Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

元給食営業マンが「ホーユー」の学校・警察での給食提供停止騒動の原因をざっくり解説してみた。

mainichi.jp

西日本を中心に学校や寮で食事の提供が停止する事態が起きている。運営会社は広島市に本店のある給食会社ホーユー。ホーユーの名はコンペで何回か見かけたことがある。詳しくは知らない。

給食事業はリターンも少ないけれどもリスクも少ないビジネスだ。給食設備や用具や食器をクライアント側の負担で事業が行えるからだ。ひとことでいってしまえば経費負担が軽いのだ。食材費は実費、人件費も委託費でカバーできる。「莫大な利益が出せるか?」といわれると案件次第だが、一事業所当たりで赤字になるリスクはとても少ない事業である。

そのため、近く破産申告するとみられるホーユーの社長が人件費や食材費の高騰を理由に上げているのを知って「妙だな…」とコナン君のように疑ったのがこの文章を書いた表向きの理由である。なお裏向きの理由は奥様からの「あなたの会社は大丈夫なのか」という不安を取り除くためである。

一般的に公立の学校給食や寮食事提供の業者は入札で決まる。入札金額は契約期間内の運営費(人件費+経費+利益)の合計額である(食材費は実費)。参考までに入札ではないけれども、たまたま僕が先月60食規模平日昼食のみの某食堂の委託費見積を提出したときの算出金額を出してみる。社員月30万1名とパート2名体制で、経費と利益を込みで月90万円台。この金額ならば確保できて人件費が枠内でおさまればたとえ食数が1日1食でも運営できる。食材費は1食当たりの単価内でおさめればいい。ローリスクでしょ。

正常に入札と落札が行われていれば給食事業はローリスクで破産するような事態には陥らないのだ。ところが事業所をゲットしたいがために滅茶苦茶なことをする会社も存在するのだ。一番酷いケースが20年近く前に某地方の官公庁関係の寮の食事提供業務である。僕は前提条件をふまえたうえで人件費や経費を算出して入札金額を算出した。具体的な金額は忘れてしまったが、年で1千万は余裕でこえていたと思う。失注した。現行の会社が落札した。落札金額をみてびっくりした。12万円だったからだ。月ではなく年額だ。月1万円。ありえない。からくりはこうだ。寮の食事単価は高めに設定されていた。朝食と夕食の提供だった。定員×食事単価の売上が約束されていて、食べても食べなくても、売上は確保されていた。100名定員で朝夕2回の食事提供でそれぞれ単価500円で月25日営業なら250万の売上。喫食率が50%なら売上の半分125万が利益になる。その寮は長く運営していて(例よりも大きな規模だった)、特に朝食の喫食率がめちゃくちゃ低くなっていたため(30%くらいだったと記憶)、最初から30%しか調理せず本来食材費であるべきの残り70%をそのまま利益にすることができていた。そのため月1万円で入札することができたという話だった。こういった事情は外部に漏れないので現行既存業者の運営が続くのである。

大昔の話なので、今はこういうビジネスモデルは成立しないだろう。だが本来100%をかけるべき食材費から利益を確保することで、入札金額を圧縮して思い切り低く下げる方法は今も生きている。ただ昨今の想定をこえる食材費の高騰で、食材から利益を確保できなくなったら、この方法では人件費の確保もままなくなるはずだ。その人件費も最低賃金の大幅なアップで上がる一方だ。

入札金額のからくりをざっくりと図にまとめてみた。

f:id:Delete_All:20230906235215j:image

①がまっとうな給食業務の入札金額の算出方法 ②が食材から利益を確保して入札金額を圧縮する方法。②は食材が高騰した場合に一気に経営が苦しくなる。

ホーユーの落札金額を調べてみた。

nsearch.jp

残念ながら入札から時間が経過していて元のドキュメントが読めなくなっているけれども、どれも低い金額で落札していることがよくわかる。おそらく先述の方法で金額を算出して落札していたのではないか。それでも運営がうまくいっていれば問題はなかったのだが。

たとえば、小野田高等学校定時制給食調理業務 一式は4月から1月までで1,437,600円。月当たり14万円。生徒数が10数人の小規模な食堂だとしても14万円では社員は配置できない。パート1名でも利益確保はギリギリだろう。山口県の最低賃金が888円。5時間×20日でも88,800円(直接人件費)。社会保険等間接人件費と運営経費が出るかどうかでは(しかもこの試算は最低賃金)だ。薄利だ。なお、落札予定価格が1,437,625円で25円差のニアピンなのが奇跡的である。同様に、令和4年度 光高等学校定時制給食業務 一式は落札金額1,800,000円(落札予定価額は2,280,000円)。月額15万円。現場利益がギリギリ確保できても本社運営費や販促費を出す余裕はない。

こうした薄利運営がホーユーという会社の運営方法なのだろう。昨今、飲食業界は調理師スタッフの確保に苦労している。僕の勤める会社でも調理師人材の確保に苦戦している。もし、上記の高校に配属する調理師パートを見つけられなかったら?時給を上げる。社員を雇用する。ということになる。月当たり14万15万という委託費ではカバーできなくなる。そこで食材費高騰である。食材費からの利益確保もできなくなっている。苦しくなる一方だ。そういったことの積み重ねが慢性的な赤字経営につながって、今回の騒動となったのではないか。

これらの根底には発注する側の「安くやってくれる業者ならそれでいい」精神がある。普通に考えれば社員も配置できない月十数万円の金額で給食運営なんてできないでしょ?だから今回の騒動はホーユーのずさんな経営と運営が主犯だけれども、そういう運営を入札という方法で求めた人たちも同じようによろしくないのである。(所要時間45分)

 

ビッグモーター社のせいで鬼舞辻無惨様が降臨してパワハラ会議が勃発した。

定例部長会議の終盤にビッグモーター社の話題になった。「あれだけとんでもないことをしでかした会社が倒産しないなら、何もしていない我が社は倒産しない」「ゴルフ好きの風上にも置けない」「除草スタッフはきわめて優秀では?」くだらない雑談だった。平和な空気が一変して地獄になったのは、上層部の一人が何を血迷ったのか「創業者の2代目、息子を要職にするからいけないのですよ」と言ったときだ。僕は社長が目を落としていた資料から目線をあげた瞬間を今でも覚えている。その直後に社長が放った「私も創業者の息子、2代目だが?」というひと言で会議室は静まりかえった。しんとして耳が痛いほどでした。口を開いたら死ね。そんな空気。窒息死したほうがマシ。そんな空気。

重苦しい空気の中、ほほ笑みをたたえた社長が口を開いた。「世間では2代目を要職に就けることは好意的に思われていないようだね。キミらはどう思う?」。社長は名指しして聞いて回った。会社上層部は指名されても言葉を濁したり、口をつぐんだりしていた。社長はドSだ。容赦がない人だ。答えられない上層部たちは逃げられたと安堵していたが「答えられなかった人たちにはあとで考えがまとまったら答えてもらいますよ。素直に思ったことを聞かせてくれるだけだから、拒否はなしですよ」と釘を刺した。上層部の老いた心臓を貫く五寸釘だった。僕は自分が当たらないことを神に祈り続けた。「社長、そういうとこやで」と参加メンバーの頭上にある吹き出しに書いてあるようであった。そう思ったところで口が割けても言うことなどできないできないできない。死ぬ。

いつもの会議が、鬼舞辻無惨様プロデュースのパワハラ会議の実写版になっていた。社長の指名は続いていた。「それは質問に対する答えになっていないよね。キミは?」「意見がないの?ではキミ」という社長の声が聞こえた。僕は部長席の末席で指名されたときの回答を考えていた。「ビッグモーター社は異常です。あの2代目はレアケースなので参考になりません」と答えよう、などと考えていたら、社長が「ビッグ社は例外で参考にならないなんて答えで逃げるのはヤメてくださいよ」と言い出して驚愕した。社長は思考が読めるのか!きっかけをつくった「2代目を要職にするからいけない」発言をした上層部に戻って社長は「なぜいけないのか?言い出したキミの考えを聞かせてくれ」と尋ねていた。「違います。誤解です」「何が違うの?誤解もしていません」「思わず口が」「君の発言ですよ。考えを聞かせてほしい。あなたなりの考えがあっての発言でしょう。私は参考にしたいのですよ」無慈悲なやりとりが続いた。社長、そういうとこやで。

神に僕の祈りは届かなかった。「まあいい。では君」僕が指名された。僕は50年の人生で一番頭を使った。この場所から生還するのだ。ここにいる全員を救い、社長を満足させ、自分を守るのだ。ここにいる者は誰も死なせない。「創業者のジュニアが会社をダメにするのは、ジュニアの資質もありますが、それよりも会社の上にいる取り巻きに原因があると思います。先代と比べたり、立場を守ろうとするからです。彼らが真っ当な仕事をすれば会社はダメになりません」と答えた。全部上層部のせいにしといた。「そういう人事も含めてぜんぶトップの責任せい」とは言えませんでした。全員を救いたかったが、会社上層部は救えなかった。必要な犠牲だ。仕方なし。自己採点50点の回答だったが、「ヨシ」とうなずき、社長は満足したようだった。た、助かったー。その後しばらくは社長の質疑は続いたが、安堵した僕はほとんど記憶にない。こうして僕は重苦しい会議から会社上層部を犠牲にして無事生還したのである。こうして会社員人生は続いていく。合言葉は「お前も鬼(社畜)にならないか?」でよろしく。(所要時間28分)

 

N君のこと

f:id:Delete_All:20230816173249j:image

今から40年前、小学生の頃、プロ野球中継といえば巨人戦だった。それゆえ巨人ファンが圧倒的に多かった。関西ではその地位は阪神だったのだろう。僕はヤクルトスワローズとロッテオリオンズのファンだった。ヤクルトはショートの水谷、ロッテは村田と袴田のバッテリーが好きだった。神宮と川崎に連れていかれて試合を見たのがファンになったきっかけだ。ヤクルトのファンという永久に続く苦行の道へ突き落としてくれた父には感謝している。動いている水谷や袴田の映像を見るのは極めて稀だったと記憶している。夜のスポーツ番組のプロ野球コーナーの時間にはすでに寝ていたし、そもそもヤクルトやロッテが取り上げられてもごくごく短い時間だったからだ。朝刊のスポーツ欄の昨夜の試合結果を見て、水谷の貧打ぶりを確認して溜息をつき、彼の堅実な守備を頭の中で動く姿を想像して埋め合わせしたものだ。

80年代のヤクルトは暗黒期真っ只中でめちゃくちゃ弱かった(ロッテはそこそこ強かったが地味だった)。首位から20ゲーム以上離されるのが当たり前、宿敵大洋ホエールズとビリを争う弱小チームだった。人気もなかった。まわりにヤクルトとロッテのファンは一人もいなかった。その2チームを掛け持ちで応援している小学生は日本でも数えるほどだったのではないか。バカにされるのが嫌だったので表向きは「巨人サイコー!」「西本のシュートすげー!」「若大将原!」「クルーズ日本シリーズだけ大活躍!」と巨人ファンとして過ごし、家に帰って一人になってから貴重なヤクルトの勝利を喜ぶ、隠れキリシタンのような生活をしていた。現在の僕の人格の歪みはヤクルト、ロッテを人目を忍んで応援していた少年期の行動に原因があると確信している。歪むだろう?

隠れキリシタン生活の仲間が出来たのは小学5年生のときだ。クラス替えで一緒になったN君だ。巨人が大勝利した翌朝、「巨人つええ!」と大騒ぎしているグループの中で、彼が暗い顔をしているのに気が付いた。その仕草は何回も続いて、僕はN君が隠れキリシタンであることを確信した。N君はカラダが弱かった。担任の先生はN君が体育の時間を見学して過ごしていたのを「カラダが弱い」と僕らに説明していた。白くて身体の小さいN君は何か重い病にかかっているのだと僕らはうっすらと理解した。怪我をして体育の授業を見学をしたとき、N君に「本当は巨人なんか好きじゃないんだろ?」と訊ねると彼は「実は阪神が好きなんだ。巨人なんか嫌いだ」と小さい声で答えた。僕はヤクルトとロッテのファンであることを彼に明かした。「同じだね。弱いもの同士、仲間だ」と彼は笑った。ヤクルトは負け続けた。阪神も強くはなかった。N君は「阪神が勝つと体の具合が良くなるんだ」と教えてくれた。僕らは周りの巨人ファンに話を合わせてやりすごした。「巨人は西武に勝てないのに偉そうにしていて笑っちゃうよね」といって裏でバカにしていた。N君とは弱いもの連合で仲良くなった。N君が体調が悪くて休んだときにはすすんでプリントを持って行ったりした。N君はいつも白く細く小さくて消えてしまいそうだった。

1985年、阪神が突然覚醒して真弓バース掛布岡田が打ちまくり川藤が盛り上げてセ・リーグ優勝をキメた勢いそのままに日本シリーズを制した。N君は「やっぱり優勝しないとね。阪神は巨人が勝てなかった西武に勝ったよ。いちばん強いのは阪神だ」と言って阪神ファンであることをカミングアウトした。N君は「阪神とヤクルトを一緒にしないでよ。西武に勝って日本一にならないとね。なんだか体も良くなってきたよ」と僕に言った。裏切られたと思った。思わず「阪神が負けたら病気が悪くなるのかよ」と意地悪が口をついて出てしまった。N君は言い返してこなかった。そのかわりに、なんとも形容しがたい表情を浮かべた。弱いもの連合はこうして爆散したのである。秋から冬にかけてN君は体調を崩して学校を休みがちになった。僕は、彼のことが気になっていたけれども、彼の家にプリントを届ける役割を避けるようになった。

小学校を卒業するとN君とは話をする機会はなくなった。中学を出て別々の高校へ進学すると会うこともなくなった。N君の体調が優れずに高校を休みがちになっているという話は聞いた。高校生のとき何回かN君を見た。白い顔は青白くなり、身体は細いままだった。少し背が伸びたぶんより細くなっているように見えた。でも僕は、小学生のときの許せねえという気持ちは僕の中に強く残っていて声をかけられなかった。「阪神が負けたら病気が悪くなる」といってしまったバツの悪さも残っていて、それを挽回するような代打逆転サヨナラ満塁ホームランにあたる言葉を僕は見つけられなかったのだ。僕が高校に進んだ頃からプロ野球人気は陰りが見え始めていて、「プロ野球ダサっ!」みたいな空気になっていた。あんなにいた巨人ファンはどこかへ行ってしまった。それが大人になるということだったのかもしれない。僕は90年代になってもプロ野球が好きだった。相変わらずヤクルトとロッテのファンだった。ファミスタはヤクルトとロッテしか使わないという戒律を己に課していた(後にパワプロでも継続)。両チームとも低迷していた。僕が高校3年のときのシーズンオフに千葉へ移転をきっかけにロッテのファンをやめた。ヤクルトスワローズは野村監督が就任して黄金時代を迎えることになる。1992、93、95、97、2001、2015、2021、2022にリーグ優勝。1993、95、97、2001、2021に日本一。80年代の負けをとりもどすかのようにヤクルトは勝ちまくった。

大学生のとき、N君の体調が悪化したという風の噂を聞いた。当時、阪神は伝説の1985年の優勝からバース退団、掛布引退と坂を転がり落ちるように低迷して暗黒期に突入していた。80年代のヤクルトに負けず劣らずの低迷だった。N君は「阪神が勝つと体がよくなる」と本気で信じていた。ありえないけれど阪神の低迷がN君の体調に悪い影響を及ぼしているのではないかと思った。「阪神が負けたら」の軽いひとことを本気で悔やんだ。その後、N君がどうなったのか、詳しいことを僕は知らない。僕の中のN君は何年経っても、木枯らしの中、寒そうに立っている学生服姿の白くて細い若者だ。「阪神が勝つと体が良くなるんだよ」と笑った小学生だ。大人になり、病を克服して元気になったN君を想像することが僕はできない。彼に残酷なことを言ってしまった罰なのかもしれない。2023年夏。阪神タイガースは首位を快走している。たまには日本一まで勝ちまくってN君の体を良くしてくれよ。僕とN君の弱いもの連合の復活のためにも勝ってくれよ。マジでそろそろ頼むよ、阪神タイガース。1985年の日本一から38年。僕とN君は今年50歳になる。(所要時間50分)

パパになりました。

私事ですが、先月、パパになりました。「ありがとう」「おめでとう」…祝福の前に話を聞いてほしい。パパといっても父ではないのだ。パパ活のパパである。P活のPである。僕がめでたくパパになれたのは、ひとえに「株式会社はてな」の不義理のおかげである。心の底から感謝している。きっかけは「はてなブログ」への記事有料機能の実装であった。

記事の有料販売をはてなブログではじめよう! 人気ブロガーが書く有料記事の活用例も多数ご紹介 - はてなブログ

このムーブは素晴らしい。遅すぎたくらいだ。だが、皆さんもご存じのとおり、この新機能を紹介するアンバサダー的な立場の有力ブロガーに僕は選ばれていない。声すらかけられていない。2003年からはてなを使い続け、noteにも浮気せず、企画で声をかけられたら「いざ鎌倉」の勢いで参加し、ほめられもせず、20年間、ひたすらダイアリーとブログを書き続けてきた僕のプライドは踏みにじられた。この屈辱は、はてなブログの新機能が目の敵にしていると想定されるnoteへ移籍することでしか晴らせないと考えた。怨念を抱えてnoteを確認すると文学賞的なイベントの真っ最中であった。note創作大賞(創作大賞|note(ノート))。7月17日〆切。このイベントに小説で参加して受賞し、はてなにさようならを告げれば、大いなる復讐は完結する。

とはいえ、時間的な猶予はなく、書きかけの小説で参加するしかなかった。手もとにあったのは、パパ活をテーマにした小説だった。1年前に勢いで書き始めて投げ出したブツだ。再読して唖然とした。リアリティがないのだ。《40代のうだつのあがらない中間管理職がパパ活でモテにモテてわらしべ長者のごとく立身し六本木ヒルズのオフィスで酒池肉林生活を送るようになる》そんな妄想で賞レースに参加するほど僕は正気を失ってはいない。どうすればリアリティを得られるのか?僕は尊敬するヘミングウェイのように行動派になることを決意した。ヘミングウエイがスペイン内線に参加したように、パパ活戦線に参加するのである。Twitter改めXでP活専用の裏・アカを作成することにした。メールアドレスが求められた。本気を見せるためにezweb.ne.jpの携帯キャリアメールで登録。そして僕は、#の後ろに広がるパパ活、P活、パパ募集の海へこぎ出したのである。

僕はPになるつもりは一切なかった。大人の事情でアルファベットばかりで恐縮であるが、P活女子とPするPになる気持ちはなかった。小説にリアリティを付与するために当事者の話を聞きたかったのだ。そもそも、その頃の僕はCPAP治療を開始してQOL回復の道をヨチヨチ歩きを始めたばかりの段階で、まだPがPとPできるほどPしない状態だったのである。PPPろくなもんじゃねえ。

活動を始めて驚いたのは、女子たちが年齢や居住地や希望などを明らかにしていたことだ。元Twitter現Xで検索すればすぐに対象を見つけられてしまった。僕は生活圏がほぼ同じである20代女性「さな」さんにDMを送った。プロフになぜか友人とのツーショット写真を使っていたこと、「15548B22」という意味深な文字列が並んでいたこと、等々気になる要素はあった。だがそれでも「さな」さんへDMを送ったのは、困っているアッピールが凄まじかったので速攻で対応をしてもらえると踏んだからである。創作大賞の締め切りは迫っていた。時間が惜しかったのだ。

固定されたツイートには、大人、プチ、経費別、年齢気にない、DMで条件を決めたい、と記載されていた。断片的で意味が分からない。しかしいちいち調べている時間はなかった。僕は簡単なプロフィールを送った。《39才。社長。趣味サーフィン》。10歳のサバは誤差で許される範疇であるし、会社勤めが長く、ネットサーフィンが趣味だから嘘ではない。数分後。「さな」さんは「大人ですか」と質問してきたので、年齢を教えているのに何を当たり前のことを質問するのだろう?こいつまさかBOTか?と疑いつつ「大人です」と返した。すると次は「無しですか?」なるほど、こういう言い回しで行為の有無を尋ねてきているのだと鋭い洞察力から見抜いて、行為をしない、話を聞きたいだけなのだ、という意味を込めて「無しです」と返答。すると何ということでしょう、「さな」さんは法外な、具体的には僕の4か月分のこづかいの金額を求めてきたのである。無しなのに。「何だこりゃ」思わず松田優作のモノマネが出てしまう。僕の頭のなかに「美人局」の3文字が浮かんだ…。ここで交渉を打ち切ったら怖い人たちに拉致られて、最悪、北海道の例の事件のように頭と胴体が切り離される事態に巻き込まれる…。はっきりと意志を表明して撤退することにした。

「話を聞きたかっただけですが、どうやらミスマッチのようなのでこのへんで」「今どこにいますか」「F沢駅です」「分かりました。直接会いましょう。今からF沢駅に向かいます」「来られても困ります」「困っているのは私です」 小娘さなはクレジットカードの返済で困っているという話を執拗に始めた。知らんがな。

f:id:Delete_All:20230804010323j:image

「いや、やめておきましょう。僕が悪かった」「悪かったと思うならお金をください」「何で」「とにかく今からF沢に向かいますから13時に着きます」「来ないでいいです」「お金ください。困ってるんです」

さなはやってくることになった。面倒くさいことになった。厄介な人間を釣りあげてしまった。そういや奥様は「和製劣化版ジョン・マクレーン」「変人ホイホイ」と僕を評していたな。その評価は正しかったな。すると「さな」のバカから「ごめんなさい。化粧していたら送れちゃって14時近くになってしまいます」というメッセージ。バカなのか。無理すぎる。「じゃあ。帰ります。夕食の準備と6時からコナン君を見なければいけないので」「今日お金がもらえなければ死にます」どうぞ。お逝きなさい。「帰ります。予定があるのです」「この履歴を残したまま私に何かあったらあなたの問題になりますよ」なんでだよ「いや、キミが勝手に向かってきているだけだから」「お願いだから」「わかりました。半まで待ちます。それ以上は無理です」と譲歩した。会ったら喫茶店で3分話をして謝礼を置いて逃げよう。

f:id:Delete_All:20230804011001j:image

そう思っていたら、突然、さなは「ふざけんなよ。何であんたに時間を決められなきゃいけないんだよ。あー病む。マジで病む」と言い出した。不安定すぎる。それからは「タクシーで行ってカネかかってんのに」とか「笑」とか「待っててもらってありがとう」とか「なんでクレジットカードの支払いに困っているんだよ」とか「いい縁に恵まれて私は幸せ」とか「病む。病む。病む」などとメッセージでアップダウンを繰り返した。怖すぎる。命の危険を感じた僕は「すみません。やめておきます。怖い」とメッセージして逃げることにした。最後にさなは「あんたのアカウント晒すからな。P活おやじ死ね!」という素敵な言葉をプレゼントしてくれた。僕は速攻でアカウントを削除した。

こうして僕は自他ともに認めるパパになったのである。吾輩はパパである。パパだからパパなのだ。そして気がついた。こんなことをしているから、僕はアンバサダー的な立場の有名ブロガーに株式会社はてなから選ばれなかったのだ、と。期待の機能のスタートで、アンバサダーに指名した人間で「パパ活はじめました」という最低お下劣な記事を出してきたら僕ならキレる。なおインタビューにしくじったためにP活小説は未完のままだ。こうしてnoteへの逃亡もはてなへの復讐も果たせず、またここでブログを書き続ける地獄の人生が続くのだ。(所要時間40分)

【ご報告】治療はじめました。

「イビキがうるさい」という奥様からのクレームをきっかけに睡眠時無呼吸症候群(SAS)の検査を受けたのは前回のブログでご報告させていただいたとおりである。【ご報告】入院しています。 - Everything you've ever Dreamed

検査結果が出た。重症。1時間当たりの無呼吸+低呼吸の指数(AHI)が30回以上であれば重症と診断されるが、僕は59.3回/時であった。

f:id:Delete_All:20230723232814j:image

(検査結果 重症でした)

ほぼ毎分無呼吸。なお基準値は毎時5回以下。さらに最長で90秒呼吸がとまっていた。タッチでさえ呼吸が止まるのは1秒なのに僕は1分半。また問題のいびきは睡眠時間の49.7%かいていた。詰んだ…。先生は診断結果を淡々と述べたあとで「完全に重症ですね」と告げると、高血圧、糖尿病、動脈硬化、脳梗塞や心筋梗塞といった重大な合併症の可能性、突然死の可能性等々のリスクを説明してくれた。早急に対応しないとヤバい。こうして僕のCPAP治療が決まった。

奥様に検査結果を伝えた。「イビキがうっせーんだよ」とビーバップのアホなヤンキーのような、Adoの「うっせぇわ」のような口調でシーパップ治療を求めていた彼女から慰めの言葉は期待していなかった。ところが意外にも「いいじゃない。せっかく呼吸が止まっているのなら、これを機会に波紋呼吸法でも習得すればいいじゃない」と彼女は慰めてくれた。ありがたい。彼女はいつからリサリサになったのだろうか。

実際問題、波紋呼吸法の前に持続陽圧呼吸療法(CPAP)をマスターしなければならない。CPAPとは、鼻に装着したマスクから送り込んだ空気の圧で気道を確保する機器をつかって、睡眠中に気道が塞がれるのを防ぐ治療法である。手続きを終え、医療機器メーカーっぽい人からのレクチャーを経て、マスクを着用してみた。鼻が完全に覆われており圧迫感がある。これが嫌で眠れない人が多いらしい。「安心してください。1週間くらいで慣れる人が多いです。長くても数か月で慣れます。残念ながら慣れない人は一生慣れません」という救いのない説明がしんどかった。子供の頃、ジオン軍のモビルスーツを蹴散らすガンダムになりたかった。けれど現実になれたのは量産型ザクのようなオジンだった。

f:id:Delete_All:20230723232859j:image

(量産型ザクになった男の近影)

鼻をふさがれた状態でデリケートな僕が寝られるのだろうか。より睡眠の質が悪化するのではないか。こうして不安の夜ははじまった。

治療をはじめて2週間が経った。おかげ様で初日からぐっすりと眠ることが出来ている。そういえばどこでも5分で眠れる体質だった。治療データを確認すると無呼吸状態は1時間あたり2~3回に激減し、もっとも懸念されていた地鳴りのようなイビキは完全に止まった。CPAPすげえ。イビキ録音アプリのCPAP治療前後のデータを見てほしい。

f:id:Delete_All:20230723232939j:image

(治療前 もっと酷い状態もありましたが録音データがない)

f:id:Delete_All:20230723233011j:image

(治療開始後 いびきはほぼ完全になくなった)

奥様もニッコリである。睡眠時無呼吸症候群も怖いが、シンプルにイビキに悩んでいる人はマジでCPAP治療を考えたほうがいい。ただし、対症療法なのでずっと続けなければならないこと、保険適用でも毎月5千円弱の費用がかかること、定期的な診察が必要になること(僕のクリニックは月1回)、などなど面倒な要素もあるのでご利用は計画的に。体感としては、もともと平均4時間くらいしか眠れない人間で、CPAPを使っても睡眠時間そのものは変わっていないが、起床時の頭痛とときどき襲われていた猛烈な眠気は改善された。僕はこの調子で睡眠時無呼吸症候群と戦っていくつもりである。いやイビキをきっかけに調べてみたけれど睡眠時無呼吸症候群は怖い。大きなイビキはサインだと考えたほうがいい。

最後に私事でございますが、CPAP治療開始後、因果関係は不明ではあるが、2008年以来ご無沙汰だったあれのスタンド現象が発生した。まさか、波紋の呼吸より前に幽波紋(スタンド)をマスターしてしまうとはね。この調子でCPAPを続けてQOLを向上させて人生を取り戻していきたい。おれはEDをやめるぞ!徐々にーーッ!!(所要時間25分)