Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

そして誰も氷河期世代に触れなくなった。

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また、就職氷河期世代という言葉を耳にしなくなった。選挙が始まるとどこからか聞こえてきて、選挙が終わると聞こえなくなり、そして誰も触れなくなる。その繰り返しだ。「救済は無理なので触れないでおこう」という考えが見え見えで興醒めだ。

僕は1974年2月生まれ。団塊ジュニア世代かつ就職氷河期世代だ。氷河期世代が被害者扱いされるのはモヤモヤする。僕自身はまあまあ楽しく生きてきた自覚があるので、世間で使い捨てとか救済と言われることに違和感を覚えるのだ。厳しさやキツさはあった。だが、そこにフォーカスされると、半生を否定されるような気持ちになる。氷河期世代のポジティブな面に着目したらどうだろう?ポジティブな部分も他の世代と比べていまひとつだったのかな?ふとそんなことを思った。

1980年、僕は小学生になった。再放送とガンプラでガンダムは大人気だった。ガンプラはなかなか買えなくて商売気の強い汚い大人が…というネガティブな話はしないのだった。低学年の頃は月刊コロコロコミックが楽しみだった。特に大長編ドラえもん。ファミコンがデビューして、週刊少年ジャンプが全盛期。漫画の楽しさを遺伝子レベルで刷り込まれた。テレビでプロレスとプロ野球中継を楽しんだ。地上波という言葉はまだなかった。あだち充先生や高橋留美子先生に触れて、そこから親の影響で少女マンガもたくさん読んだ。親父が大友克洋を愛好していて「童夢」や短編集から大きな影響を受けた。「AKIRA」の分厚い単行本は発売日に親父がゲットしていた。学童の書庫にあったジュール・ヴェルヌの作品や「マガーク少年探偵団シリーズ」に夢中になった。好きだった。

そして1985年。小学生最後の年の年末にジャパンカルチャーを大きく動かす偉大なゲームソフトが世に出た。ファミコン版「ポートピア連続殺人事件」!!というのは冗談で、いや「犯人はヤス」は偉大だけれども、「スーパーマリオブラザーズ」の輝きと比べるとね…。今振り返っても「スーパーマリオ」をリアルタイムで遊べたのは大きかった。なお余談になるが、ウチの奥様はファミコン版「ポートピア連続殺人事件」の発売日に生まれた。年齢はカウントしないでほしい。

1986年、中学生になった。誰でも進学できる公立の中学校だ。まだ勉学に苦労することもなく楽しい人生を送っていた。世の中もキラキラして活気にあふれていた。大人になったら夜な夜なギャルとディスコで遊んでタクチケで帰宅する未来を夢見ていた。「ゼルダの伝説」と「ドラクエ」がデビュー。どちらもよく遊んだ。「ファミスタ」では反則チーム「レイルウェイズ」で対戦プレイにのぞんだ。スパローズ(ヤクルトスワローズ)は弱すぎた。「ファイナルファンタジー」の初代と2作目で遊んだのも中学時代だ。パソコンユーザーの友達の家で日本ファルコムの「ザナドゥ」や「ソーサリアン」を楽しんだ。「ロマンシア」は…おっとネガティブな話題は禁止だった。カルマが溜まるからね。小説も読んだ。大藪春彦とジェイムズ・クラムリーが好きだった。

思春期に突入していたので数々の大人コンテンツを知ったのもこの頃だ。意味のない文字列なので読み飛ばしてほしい。投稿写真デラべっぴんダンクビデオボーイコンプティーク。投稿写真デラべっぴんダンクビデオボーイコンプティーク。ありがとう。大人向けの素敵な番組を知った。テレビ神奈川の深夜に放送していたサンテレビ制作のお色気番組、それから「11PM」と「トゥナイト」。11PMのウサギちゃん温泉コーナーで温泉の効能をウサギちゃんが丸出しで伝えてくれていたけどいっさい頭に入らなかったのもいい思い出だ。あと山本晋也監督は神。

1989年に高校生になった。年号が平成に変わった。県立高校へ進学した。進学校で勉学に苦戦してボンクラ道を突っ走った。洋楽を本格的に聴くようになった。お金がなかったので「FMステーション」という雑誌でチェックして、FM放送を録音して気になったものをレンタルCD屋で借りてハイポジテープにダビングして聴いていた。好きだったバンドで今も名前が通じるのはニューオーダー、ニルヴァーナ、レッチリ、ストーンローゼスあたりかな。ハッピーマンデーズなんか若者は知らないよね。あとニルヴァーナは当初ナーヴァナと呼んでいた気がするけどこれは記憶のエラーかもしれない。僕の周囲ではマイ・ブラッディ・バレンタインを聴いている人は誰もいなかったけど最近のライブに同年代のおっさんおばはんが押し寄せていたのが不思議だ。おっとネガティブな話題は…。

漫画も読み続けていたけどレンタルビデオ屋が近所にいくつかできたので映画を見まくった。テレビ放送ではなく自宅で好きな映画が見られるのは画期的だった。ホラーとアクションと戦争ものを見まくった。テレビは深夜のお色気番組が印象に残っている。「満月テレビ」や「EXテレビ」。「ギルガメッシュないと」は後発。イジリー岡田は現人神。ぺろぺろ。「ドラクエ4」のAI戦闘のクリフトにムカついて、ファイナルファンタジーは3と4が出た。16ビット機の時代になってスーパーファミコンとメガドラで遊んだのもいい思い出だ。「神々のトライフォース」で遊びすぎて東大受験にしくじった笑。あと、「ターミネーター2」は最高だった。世の中はバブル全盛で明るく破廉恥な未来への期待で胸と違う部位を膨らませておりました。

1992年からは大学生のお年頃。受験戦争を突破できたのは今でも謎。大学時代は家庭の事情でサークルに顔を出せなくなるほどアルバイトばかりしていて暗黒期である。ポジティブな出来事はヤクルトスワローズが野村監督で黄金期を迎えたことくらいかな。金欠でプレステは買えず、スーファミとメガドラと中古で買ったセガサターンで遊んだ。ドラクエとファイナルファンタジーは共に5と6。「ロマンシングサガシリーズ」にはまる。フローラとビアンカの結婚問題はフローラ一択で悩むことはなかった。お金が大事だ。バブルがはじけて暗い影が世の中を覆い始めていた。テレビで「エヴァンゲリオン」が放送された。学生時代にエヴァンゲリオンを通過しておいて良かった。

1996年から社会人。奇跡的に就職に成功。このあたりから仕事に追われてポジティブな話が少なくなる。大人って悲しいね。サッカー日本代表がW杯に出始める。プレステ2を買うが多忙で通勤時間に遊ぶゲームボーイがゲーム人生のメインになる。「テリーのドラクエモンスターズ」ばかり遊んでいた。ポケモンは乗り損ねてしまった。DVDで映画と成人向け作品を見まくる日々。インターネットとパソコン(Windows)と携帯が一気に普及する。2000年代からは転職したりブログやSNSをはじめ、そこから本を出したりした。そして現在に至る。

悪くない。最高じゃないか。子供の頃にクールジャパンの始祖に触れてその成長と発展と共にあったのは僕らの世代ならではだ。マリオ、ゼルダ、ドラクエはすべて初代からリアルタイムで知っている。パソコンやインターネットやケータイ(スマホ)といったものをまだ若い20代のうちに経験できたのも大きかった。このときの経験があったから今でも現役で働けている。これらは氷河期世代のポジティブな面だといえる。

氷河期世代に係るネガティブな面、就職戦線の異常な厳しさ等々は、少なからず人生に影響したけれども、愛少女ポリアンナのように良かった探しをしてみると、それほど悪いものではなかったと思える。この世代だったからこそ、良いタイミングで通過できたことがたくさんあった。子供や思春期で通過するのと、大人になってからでは、体験としてだいぶ違うものになるからね。氷河期世代は、社会の被害者で救済が必要。そのとおりだ。でも、それに甘んじては駄目だ。世の中が救ってくれると本気で考えているのなら楽観的すぎるし、世の中の理不尽さ、冷酷さをいちばん知っているのは氷河期世代だ。世代に囚われすぎてはいけない。ときどき自分史の良いところを振り返りながら、自分の人生を生きよう。誰もが自分の属する世代の一員である前に、一人の人間として生きているのだから。(所要時間38分)昨年出した本は、氷河期世代の奮闘記でもあります。よろしく→。

取引先のために犠牲になる必要はない。

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6月末で、半年間取り組んできた仕事が一段落した。結果には満足している。僕は給食会社の営業部長で、会社はバリバリの中小企業だ。半年間取り組んできたのは既存クライアント企業との契約解除交渉。現契約関連の交渉等は、本来、既存事業を担当する事業部の仕事であるが、新規開発営業が本業である僕にその仕事が回ってきたのは担当するべき人間が現場ヘルプを理由にエスケープしたからだ。会社上層部の僕に対する嫌がらせもあるかもしれない。契約解除交渉は胃が痛くなる仕事だ。なお、契約解除作戦はボスからの指令なので誰かが人柱となって遂行しなければならない。

対象とするクライアントは社員食堂を受託している企業だ。すべて当社からみれば大企業である。当社は現場の人材不足が続いていて、その穴を本社スタッフが埋めている状況だ。収益その他の要因から見合わないとされた現場から撤退することで人的資源を再編成することができると見込んだ。最初に、各クライアントに対して、各原価高騰に対応するための値上げをお願いした。現状のサービスの質を維持するなら値上げ、応じていただけないのなら食事の量と質、人員削減といったサービスのダウングレードをさせてもらう。そんな方針で交渉に臨んだ。強気である。

この価格交渉に応じなかったクライアントを契約解除の候補にするつもりだった。値上げ交渉のために万全の資料も作成した。世の中の物価が上がっているのは息をしていればわかるはず、きっと、すべてのクライアントが応じてくれる、という期待はすかっと裏切られた。いくつかの顧客は拒否したのだ。「ウチも苦しい。原価アップ分を商品価格に転嫁できない。従業員の昇給もできない。そのうえ社員食堂の価格をアップなどできない。なんとか耐えてくれないか」というのがその理由だった。価格アップは拒否だけど、サービスは落とさないで、苦しい時代を共に生き抜こうなどと言うのである。「長い付き合いだからやりたくはないけど」といいつつ他の業者への切り替えをちらつかせる企業もあった。

おそらく多くの中小企業が取引と売り上げを失うことを恐れてこのような無理を飲んできた。「今、我慢すれば後々に面倒を見るよー」と期待を持たされてきた。その結果は散々だ。中小企業は中小のまま苦しい経営を強いられている。独自の技術があっても、我慢を続けられることが取引では優先され続けてきた。企業努力は限界だ。当社のような給食会社でも、原価アップに対して仕入れ先の開拓や安い食材を使ったメニューの開発などで対応してきたが、ここ数年のすべての食材が大幅に値上がっている状況には対応できない。企業体力は失われている。

値上げ交渉に応じないクライアント企業にこちらから契約解除を申し入れることになった。売上が大きく戦略的に必要なところや、交渉の余地がありそうなところは候補から外した。候補に入れたのは、たびたび契約解除や業者変更をちらつかせて給食会社である当社に圧力をかけてきた企業だ。「企業努力でなんとかしてよー」のひとことで無理強いしてきた企業だ。ひとことでいえば、ムカつく会社。当社はたかが給食会社である。ビジネスパートナー的な対等な立場などは望んでいない。だがそれでも「中小や下請けを下に見過ぎじゃね?」という企業は存在する。契約解除の影響について資料を作り社内プレゼンをおこなった。会社上層部のGOサインは余裕でゲットできた。会社上層部の一部を交渉に同席させていたのだ。上層部は感情的かつ短絡的でプライドだけは無駄に高い。クライアント担当者の強気な姿勢を見たことで、彼らはマイナスの感情を持ったはずである。作戦通り。

候補にあげたクライアントに対して契約書の規定に則って二か月後の契約解除申し入れた。いくつかのクライアントは代替の業者を見つけられないと慌てて再交渉を求めてきた。「他の給食会社に当たるっていつも仰っていたじゃないですかー」と嫌味を言っておいた。現在交渉継続中で、こちらの望む条件での契約更新に繋げたい。いくつかのクライアントとは契約解除になった。当社が強気に出てくるとは予想していなかったようだ。「二カ月では後任業者を見つけられないので三ヵ月か四カ月後にしてほしい」と請われたが「企業努力でなんとかしてください」といって退けた。知らねーよ、積年の恨みを晴らした気分である。

6月末で一連の契約解除活動が落ち着いた。撤退した事業所の人員を不足していた事業所に異動させて事業所運営は安定した。売上は落ちてしまったけれども、食材収支の改善によって全体の現場利益率はあがった。なにより、無理や嫌味をいわれて、苦しい運営を続けてきた事業所がなくなったのが大きい。携わったスタッフが苦痛を感じるような仕事は極力断る、というのを当たり前にしたい。ネームバリューのため、売上や利益のために無理難題ばかりで要望を聞き入れない取引先と契約を継続することは、体力の無駄遣いであり、成長の足枷になるばかりで、長い目でみれば中小企業にとってマイナスだ。たまには強気にいくのもありなのだ。(所要時間29分)

中小企業かつ給食会社の裏側についてはこのエッセイに書きました→

中小企業は、相手先の不正にどう対応すればいいのか。

僕は給食会社の営業部長。当社参戦中の社員食堂のコンペがあったのだけれど、先方からお断りの連絡が来た。「当社が求めている基準に達していない」が断りの理由だった。まだ何もしていないのに失格。試食会をする予定だったのに。謎である。

先月末、担当者から6月中に当社が受託中の社員食堂の試食を依頼された。受託先の許可と調整を速攻で終わらせて、試食希望日を教えてほしいと担当者に連絡を入れた。ところが連絡が来ない。「6月中に実施するにはそろそろ日時を…」「6月中間に合わなくなりますよ」的な連絡を入れて対応を待っていたところ、担当者の上席の人からお断りの連絡が来たのである。「6月中に試食会を実施できるようなスピーディーな対応ができる給食会社を求めていて、残念ながら基準を満たしていないと判断しました」と告げられた。おかしい。担当者の日程調整待ちなのに、なぜこちらに非があることになっているのか。おそらく担当者がポンコツか、あるいは競合他社と繋がりがあるか、どちらか。思うところはあるけれど受け入れた。契約を結んだところで、この手の担当者は何か問題を起こすからだ。事前に問題が発覚して良かった。それくらいのメンタルがないと給食会社の営業は勤まらない。罪を憎んで何とやらだ。

法人営業をやっていると、ときどき、こうした折衝先の担当者のプチ不正に遭遇する。「こいつやったな?」と。たとえば、某超大手企業の社員食堂コンペに参加したときは、担当者の上席から「コンペ辞退されて残念です」と言われたことがある。なぜか当社から辞退したことになっていた。僕はドライアイになるのも恐れずに瞬きせずに担当者を見つめていたけれども、最後まで彼は僕と目を合わせなかった。結局、担当者と繋がりの深い業者に決定した。まぁそういうこと。当該超大手企業のイメージCMが流れるたびに、自浄能力のない会社なんだなと思うだけである。また十数年前、I県にあるアトムの開発をしている独立した行政の法人的な組織の職員食堂のコンペに参加したときは、入札前日に調達係から「〇〇社さんは〇〇円で入札してください」というワンダーな連絡があった。競争入札に対する認識が僕とは違うようだ。「電話では金額を間違えてしまう恐れがあるのでメールでください」と依頼したが、なぜかメールが届かなかったので入札できなかった。調達係は慣習でそのような業者選定をしていたと思われる。それ以降、日本のアトム関係や官公庁関係で問題が起きると、そのあたりの体質に原因があるのだろうなーと微笑ましい気持ちになっている。また別の社員食堂のコンペでは、担当者が懇意にしていた業者限定で重要な情報が提供されたこともあった。フェアなコンペにおいて競合他社の金額を特定の業者に教えるのはあってはならない。数年後、その担当者が左遷されたのを風の噂で聞いた。

 

コンプライアンス違反を指摘して騒げば、コンペはやり直しになり、うまくいけば受注できたかもしれない。それでも声をあげなかった。一個人の問題ではなく体質の問題だ。企業や法人の体質は簡単には変わらない。受注してもまた別の問題が起こる可能性が高い。それに、僕が勤めている中小規模の会社ではこのような負の案件にいつまでも関わっている余裕はなかった。見込まれる売上や利益が、投資するコストに見合えばやったかもしれないが、プチ不正が起きる案件はそこまで美味しい仕事ではないのが不思議。

こういうスタンスで相手の不正と向き合ってきた。営業は、仕事(契約)を取る仕事だ。厳密にいえば、良い条件の仕事を取って利益をもたらす仕事だ。言いかえれば、条件の悪い仕事や利益にならない仕事を排除する仕事であり、つまり、仕事を断るのも営業の大事な仕事なのだ。ちなみにプチ不正をおこなった担当者に情けをかけて、「あのときご迷惑をかけた担当者です。最高の仕事をお持ちしました」という日本昔ばなし的な展開を期待しているけれども今のところ一度もない。

何が言いたいかというと、プチ不正をするような連中に関わる時間と手間がもったいないということ。正義感をもって是正したい方はご自由に、という灰色のスタンスである。中小企業にはそんな余裕はない。理想で飯は食えない。罪を憎んで人を憎まずではなく、人を憎んでその憎しみを次の案件に向かうエネルギーに変換していくことが大事なのだ。(所要時間23分)このような給食業界や営業職のエピソードは昨年出した書籍にもおさめられてます。→

隣人トラブル解決のカギは想像力(2026)

数年前から暮らしている築30年の賃貸マンションが僕の城。体感猫の額の半分ほどの狭小の部屋で奥様と慎ましいだけの生活をしている。問題はある。隣人の売人風の若者が昼もぶらぶらと怪しげな行動をしていたり、下に住む謎の住民が数か月間姿を消していたり…などといった問題のなかでもっとも厄介なものは、真上に住んでいる住民の騒音である。

上階には僕と同世代の女性が一人で暮らしている。最近、ものすごく騒々しいのだ。生活騒音なら「人間の生きている営みだよね」でスルーできるが、そんなレベルではない。真夜中に運動会をしているようにバタバタバタバタ!ドンドンドン!と騒音を立てるのだ。僕は人格者なので「きっと更年期さ。更年期ヨーヨー 更年期タツマキ更年期スピンだよ。僕も君も上の人も更年期。いつか終わるさ」と笑って平和にやりすごそうとするが、「なにが更年期スピンよ」と奥様の憤怒はおさまらない。騒ぎがはじまった当初は天井を睨みつけて「何とかしてよ」と文句を言っていたのだが、最近は天井を感情のない目で一瞥すると、虚無的な表情を浮かべて僕をじっと見つめ、右の手の親指を立てて左から右へ首を切るような仕草をするのみである。恐ろしい。この事態を打開しなければ、僕の生命が危ない。

上階の住民の騒音にはピークがある。騒がしくなったのは2016〜2018年からであるが、まだ耐えられるレベルであった。第一のピークは今から3年前2023年春である。突然、運動会レベルの騒音を出し始めた。飛んだり跳ねたり笛を吹いたり。それから3年間は比較的穏やかな騒音であったが2026年6月21日に第二のピークが突如訪れた。昨日の午後はテレビの音が聞こえないくらいの騒音であった。奥様は怒り心頭である。その怒りは問題を放置してきた僕に向かってきている。僕は何もしていないわけではない。騒々しさに何か法則があるのではないかと沈思していたのである。行動の前に何が起きているのかシミュレーションしておかなければならない。異性との激しい合体グランドクロスが原因ではないかと疑ったが、数時間継続するのがおかしい。本当にわからない。だが昨日からの騒音は過去最高レベルであり、このまま放置しては健康面での問題になりかねない。僕は思想家の看板をおろし、行動に出ることにした。

「上階の住民に直接モノ申すことにした。問題解決もさることながら、何が起きているのか知りたかったからだ。騒音から分析するとマンション内で激しく飛び跳ねるような、あるいは何かを投げるような動きをしていると推測された。合体グランドクロスでなければ、ファミリートレーナーか、TRFのダンスエクササイズDVDを疑った。どの仮説も起きている事象を満足に説明できなかった。昨日の騒音(ピーク)は、サッカー日本代表戦の時間帯に一致していたので、応援をしていた可能性は高い。だがこれまでサッカー日本代表戦、事前の練習試合をやっているときに騒音は起きていないのである。ここにどういう法則が存在しているのだろうか。僕は上階に駆け上がり住民女性に「当たって砕けろ」精神で突撃したのでございます。すると目の前に現れた人物、僕と同年代の中高年女性は奇怪な格好をしていた。広島東洋カープのキャップを深く被り、サッカー日本代表の青いレプリカユニフォームを着ていた。手にはオオタニのボブルヘッド人形。「カープ女子、お前だったのか。スポーツイベントのたびにいつも騒いでいたのは」カープ女子は、ぐったりと目をつぶったまま、ペッパーミル・パフォーマンスをしました。」
僕はなけなしの想像力を駆使して組み立てたシミュレーションを伝えてから、こんな誰も幸せにならない悲劇を起こしてはいけない、と奥様に伝えました。すると彼女は「憎しみの連鎖を断ち切るためには多少の犠牲はやむを得ないのよ。少なくとも私はそれで幸せなのよ」と冷酷な様子でつぶやくと、ふたたび天井を見つめたのである。絶対に負けられない戦いがここにはある。(所要時間19分)家族問題についてのエッセイはこちらの本にもありますよ。

「育てられる」は思い上がりで「育ててほしかった」は甘えだよね。

僕は給食会社の営業部長だ。給食業界は、敷居が低いせいか、少し変わった経歴の人がやってくることがある。僕自身も他の業界から漂着して、脱出の機会を逃して働き続けている人間だが、給与水準が高いわけでもなく、地味で変な(ジミヘン)給食業界に「君はなぜここへ来てしまったのだ?」という人が結構多いのだ。たとえば、某国大使館の調理責任者だった人や、某プロ球団の元選手などが印象に残っている。

昨年退職した同僚も「君はなぜこんなジミヘンに?」な人だった。彼は10歳年下で他の部署に所属していたのだが、新規事業の立ち上げで一緒に働いた経験があるため、仕事ぶりや人となりはよく知っていた。仕事ぶりは及第点。上層部をはじめ及第点に至らない人材が多い当社のなかでは貴重だった。退職の挨拶の際の彼の言葉が気になった。彼は「もっと育ててもらえると思っていた」と言ったのだ。

彼は中途採用。即戦力であることを期待されていた。当社のような中小企業は余裕がない。そのため即戦力でなければ中途採用はされない。面接や入社直後、彼は「これまでの経験を生かしてこの会社を良くしたい」「時代に取り残されないようにアップデートさせますよ」などと意気込みを語り、その根拠として何店舗か飲食店の経営をしてきた経歴を挙げていた。そんな人物が「育ててもらえなかった」と捨て台詞を残すのだから違和感を覚えたのだ。

人を育てる/育てられるはいつの時代も問題になるようだ。「編集者は書き手を育てるべきか?」で議論に…「マンガ業界は新人を育成してる」と指摘する人が見落とす"重大論点" | ライフ | 東洋経済オンライン少し前に「編集者は作家を育てる/育てられる」論争がネットの片隅で起きていた。はっきりいって編集者と作家の個別の関係性によるだろう。ケースバイケースである。ビジネスパートナーである場合もあれば、ポケモンのように編集者による育成が必要な作家もいるだろう。

こんな論争が起きること自体、余裕がある証拠だろう。少なくとも僕が生息している給食業界の中小企業界隈ではこんな論争は起きない。余裕がない。「ヒマがあるなら一枚でも皿を洗え」の世界だ。大手の給食会社は新卒採用して人材を育成していけるけれども、当社のような中小企業になると中途であれ新卒であれ、能力的に即戦力であるか否かにかかわらず、戦力として前線に出すほかないのである。育てる/育てられるなんて言っていられないのだ。

退職した彼も、戦力として期待して採用され、本人も戦力感をアッピールして採用されたはずで、そこに育てる/育てられないという論争が起きる余地がないのに、「うまく育成してくれなかった。あなた方はポケモントレーナーとして失格」という遺言を残した。理解はできる。採用されるためには相手のニーズに沿ったことを言わなければならないし、辞める際には、自分のニーズを満たせなかったとして会社サイドの問題だと指摘しなければやっていられないからだ。生きることは一大事業だ。最善を尽くして採用されなければならないし、辞めるときには、自分以外の部分に責任を転嫁させないと心身がもたない。世をわたっていくためには、自分自身に問題があったとしても、それを他責にしていくくらいのタフネスと図々しさがなければやっていけない。

30年間の会社員生活でいくつかの真理を見つけた。そのひとつが「成長する人間は勝手に成長していく」というものだ。新人教育やマナー教育といったごく基本的基礎的なことを教えることは大切だ。だがその先、先端の研究ではなく、たかだか普通の会社員の仕事においては基礎さえ教えれば、優れた教育担当や教育プログラムとは関係なく伸びる人は周りを観察して伸びていくのだ。「そんなことはない。教育は大事だよ」という意見もあるだろうが、同じ人間が同じ時期に同じ条件で教育を受けた場合と受けなかった場合をテストすることはできないからね…。その逆も然りだが、30年間営業職に就いた人たちを見続けてきた経験から間違いないと確信している。

結論をいえば、「人を育てられる」は思い上がりであり、「もっと教えてほしかった」は甘えである。双方が「仕事を真面目にしている」感を醸し出しているように見えてならない。もう少し謙虚に、自分にも他人にも期待せず、力を抜いて取り組めばいい。たかが仕事なのだから。

とにもかくにも採用した人間がハマらなかったときに「ウチの部署ではハマらなかったけれど営業マンとして開花するかもしれない」「仕事を覚えるのは遅いけれど話好きだから」といったワンダー理論で営業部へ異動させないでほしい。営業部は再生工場ではないのだ。もういやだ。はやくこのジミヘンから脱出したい。いうまでもなく、この嘆きも甘え以外の何物でもない。(所要時間23分)給食会社の営業職の嘆きについては、昨年出したエッセイ本にもあります。よろしく。