張を繰り返した。だから契約満了だっつーの。オーナーの意向だっつーの。こちとらも被害者だっつーの。

言い返したい気持ちをぐっと押さえて、話を聞き続けた。「私たちは食堂に来てくれた人たちの事は絶対に忘れない。人との付き合いを大事にしているから。本社の人たちはわからないでしょうね」と感情的な話になってきた。ここで契約満了だからしょうがないですよとビジネスライクな話をしたら逆効果である。「大変でしたね、行き届かない面があってすいません」と言うにとどめた。こんな感じで対応していくしかなかった。話している中で、彼女たちが沈んでいく船から一刻も早く抜けたかったのだとわかった。
現場責任者はどういうハラスメントをしたのか参考までに教えて欲しい。どんな証言をしても不利にはならないことを約束して一人一人ヒアリングをした。驚いた。具体的な話は公開できないが全部伝聞だったのだ。「誰々が怒鳴られているという話を人づてに聞いたことがある」みたいな感じのエピソード。当該グループで直接ハラスメント被害を受けている人もいなかった。「直接受けたことも見たことのないハラスメントだけれども、そんな怖いところにはいられない」というのが彼女たちの主張だった。結局のところ、実際にハラスメントがあったのか、それとも彼女たちが自分たちの目的を達成するために作りあげたものなのかわからなかった。結論としては、彼女たちの求めるものにはフル回答。会社サイドも大きな問題にならずに年内いっぱいの授業継続のめどが立った。僕も、事態の沈静化と契約満了にともなう事業所閉鎖という目的を達成した。グループの構成員たちは「嫌な思いをしたから、会社の事は今後思い出したくない」と口々に言っていた。全然共感できなかった人たちだったが、「辞める会社のことは思い出したくない」という共通点が見つかってよかった。

その三日後、会社最寄り駅近くの居酒屋軒定食屋みたいな店でひとり遅すぎるランチを食べていたら、パーテーションの向こうにうるさいグループがいた。大声で聞こえてくるのはウチの会社名、オーナーの名前、例の食堂名、現場責任者の名前、等々で優秀な探偵でなくても、例のグループと特定できた。昼から酒を飲んで騒いでいた。祝勝会のようだ。うちの会社から勝ち取るだけのものを勝ち取ったみたいな雰囲気。面白いのは、彼女たちの望み通りの対応だったはずだが、会社に対する恨みを述べていることだ。ハラスメントが蔓延しているような会社のことは思い出したくないと捨て台詞を残した人たちが、わざわざ昼過ぎに集まって会社の話で盛り上がっている。これはどういうことでしょうか。ハラスメントは本当にあったのか、なかったのか。僕にはわからないのでこの文章読んでる人に結論は委ねたい。なお、現場で出会った人の顔は忘れないとクソつまらないプロ意識を語っていた彼女たちであるが、食事を終え嫌味っぼく会釈をした僕を見ても「誰あれ?」みたいに無反応であった。特定の会社名や企業名を出して大騒ぎをしている程度のプロ意識なのだからお察しでござるよ。(所要時間41分)

 

80年代、真冬の想い出

両親と僕と弟の家族四人で撮った写真は一枚しかない。1980年(昭和55年)に油壷マリンパークのフォトスポットでカメラマンに撮ってもらったものだ。写真は今も実家の母の寝室に飾ってある。カメラと家族が壊れていたわけではない。スマホやデジカメはなかった。今のように気軽に写真を撮る時代ではなかったのだ。1980年代、父は仕事が忙しかった。平日は朝早く出て行って夜遅くまで働いていたので、顔を合わせることはめったになかった。今も思い出すのは、夜、布団のなかでうとうとしながら聞いた父の運転する日産サニーカリフォルニアの「ぷすぷすぷす」というエンジン音。家族で泊まりの旅行に出かけたのは三回。1980年代前半に伊豆方面に二回、90年代、父が亡くなる直前の京都旅行。旅行の写真が残っている。父はカメラを持ち歩いていたが、風景写真が多く、家族の写真はあっても四人一緒に撮影したものはなかった。父は生前デザイナーとして働いていた。日本ビクターで働き、最後はフリー。デザイナーという職業柄なのだろうか、家には写真集やデザイン画集がたくさんあってそれらを見ていれば楽しかったし、それらを通じて父がどういう人間かを知ることができた。父が揃えていた大友克洋やジェイムズ・クラムリーの作品に小学生低学年で触れることができたのは僕の人格に大きな影響を与えている。
そんな家族だったが、年末に家族四人で出かけるイベントがあった。藤沢駅から小田急ロマンスカーに乗って、藤沢から新宿に出て、秋葉原の電気街で買い物をして、肉の万世で肉を食べるのだ。電気街ではラジカセや双眼鏡やファミコンのカセットを買ってもらった。お腹いっぱいになるまで肉を食べた。父は普段僕らに構えない罪滅ぼしのつもりだったのだろう。小学生の目にはピカピカな未来都市に見えた秋葉原を家族四人で手をつないで歩いた。父は秋葉原で毎年のようにカメラやレンズを買っていた。「お父さんは自分の写真を撮らないね」と訊くと父は「カメラマンは映らなくていいんだよ」と笑っていた。そのとき僕も「プロのカメラマンだね」といって笑ったけれど、父の最期とあわせて考えると父は自分の姿を残したくなかったのかもしれない。家族ロマンスカー小旅行は1988年の年末で終わった。

毎年、年末が近づいてくると僕はどうしても家族四人でロマンスカーに乗って出かけたことを思い出してしまう。夕暮れどきのネオンが映える電気街を家族で手をつないだ記憶は鮮明だ。本当に楽しかった。幸せだった。四十年近くも経っているけれど、どんなにしんどいことがあっても、ロマンスカーと電気街と肉の万世の記憶、家族で手をつないで歩いた電気街の思い出を思い浮かべると、人生は捨てたものじゃないと思えて乗り越えられることができた。あの遠い記憶は、きっと僕の郷愁を誘うものであるだけでなく、僕が目指す宝島のようなものなのだ。どんな高性能なカメラでも切り取れない宝島なのだ。あの頃の家族も。生前の姿をとらえた写真が少ない父も。電気街のネオンも。肉の万世も。ひっくるめて。カメラを持ち歩いていた父は電気街を歩く僕らの姿を撮らなかった。きっと、フィルムではとらえられないものがあることを父は知っていたのだろう。(所要時間18分)

善意の値段は0円みたいです。

僕は食品会社の営業部長。某NPO法人との商談はクライマックスを迎えた。相手は代表者Aと副代表者Bである。先方の本部を訪れて面談室に通され、いよいよ見積書の提示である。そのNPOは生活に困窮している人に食事を無償提供する事業を行っていた。「私たちに出来ることは温かい食事を提供することぐらいです。正直、厳しいですが私たちを待っている人たちのために頑張りたいです」「ご協力いただける企業様には感謝しかありません」とABブラザーズは言うと、事業の意義を僕に伝えた。確かに、この世知辛い世の中で素晴らしい事業を行っていた。特に感想はなかったが感想を求めるような顔で圧をかけてくるので「感銘を受けました」とひとこと感想を述べた。

で、見積書の提示である。当該NPOの事業で使用する食材なので、出来るかぎりの金額を提示させていただいた。一昔前の言い回しなら「勉強させていただいた」金額である。見積額を見たABブラザーズは「迅速なご対応、ありがとうございます」と謝意を述べると、「この金額には利益や手数料が入っていますか?」と聞いてきた。日本の教育の敗北でしょうか。売価に利益が入っているのは当たり前ではないか。僕は「当社としては出来るかぎりの価格設定をさせていただきました」と説明して相手の意図を聞き出そうとした。しかしABブラザーズははっきりと要望を口にせず「私たちはこの事業を無償で行っています」「困窮している人からお金を取れません」「私たちの事業は命をつなぐ事業だと自負しています」「スタッフのなかには自腹を切っている人もいるのです」的なことを繰り返した。

彼らの言いたいことがうっすら見えてきたが、あえて気づかないふりをしてビジネスに徹した。なぜならウチは中小企業だから。月200万レベルの取引を「オッケーいいっすよ」とライト感覚で、無償でおこなう体力はないのである。ABブラザーズは事業の意義を語っているうちにこちらが折れるのを待つ戦法である。交わらない戦い。冷戦だ。話がまとまらないのではっきりと要望を教えてほしいと告げるとABブラザーズは「率直に言わせていただきますと、利益を取らずにギリギリの値段でお願いできませんか」と言った。「無理です」正直に言った。すると、彼らは事業の意義、崇高な使命、賛同する名誉、といったマネーにつながらない話を繰り返した。なぜ寄付を求めないのかと質問すると毎月寄付を求めるのは精神的にしんどいしウザがられるからという理屈だった。それでもめげずに懇切丁寧に意義を説明するのが貴方たちの仕事なのでは?と思ったが僕は彼らの親でも教師でもないので言わなかった。

いずれにせよ、利益のない商取引はありえないし継続できないと当社の立場を丁寧に説明しても、「私たちは利益を得ていません」といって澄んだ目で見つめてくるABブラザーズ。悪質なたかり行為を受けているのは僕なのに、なぜか申し訳ないような気持ちと罪の意識を感じてしまう。一方で、なぜかABブラザーズは悪質なたかり行為をしているのに被害を受けている善良な市民のような顔をしていた。おかしい。僕は右の壁に目をそらした。そこには炊き出しのシーンを撮影した写真が飾られていて、すかさずABブラザーズが「それは去年の冬の炊き出しの様子ですね。とても寒い日でしたが、皆さん美味しそうに豚汁を召し上がっていましたよ。もちろん無償で提供しました」と説明。左に目を逸らすとそこにも写真があって「それは農家から無償で提供された芋をつかった焼き芋会の模様ですね。もちろん無償で提供しました」とすかさず説明が入ってきて、無償無償無償で僕を追い詰めてきた。きっつー。無性に帰りたくなってきた。適正な利益を確保しなければ事業は継続できない。僕は提出した見積額を引き下げなかった。ABブラザーズは「御社の方針が変わったらご連絡ください」とポジティブなことを言っていた。しぶとい。永久に変わらねーよ。

当該NPOが利益を得ていないのは素晴らしい。だがそれを取引業者に求めるのはちと違うでしょ。私たちは素晴らしいことをしているからあなたたちも協力しなさいは強引すぎる。なお、当社は寄付行為も行っている。僕もこども食堂や福祉施設への寄付に関わっている。真正面から寄付を求められて説明を受けてこちらから寄付を申し出たのだ。「ものをただで寄こせ」とは全然違うのである。善意というのは強制されるものではないのだ。数時間後、予想通り商談打ち切りの連絡が入ったのは言うまでもない。(所要時間28分)

現場に赴いて「皆さんのご意見を聞いてよりよい職場環境をつくりますよー」と言ったことを死ぬほど後悔している。

食品会社の営業部長という仕事をしているわけだが、中小企業の悲哀といいますか、営業以外の仕事もぽちぽちやらなければならない。任されるのは本業の食品事業ではなく、その他もろもろの事業である。そのなかに飲食店等のコンサルティング事業がある。個人営業の飲食店に対するコンサル・アドバイスを行っており、僕も営業の立場でかかわった案件にヘルプとして携わっているというわけである。なお、このヘルプにおいて発生するのは責任だけであり手当等はなく、また本業である営業にマイナスが出ても自己責任とされている。搾取である。クソが。今、僕が頭脳の一グラムほどを悩ませている案件がある。この苦悩を公開することで発散したい。

悩みのもとは県内のとある個人経営の洋食店である。経営自体は悪くはない。オーナーが当社に依頼してきたのは衛生面の不安と労務管理の改善であった。衛生面は改善に向けてやることが決まっているのでパッケージを入れるだけで済んだ。問題は労務管理であった。心優しいオーナーは「私にはもうどうにも……よろしくお願いします」と絶望の表情を浮かべて言い、伏し目がちにハンバーグの仕込みを行うばかりであった。ランチ時はオーナー以外はパートで運営をしている。まずパートの雇用状況を確認した。時給は、かなり高く設定されており、賞与も支給されていた。残業も多くはない。問題は見つからなかった。現場視察をしているとき、なんとなくパート間でぎくしゃくしているように見えた。特定のパートさんに対する他のパートさんの冷たい言動が見られたのだ(よくあることでもある)。

個別のヒアリングを提案したが、パートさんたちからは個別は避けてほしいと返答があった。「一人だと不安だから」が理由だった。シフトで働いているので三組に分かれてヒアリングを実施した。なお、ヒアリング日程は、当初、僕が組んだが相手から修正されて返ってきたものである。平日のパートさんは5人で回しているのでヒアリングは3回に分けて実施した。結論からいうと心が死にました。

まず一組目Aさん(勤務開始2か月)の主張「孫の送迎があるので13時には帰りたい」「土日は出られない」「免許がないので配達ができない」。二組目Bさん(リーダー格)「仕事が忙しい」「もっと長く働いてもらいたい。シフトに入ってもらいたい。なぜなら自分が働きすぎだから」Cさん「年収の壁があるので多くは働けない」「車の運転が苦手。やりたくない」。そして問題の三組目Dさん(古参)「昨日もシフトで揉めていた」「ランチタイムの片づけが終わったら一人で足りるのにBさんに二人残るよう言われる。その時間はただ突っ立っているだけなので早く上がらせてほしい」「Bさんは配達業務に自分が入らないよう工作している」Eさん「土日曜出勤ができない人が優先されている。土日出るのは構わないけれど、なぜ平日優先に取れる人がいるのか納得いかない」「Bさんの組むシフトに文句を言うと配達業務が増える」。まとめてみると、シフトが公平に回らないことへの不満、配達業務ができない人への不満、Bさん(リーダー)とその他パートの対立。パートさん個々の希望出勤日数を希望どおり飲むとシフトが成り立たない。かつ、パートさんは各々稼ぎたい額があるため、その隙間を埋める人材を募集するにしても週1日か2日で2時間のみというニッチな条件になってしまった(募集はかけた)。

土日入ることが出来ず免許ももたないシフトの制約が多いAさんをウチの会社がやっている他の飲食店への異動を仮提案すると「Aさんはオーナーの知人だからそんなことをしたら我々がピンチになる」と言われ、「それでは諦めるしかないのでは」つうと「不公平だ」「免許を取らせろ」の連呼である。70近い高齢者に免許を取らせろって世の中に逆行していることがいえるのがパート異世界なのである。そのくせこういう人たちにかぎって「高齢者が運転なんて危ないわ。ヤーネー」とか言っているのである。ヤーネーを言いたいのはこちらである。「時給をあげたら我慢できる?」的な話をしたがパート軍団は全員「お金の問題じゃない。お金のために文句を言っていると部長さんに思われたら心外だ。ムカつく」みたいなことを言う。じゃあ時給の件は聞かなかったことにしてというと「上げてもらえるなら上げてもらいたい。問題提起はお金のためじゃないけれども」などという。ヤーネー。それぞれのパートさんの言い分にバカみたいに顔を向けうなずいていたら首痛が発生したので「みなさんには悪いようにはしません」といって僕なりに改善案をつくることを約束した。

最後に面談を終えたEさんが出ていくときに「個別の面談にしなかったのは、お互いの言い分を監視するためなんですよ。ヤーネー」と言って、まだ出てこない問題があるのかよ、と絶望した。その後、問題解決案作成の打合せのためにオーナーのもとを訪れているけれども、彼は「ああ」「そうなんだ」「私には無理だ」と他人事のようにつぶやきながら手ごねハンバーグの仕込みをしているだけである。地獄だ。ヤーネー。(所要時間30分)