Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

パートさんの代わりに現場で働いたら「壁」の存在に気付いた。

僕は食品会社(中小企業)の営業部長だ。神奈川県に大雨被害が出た日、「どうせ営業はサボっているにちがいない」という先入観を持った会社上層部の命令で、出勤できなくなったパートさんの代わりとして、ヘルプで惣菜工場の現場に入り粛々とお稲荷さんを作った。休憩時間、最低賃金の話になった。パートさんは主婦たちである。昼の時間帯、パートとして働いている。「神奈川県の最低賃金はすごいよね(10月から1,162円)」「昔だったら考えられない」等々。僕が勤めている会社はパート人材確保と定着のために最低賃金より高めに時給を設定している。最低賃金が上がるとともに、時給も上がった。人材獲得競争に勝つためだ。フルで働いているパートさんには正社員への打診もしたが、社員を希望する人はわずかだったと話に聞いた。パートさん各々の働き方と家庭の事情があるからだろうと僕は考えていた。それは微妙に間違っていた。働けないのではなく働きたくないのだった。

「また時給が上がりますね。良かったじゃないですか」と僕が言うと、パートさんたちは僕に同意してから「時給が上がったぶん働く時間を短くしないと」「時短できるラッキー!」的な内容のことを異口同音に言った。意味がわからなかった。僕が質問すると「年間で103万を超えたら損をするから」と教えてくれた。いわゆる103万円の壁だった。年収103万円以下は所得税非課税(内訳/基礎控除48万円と給与所得控除55万円の合計)という壁のことだ。パートさんたちは全員103万を絶対に越えてはいけない壁だと認識していた。

社員の僕は103万の壁を意識したことはなかったが、パートで働く主婦の皆さんが103万の壁を意識していることをはじめて知った。年収103万円は月額85,833円である。これを神奈川県の最低自給1162円で割ると月73時間が働ける上限の時間になる。ざっくり4週で割ると週あたり18時間が働ける上限だ。ウチの会社だと(時給設定が高いので)週15時間ほど。たとえば、今回僕がヘルプで入った現場はパートさんの週総労働時間は320時間である。320時間を、1人当たり15時間で割ると、21.3人が必要だ。調べたら3年前は17人でシフトを埋めていた。4人増である。小さな現場にとって4人増は大きい。時給を上げないと人が集まらない&人が定着しない。しかし時給を上げることによって103万の壁に達するのが早くなるため必要人員は増える。さらに人材不足が追い打ちをかけている。この悪循環。

しかも神奈川県は全国トップレベルに時給が高い地域だが、上限の103万円は全国一律で決められている。パートの労働力不足は、人材不足もあるが、「103万の壁を超えたら死ぬ」問題があると理解した。現在僕の会社は社員スタッフでパートを埋めているのが実情だ。現場の労務費は予算オーバー状態である。「いやいや。それなら商品の価格に転嫁させればいいじゃないか」という意見が出てくるけれども、それは机上の空論である。僕がこうしてヘルプに入ってエンボス手袋をはめて粛々とつくっているごくごく普通のお稲荷さんを1個500円に設定したらあなたは買いますか?買いませんよね?

あるパートさんに、「103万円を気にしないでバリバリ稼げばいいじゃないですか」と言ったら「部長、違いますよ。働けない、じゃなくて、働きたくないの。最低限でいいの。みんな壁を理由にしているだけよ」と教えてくれた。確かに、出来ることなら働きたくない。数時間お稲荷さんを作り続けたら僕もそう思った。時給上がる→壁に早く達する→より多くの人材が必要になる→人不足→さらに時給を上げて募集(繰り返し)。この流れではこうした労働集約型の現場は機械化をはかっていくしかない。つまり、パートさんは全員雇止めとなって役人が期待している税収はゼロになり、「手作り稲荷」は「ロボット稲荷」になる結末だ。最悪、「稲荷をつくるのはもう嫌だ!」とロボットが人類に対して反乱を起こして人類は滅亡するかもしれない。

「パートやアルバイトの環境をよくするため」といって安易に最低時給だけ上げると、特に中小企業では、働く現場ごと消滅しかねない。働けないのではなく、働きたくないという現場の声を聞けたのはよい経験だった。僕がヘルプから本社に帰ってきたとき「たまには惣菜つくりもいいだろう」と嫌味を言っていた会社上層部の方々は、時給をあげれば人不足が解決すると思い込んでいる。まずは彼らを駆逐してロボット上司に置き換えるところから始めたい。(所要時間25分)

こづかい値上げ交渉の下準備について僕がやったこと全部話す。

僕のお小遣いの額は月19,000円。この額は奥様の強固な意思によって、広瀬アリス(姉)と広瀬すず(妹)の関係が絶対に広瀬アリス(妹)広瀬すず(姉)にならないのと同じように、絶対に変わらないという絶望から改訂を諦めていたが、突如彼女の頭の中で閃いた「今月は夏休みだから特別」という理論によって、今月はさらに減額されて17,000円とされてしまった。神は残酷だ。この額には、出勤日の昼食代、飲み代、趣味にかかる額(プロ野球観戦、書籍、ゲーム代)が含まれている。胃薬代や紳士用尿漏れパッド代も含まれている。17,000円への無慈悲な減額により、節約は避けられなかった。しかし、節約は思うようにはいかなかった。なぜなら僕はすでに贅沢からは何万光年の距離をとって生きていたからである。所有物を最低限度に抑えているため「こんまりメソッド」で人生が向上する余地すらない地獄を生きているのである。節約が難しくなっている大きな要因のひとつが「立場」である。たとえば部下と軽く飲みに行っても、割り勘というわけにもいかない。だってオラは部長だから。部長としての立場・体裁・メンツ、ストレスによる慢性的な胃痛、股間に尿漏れの痕跡、それらを維持したり回避したりするための費用は削れない。股間に尿漏れの痕跡をのこした上司の話を、ニョロニョロ尿路から尿漏れしている上司の訓示を、真顔で聞く部下は存在しない。飲み代も削れない。昨今、飲み二ケーションは滅びつつあるが、人望と信頼のある上司には部下からの「ちょっと今夜時間ありませんか」があるものだ。それは断れない。断ってしまったら「あいつは人情味のない冷血仕事マシンwith尿漏れ」と酷評され僕の評価は地に落ちる。節約のため、一時は、真夏の陽射しを活用して尿漏れパッドを使用後乾燥させて再利用する構想も考えた。しかし、会社の屋上で人目を避けるようにして尿漏れパッドを干している己の姿、生乾きの尿漏れパッドを装着するムズムズ違和感を想像しているうちに、虚無的厭世的な気分になってきたため、構想は永遠に凍結した。同時に百均の格安ガーゼを利用したハンドメイド尿漏れパッド製造計画も空しさを理由に永久凍結とした。結論からいえば、僕に残されている節約策は、昼食代を極限まで削減する方法のみであった。さいわい50歳になる僕は、中高年特有の胃腸の弱さを発揮、酷暑による夏バテも加わり、ランチを食べたくても食べられない状況にあった。頑張ってもパン2個が限界。あとはチョコバー。昼食代はナチュラルに削減された。また、懸念していた部下からの「ちょっと今夜時間ありませんか」もなかった。人望がなくて良かった。女性からの意味深なシャワーが予測されるお誘いもなかった。男性的魅力が衰えていて良かった。こうして僕の真夏の節約大冒険は大成功に終わったのである。僕が血と涙と残尿を流して出費を削ったのはすべてケーキを買うためである。2024年7月27日の夕べ、僕は、日々お世話になっている奥様に感謝を込めて、血と涙と残尿の結晶であるケーキを買って帰るのだ。相手の気持ちをあたためてから、こづかい増額の交渉をはじめるのだ。チーズケーキ、ショートケーキ、モンブラン、豆大福。砂糖とクリームの宝石たち。ケーキを買って帰る夜道、甘党の奥様の笑顔が浮かんだ。

「ケーキ買ってきたよ」「どうしたの?急に」「結婚記念日だから」「誰の?」と彼女は言った。そして、洋菓子屋のかわいい箱の中にある宝石のようなケーキたちを確認すると、まだおこづかいの額には余裕があるみたいね、と悪魔のように呟き、来月以降の減額続行を示唆したのでございます。(所要時間20分)

 

【ご報告】CPAP治療をはじめて1年になりました。

昨年7月にCPAPを始めて1年経った。CPAPを始めたきっかけは、奥様が僕のいびきを心配したからである。僕に自覚症状はなかった。だが、彼女の言葉を信じるならば、工事現場のような騒音だったらしい。夜中、いびきに激怒して鬼の形相をした彼女に何度も頭を蹴られた。父さんにも頭を蹴られたことないのに。そして彼女は僕にいびき外来受診を勧めた。この話をすると「君の体を心配している。奥様は素晴らしい人だ」という声を聞いて僕は苦笑いするばかりである。なぜなら、彼女は「心配です。キミのいびきによる寝不足で病気になってしまうのが。君がぽっくり逝ってしまうのは、生命保険にも入っていて死亡保険金も入るし、これも運命と諦められるのですが…」とご自身のことしか考えてないのは明確だからだ。とにかく奥様の強い要望により、僕はいびき外来の診察を受け、睡眠時呼吸症候群(重症)の診断を受け、CPAP治療が始まったのが昨年の7月である。当時のレポ→【ご報告】治療はじめました。 - Everything you've ever Dreamed

それから1年。CPAPでいびきは完全に止まっている。先生から睡眠時無呼吸症候群は「突然死のリスクが高いという説もある」と脅されていたけれども、今も元気に生きている。ありがたいことだ。いびきが止まったので、夜中に奥様から、「くらえ、タイガーショットだァ!!」という掛け声とともに頭をサッカーボールのように蹴られることもなくなった。そういえば、ずっと、朝から頭が痛かった。どれだけ寝ても眠気がひどかった。朝の頭痛と昼間の眠気は改善された気がする。もし子供の頃から無呼吸症候群であることがわかっていたなら、親や教師から「だらしない」と叱責されることも、ボンクラ扱いされることもなかったのではないか。子供の頃からCPAPをつけていれば、今頃は東大を出て、ねずみ講で財を成し、トロフィーハズバンドになっていたはずだ。後悔しかない。人生を返して欲しい。

僕の場合はCPAPに最初から抵抗感がなく、初日から問題なく装着することができて眠れた。細かいことが気になる人はちょっと難しいかもしれない。ただし、実感できるポジティブ要素は、サッカーボール扱いされなくなったくらいだ。「人生が劇的に変わる」とか「生まれ変わる」といった実感はない。もともと自覚症状はなかったので、ただ普通に寝ているだけなのだ。定期的に通院する必要あるし、コストもかかる。使っているタイプはノーズマスクとバンドの手入れも必要だ。ノーズマスクは毎日洗っている。バンドは週一中性洗剤を入れて水につけて洗浄乾かす。さもないと先日フリーアナウンサーが男性の体の匂いをやゆして契約解除になった騒動があったけれども、実際、僕のような中高年男性はいろいろと加齢スメルがひどく、毎日身に付けているバンドやノーズマスクへの伝染は避けられないのである。夏は汗もかくしね。これらは劣化するので、スペアを先日もらって交換した。そういう面倒が増えているのでCPAPをやって良かった/悪かったは実感プラマイゼロだ。

僕はぽっくり死ぬことが夢だった。けれども、CPAPをつけることによって、その夢はあきらめざるを得なくなった。奥様も「ぽっくりはなくなったね……介護とかイヤなんだけどな…」と寂しげな意見を述べられていた。僕らは夫婦共通の夢をあきらめざるを得なくなった。これは大きな損失だと思う。諦めなければならなかった夢もあれば叶えられた夢もある。CPAP治療は、僕に正常な眠りと中二病を満たしてくれた。この写真を見れば一目瞭然だろう。

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憧れのパイロット気分を味わえている。トップガンマーヴェリック気分を満喫できている。真夜中、CPAPを装着した状態で、トップガンごっこを1人でやってみた。楽しかった。なお、操縦桿が何なのかは皆様の想像力に委ねたいと思う。現実的なパイロットだけではない。CPAPで装甲騎兵ボトムズのスコープドックに乗った気分を得られるし、憧れの量産型ザクになってガンダムに瞬殺される気持ちも味わえる。つまりCPAPは毎晩楽しい。なお、1年前のレポで「最後に私事でございますが、CPAP治療開始後、因果関係は不明ではあるが、2008年以来ご無沙汰だったあれのスタンド現象が発生した」と記してしまいましたが、昨年秋以降スタンド現象は確認できないのであれは希望的観測を原因とする幻でございました。そちら方面の医療効果があるような記載をしてしまい大変申し訳ありませーん。(所要時間21分)

客を裏切った。

先日、客を裏切った。断ったのだ。営業という仕事には、条件や状況によっては断らなければならないときがある。断るのも仕事のうちと割り切るしかない。条件が酷すぎて話にならなかったり、客との付き合いが短かく関係が薄かったりする場合は「すみません」の一言ですむ。相手も「まあしょうがないよね」で終わる。

しかし、数年間、定期的に面談を続けて関係性を築いてきたような見込み客は、そうはいかない。数年間かけているということは相応の規模のビジネスが期待できるということ。そのうえ、その期間で築かれた関係性がある。それは言いかえれば、僕に対する期待だ。それを「すみません」と断るのだ。「あなた、困ったときは当社に任せてくださいと言っていたじゃないか」と非難されるのは慣れっこであるが、3秒くらいは気落ちしてしまう。

S県にある総合福祉施設がコンペをやることになった。僕が勤めている会社のメイン事業は食材提供なのだが、顧客からの「食材を納品するなら食事提供も」という要望に応じて一部給食事業も展開している。で、当該施設は開設以来厨房スタッフを直接雇用し食事提供をしてきたが、このたび業者に任せることになったのである。食材と給食業務を一括丸々である。

この施設の担当者とは、前職から継続して15年ほどの面談を続けている関係だ。そのため、提供している食事の内容やボリュームはほぼ把握していた。複数の施設(病院含む)なので売上も期待できる。長年にわたって、僕は、食事を業者に任せることのメリットについて説明してきた。何回かはサンプルを持ち込んでプチ試食会をやったこともある。給食業界の状況について説明をしてこともある。法人本部のほとんどとは名刺交換を終えて面識がある。だから今回の委託化は、僕が時間をかけて僕が誘導したようなものだ。窓口になってくれている担当者も「もし、その時が来たら……頼みますよ」と念を押されていた。だが、結果的に僕は彼らの期待を裏切って辞退することになったのである。

なぜか。条件の不透明性が払拭できなかったからだ。「ちょっと見通しが立たないけど頼みますよー」と言われたとき、築き上げてきた関係性であっても、仕事となると厳密に判断せざるをえない。今回の施設について、一点だけ踏み込めない領域があった。現在雇用している厨房スタッフの状況だ。ざっくりと何名で運営して何名欠員が出ているという話は聞いていたし、厨房施設や食事提供の様子も見学させてもらっていた。だから仕事のやり方、業務引継ぎについては不安はない。

だが、業者委託するということは、現厨房スタッフを一旦全員解雇(雇止め)すること。しかも今回のプロポーザルは来年1月からの契約開始とされていた。業者決定は10月末なので時間がない。総合福祉施設のため複数の厨房があり、相応数の人員が必要だった(現スタッフ数は約60名)。必要スタッフ数を新規募集と当社本部ヘルプだけで埋めるのは不可能で、現スタッフの移籍はマスト条件だった。

コンペ要項には「現厨房スタッフの引き受けをお願いします」的な文章があった。だから安心していた。内々で話は進んでいるにちがいないと。進んでいませんでした。きっつー。僕がコンペを仕切っている担当者に現厨房スタッフへの説明と移籍希望者についての情報を質問すると、意外な答えが返ってきたのだ。《現厨房スタッフに今回の件は説明していません。理由は業務委託化を明らかにすることによって退職者が出て体制を維持できなくなるのを回避するためです》その後は口ぐせのように「やってくれますよね」

10月末に業者が決まったら告知するらしい。開けてみないとわからない。全員移籍希望なのか、ゼロベースなのか。移籍希望があっても、給与はスライドできても福利厚生等の細かい点まではスライドできない。たとえば、巨大医療法人様とちがって、当社には保養所はございませーん、老後の生活を約束するような豪華な退職金制度もございませーん。それを知った現厨房スタッフが全員移籍してくれるだろうか。ましてや昨今の飲食業界はどこも人材不足で、売り手市場なのだ。他に行こうと考える人が出てくるのは容易に予想できる。

「もし、一人も残らなくても受けてくれますよね。やってくれますよね」と法人担当者は僕との関係性を信じてそう言ってくれたけれども、リスクは負えない。ちょっと待て。見方を変えれば、これは現スタッフに対する責任の放棄じゃないか。現厨房スタッフの処遇といういちばん考慮しなければならない点、面倒くさい点、難しい点を、来年から任せる業者に投げている。「業者に委託することで労務管理の面倒くささから楽になると仰ったじゃないですかー」と担当者は僕に言った。ハイ、確かに言いました。15年間。確かに委託のメリットを説明していたのは僕なのだけれど。それは雇用しているスタッフを雑に扱えという意味じゃないんですけど。戸惑う僕に担当者の「やってくれますよね」。

今年いっぱいで業者に任せるというゴールラインは決まっている。今すぐ現スタッフに通知したほうがいいと助言すると、現体制が崩れて年末までもたないリスクは背負いたくないという答えがかえってくるばかりだった。要するに業者に任せられる来年以降は知らねーという話なのだ。私にはスタートだったの、あなたにはゴールでも、という昔の流行歌が頭に流れてきたよ。

「やってくれますよね。期待しています」長年築き上げた関係性からそう言われると何とかしたい気持ちが湧いてくる。時間的猶予があればなんとかなるかもしれない。10月末に決定して正月スタートは2か月。スタッフ確保の目途はなし。移籍ゼロのカバーは不可能。ならばスタートを来春まで遅らせることはできないか。それならカバー可能だ。そう進言すると、法人の理事会で承認された契約期間なので動かせません、と却下された。「大丈夫です。確証はありませんけれど全員残ってくれますよ。期待しています。やってくれますよね」と担当は言ってくれた。

給食事業は典型的な労働集約型事業で、ヒトモノカネのうちヒトが揃わないとどうにもならない。自前で食事提供をしていたのなら、そのことは熟知しているはずなのにどうして…ま、ヒトが面倒くさくなったんだろうね。担当者は15年にわたる僕との付き合いを信じて、コンペに至ったこと、急な展開は法人トップの突然の方針決定によるものだと説明した。現スタッフはどうなるか不透明で、スケジュールもきっつきつだけれど、「やってくれますよね」と担当者は念を押した。

信じてます。やってくれますよね。そういう期待を裏切るようで申し訳ないけど参加は見送ることにした。理由は「事業の見通しが立たない」。相手にそれを伝えると「嘘でしょ。どうしてですか。参加してくれると信じていたのに。え〜マジですか〜」という反応。やりたくてもできないんだっちゅーの。「社内検討の結果、残念ながら」の一文で辞退してもよかったが、15年の付き合いがあるからこそ、参考になるよう、先に述べた理由を列挙した。それでも「やってくれると信じていたのに」と納得できないようだった。

どうも声をかけたすべての会社から参加を見送る/検討中という塩対応をされているらしい。だろうね。そういう状況であっても、もっとも関係の長いウチだけは参加をしてくれると信じていたらしい。「実は、法人本部では御社を推す声が多いんです。なんとかなりませんか」というので現スタッフへの告知をあらためて提案したが「それだけは無理です」きっぱり。

おそらく、現スタッフの体制もうまくいっていないのだ。だから業者切り替えを機に一掃するつもりなのだろう。契約日以降は給食業務は業者の責任になる。プロの会社ならスタッフが残らなくてもなんとか食事提供してくれるだろう。僕への期待はあったと思う。それを断るのは忍びない。だが彼らの僕への期待は、彼らの楽観的な願望が上乗せされているものだ。それに応えることはできない。あらためて辞退を申し上げた。

「長年付き合ってきて困ったときは手を貸すといったのに酷すぎます」「今回のコンペが不調になったらどう責任を取ってくれるんです」「他の会社さんが手をあげて、現スタッフが全員残留しても後悔しないでくださいよ」等々いろいろなことをいわれたが、申し訳ないけど無理です」でやりすごした。営業の仕事は、会社のプラスになる仕事を取ることだ。リスクのある仕事を断るのも営業の仕事だと僕は考えている。長年付き合ってきて関係を深めてきた見込み客を、これまでの労力を振り返らず、感情抜きで切ることはしんどい。だが、このように客を裏切ることもまた営業の仕事なのだ。(所要時間47分)

ぼくは脱サラができない

脱サラ、脱サラ、脱サラと日々唱和しているので、フィーリングやノリで言っているような印象を与えているかもしれないが、僕の脱サラは思い付きではない。10年前に立案され、着実に実行されてきた計画である。暴走ではない。家族のコンセンサスも得ている。当時、奥様から出された条件は一つ。「現在の生活レベル=収入を維持すること」それだけだ。僕は会社員だ。営業職として28年間働いてきた。その間、会社というクソつまらない仕組みに迎合し、主任、課長、部長という役職についてきた。脱サラの条件は、(A)本業の収入(会社員としての収入)より多くの(B)副収入(B)があればオッケーというものであった。つまり「A<<B」である。 

10年前、脱サラを目指して副業を始めた。メディアからの執筆のオファーを受けるようになった。これまでずっと途絶えることなく続いている。並行していくつかの書籍も出版した。先祖代々の不動産も貸しはじめた。副業で生活費はまかなえるようになった。だが不動産収入は、立地的に難しく無駄に大きな物件という要因もあり、安定して借り手がつかなかった。2件プラス1件(物置)あっていずれかが決まると、いずれかが出てしまう状態。また、リフォームの必要が出てきてしまったりして、安定しなかったのだ。簡単にまとめると「A>BときどきA=B」である。この不動産関係がようやく、落ち着いた。借り手が見つかったのだ。これら副業の収入を全部足すと、本業の収入を余裕で超える。つまり10年前に脱サラの条件として出されていたものをクリアしたのである。抜けや落ち度がないか確認をした。間違いない。「A<<B」達成。やった。

脱サラするだけであり、フリーランス、あるいはシルバー人材センターに登録して何らかの仕事はするつもりである。「仕事もしないで、ごろごろ家で寝てばかり!この怠け者が!」と非難されるいわれもない。天下10年の計が成立したことを奥様に告げた。「がんばったね。キミ」彼女は労ってくれた。天国である。だが、その直後に「でも全然足りないよ」と告げて僕を地獄に落としてくれた。なぜだ。おかしい。生活レベル=収入を落とさないという条件は間違いなくクリアしているはずだったが、そもそも生活レベル=収入の認識に相違があった。彼女のいう現時点の生活レベル=収入とは、その時点での本業と副業の収入の合計額を指していた。つまり、本業と副業の収入額を圧倒的に超える新たな収入(C)が確約されるのであれば、サラリーマンを辞めてもいいと言うことであった。「(A + B)<<<<<<C」である。無慈悲だ。

本業の収入を超える副収入があって、今と変わらない生活ができれば脱サラオッケー(^^)/という僕の認識とは微妙に異なっていた。僕が副業を頑張れば頑張るほど脱サラへの道はさらに険しくなっていたのだ。知らず知らずのうちにハードルを上げていたのである。きっつー。新たな未知の仕事(収入源)がどーんと現れて現時点の総収入を超えなければならない。この10年間の副業収入アップの取り組みは全くの無駄であったと言うことになる。こんな悲劇があるだろうか。仕事では、数値で、定量的にとらえなければダメだと言っていながら、私生活の目標設定がクソみたいに定性的でありすぎた。このままでは宝くじに当たるとか、新著が世界的ベストセラーにならないかぎり脱サラできない。僕は50歳。定年退職まで働きつづけるという諦念が波のようにひたひたと押し寄せてきて溺れかけている。(所要時間18分)