Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

就職氷河期世代は、たぶん、世の中の都合で正規雇用と非正規雇用にわかれた、最初の世代だ。

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事業部長代理として採用面接に同席した。面接の実務は担当スタッフがやってくれるので、僕は逃亡した事業部長の代わりに厳格な顔をして座っているだけである。最近、募集を出しても反応が薄い。そのなかで応じてくるのは就職氷河期世代か高齢者が多い。本音をいえば30代までの若い人間を採用して若返りをはかりたい。今回、面接にやってきたのは就職氷河期世代の男性。アラフィフ。経歴を見ると、なんとも言えない気持ちになった。募集要項にマネージャー経験や営業経験がある人優先的な記載があったはずだが、経歴書にはそれに該当するものはなかった。2001年から約25年間、派遣社員や期間工として交互に働いていて、合間を埋めるようにアルバイトとしてコンビニなどで働いていた。半年から2年を派遣社員等、数か月から1年をアルバイト、そのパターンを繰り返していた。

就職氷河期世代は、たぶん、世の中の都合で、正規雇用と非正規雇用で真っ二つに別れた最初の世代だ。そして見捨てられたままだ。新卒として社会に出るときに厳しい雇用状況にぶち当たり、当時流行っていた働き方、派遣やフリーターに流れ、そこから脱出できず、救済されることもなく、ここまで来てしまった。業績の悪化した企業のために安い労力として都合よく使われてきた。僕も氷河期世代の一員なので、当時の新卒採用の苦しさはよくわかっているつもりだ。僕は、たまたま就職できたけれども、何人かの仲間たちは派遣やフリーターになり、そこから脱出した者もいれば、沈んだままの人や音信不通の人もいる。国や政治には期待できない。だから、もし自分が採用する立場になり氷河期世代の人が現れたら、出来る範囲で救いたいと考えていた。氷河期世代の痛みがわかるのは氷河期世代しかいないのだから。

しかし、これまでもそういう機会はあったけれども、現実問題として採用する側に立ち、中年になった氷河期世代になってみると、うーん、と唸ってしまう。氷河期世代の経歴を見るたびに、「これまで苦労しただろうなぁ」という同情と、「こんなに長い間はいあがるきっかけはなかったのかな」という疑問のふたつが沸き起こるのだ。これまでは同情の方が強かった。それは、氷河期世代救済という言葉をイージーに使っているように見える政治に対する怒りからでもあった。50歳になってから就職斡旋や職業訓練を救済措置として打ち出してくるのも馬鹿にしているようにしか見えなかった。そのうえ、選挙が終わる前にそれが数字につながらないとわかると誰も口にしなくなる。馬鹿にするどころか無視である。

そんな繰り返しを見てきたので、巻き込まれた人たちへの同情は強かったのだ。だが、自分が採用する側に立ってみると、違うものが見えてくるのだ。四半世紀のあいだ派遣期間工アルバイト派遣期間工アルバイトの生活から抜け出すきっかけはなかったのか、努力はしたのか、その生活の苦しさと気楽さを天秤にかけて気楽さを取ったのではないのか、と。面接に来るのだから、正社員として働きたいという気持ちがあるのは間違いないだろう。だが、企業は相応の経験やスキルのある人物を求めている。中途採用だからなおさらだ。残念ながら50歳の将来性を買って、育てることなんてできない。僕は51歳だ。能力や体力の下降を実感する日々だ。自分と同じ年代の人間の将来性のなさはいちばんよくわかっている。僕が勤めているような中小企業では余計な人材を抱える余裕はなく、超大手企業は求められるものが高い。落ちてしまった氷河期世代を正社員として雇用できない。残酷だけど、手遅れなのだ。手を差し伸べようという気持ちがあっても手を出せないのだ。もっと早く、せめて15年前くらいに救済措置がなされていれば間に合ったかもしれないけど。

彼は不採用になった。仕事がなくて困っているというので、主婦パート2名が辞めて欠員が出た老人ホームのパートを紹介した。先月から勤務している。勤務態度は上々らしい。微力ながら助けになれば…という気持ちから仕事を紹介したけれども、見方を変えれば、僕も、かつて氷河期世代を都合よく使っていたかつての社会と同じことしていることに気がついた。彼らの経歴にプラスにならない職歴を書き加えてしまった。どうにもならないとわかっていても、後ろめたい気持ちになる。救いたくても救えない、こういう人が何十万人もいると思うと本当に暗い気持ちになる。(所要時間21分)

 

僕が30年間ノルマを達成し続けてこられたのは「生活のため」だったから。

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社会に出て働きはじめて丸30年になる。ずっと営業職だ。運にも恵まれて、30年間、ノルマ達成を続けてこられた。パーフェクトではない。月単位や週単位のノルマをしくじったことは何度もある。しくじったあとでリカバリーをして、年単位のノルマを30年間、達成し続けてきたということだ。継続できたのは、たまたま運に恵まれた結果だけれども、ノルマや目標を達成するのは最低限のタスクだと思っているので特に感想はない。「よくやってこられたなあ」と時々振り返るくらいだ。
同僚や後輩に30年間ノルマ達成の話をすると驚かれる。反応は二種類。ひとつは、「おかしい」「ヤバい」という怪物扱いと、もうひとつは「コツはありますか」というテクニック的なものの開示請求だ。後者みたいな反応には戸惑ってしまう。コツといわれても、地味にコツコツやってきただけで決定打になるテクニックなど思いつかないからだ。それに、各々、能力や条件が違うので、「これをやればオッケー」なんて言えない。無責任すぎる。
ないことはない。ただ、どうしても具体性の欠ける抽象的な言い方になってしまう。「人(顧客)の話をよく聞いて、人(顧客)の目線に立ち、自分の都合に合わせていく。特別なことに走らず、一発逆転を狙わず、計画的に進める」。これな。僕が30年間今の仕事(営業)をやってこられたのは、30年間ノルマ未達がなかったからだ。それだけだ。営業に配属された同期で営業を続けている人間はいない。自ら別の職種に移ったものもいれば、本人の意志に反して続けられなかったものもいる。結果を出し続けなければその仕事を続けられないのは、営業にかぎらず、すべての仕事に共通している。営業なら仕事・契約を取る。それだけだ。やることが決まっているならやるか、やらないかの問題になる。やればいい。特別な事は何もない。
僕は、自分の力量を悲観して、過小評価してきた。「自分には力がない」と自覚していたので「人と同じことはできない」「同じことをしては勝てない」という出発点から方向性を決めてきた。その方向性がもしかしたら人と少し違っていたかもしれない。結果的にその方向性でうまくいった。もっとうまい方法はあったかもしれないが、ifルートは確かめようがない。「ifルートをしておけばよかった」と後悔したことがない。それも30年続けられた理由だろう。

方向性についてもう少し詳しく話すと、具体的な策は回避してきた。カリスマビジネスマンやエリートセールスマンが教えてくれるような手法を追わなかった。テクニックに走らなかった。それらが世に出るときには既に古くなっているはず、と思ったし、前提条件が異なれば使い物にならないと考えた。また、他人からもたらされるものは、一度抽象化して自分に当てはまるように再調整してから使えるようにする必要もある。かなり難易度の高い作業だ。それでも自分の武器にできるともかぎらない。それならば最初から人の真似はしないほうがいい。そう考えた。

成功した人の習慣を真似る人もいるが、遠回りに僕には見える。最悪、ただのモノマネで終わってしまうだろう。それだったら自分で使えるものを有効活用する方がいい。たとえば、昨今よく書籍のタイトルなどで見かけるスタンフォード大学。アメリカの名門大学だ。スタンフォードに入る能力のない人がスタンフォード大方式を真似たところでコスプレみたいなものだ。もちろん人によっては、ある程度のところまで高められる可能性はあるだろう。しかし、モノマネでスタンフォード出身のビジネスエリートにはなれるわけがないのは明らかだ。
ビジネス本は条件付きで役に立つと思う。ビジネス本や自己啓発本には読み終わったときに「僕にも出来るかも」というやる気を得られる効能がある。中身については、参考程度に留めたほうがいいだろう。今までのやり方や考え方は間違っていなかったということを確認しながら、楽しめばいい。そのなかで自分にハマりそうな方法があれば取捨選択すればいい(僕はやらないけど)。

さらに話は逸れるけど「劇的に変わる」や「圧倒的な成果」みたいなフレーズやそれに関わるものを僕は信用してこなかった。ありえないからだ。仮に、そういったもので劇的に生まれ変わって圧倒的な成果を得た人がいるなら、その人はその時点まで全く努力をして無垢な状態であったということだろう。何もしていない人が少し真剣に取り組めば、客観的にはたいしたことのない成果でも、圧倒的なものに見えるものだ。可愛いよね。現実は厳しく、真面目に何年も働いていれば、無垢や白紙状態でいる事はなく、劇的に変化する可能性は少なくなる。そもそも劇的とか圧倒的という言葉が刺さるのはピュアすぎる。それらは便利な言葉なのだ。大昔に受けさせられたビジネスセミナーで講師が「劇的や圧倒的みたいな言葉は便利です。定量的に数字で具体的に示すと訴えられてしまうかもしれないが、劇的というファジーな言葉にすれば訴えられないし、具体性がなくても凄さは伝えられるから」と言っていた。
また、神や天才は滅多に存在しない。僕は30年働いてきたけれども、仕事をしているなかでは、神や天才とは出会えなかった。優秀な人はいくらでもいる。もし天才に見えたら、貴兄の能力や経験がたいしたことがないため、普通に優秀な人が天才に見えてしまうのだ、と自戒すべきだ。神や天才を自称する人、あるいは側近から持ち上げられている人からは距離を置いたほうがいい。ピュアな人は気付いたらツボを買わされているかもしれないから気を付けましょう。こんなふうに僕は、いわゆるビジネスハックみたいなもの、一発逆転的なもの、いかがわしいものからは距離を置いてきた。それがうまくいったようだ。

そもそも仕事は特別なものではない。仕事などは、特別なものを必要とされず、普通に進めればいいだけの、たいしたものではないのだ。全く新しいビジネスモデルを作るとなると多少特別なものが必要となるかもしれないけれども、それでも天才や神といった超人的な能力が必要なほどではない。仕事の多くは、やること、しなければならないことがすでに決まっている。仕事について悩んでいる人の多くは、やらなければならないことが明らかであるのに行動してないことが本当に多い。少しうまくいかないと「壁にぶつかった」「モチベーションがあがらない」といってインスタントに絶望する。はっきりいって仕事とは越えられる壁を越えることであり、モチベーションがなくてもこなすのが仕事なのだ。困ったら、原因を探して、考える。これしかない。多少の障害で絶望して何か特別なもの、一発逆転できるものを求めるマインドこそが仕事を続けるうえでの最大の敵だろう。
僕は仕事を特別視しない。仕事をしていても偉くもなんともない。僕にとって仕事とは時間や労力を換金する行為に過ぎない。つまり、仕事にかける時間や労力を軽くすれば効率が良くなる。そのための工夫は30年間ずっと続けてきた。ごく一時期はセミナーに出たりして、テクニックに走ろうとしたこともある。うまくいかなかった。自分の頭で考えて、試行錯誤を経て、自分にあったやり方を磨いていくほうが合っていた。ごく一般的な企業で課せられる仕事・タスクは、特別な能力を求められるようなものではない。少し頭を使ってやっていけばクリアできる程度の障害に過ぎない。まずは自分の頭で考える。これを習慣にすれば仕事なんてものはなんとでもなる。
最近はインターネットやSNSが発達して、僕が若い頃とはちがう仕事のやり方というものが出てきている。ただ、僕の観察したところでは、SNSに流れてくるようなテクニックは眉唾物だった。またいちいち成果をアピールするのは馬鹿みたいだからやめたほうがいい。仕事は成果を出すのが当たり前。トイレに入ったらうんこをするのと同じだ。わざわざアピールするようなものではない。馬鹿みたいなのでやめたほうがいいでしょう。
仕事なんて生きるための手段に過ぎない。特別なものでもない。自分の頭で考えて進めればいい。生活のためにやるからこそ真剣に取り組める。「仕事を通じて自分の能力や可能性を広げたい」などといって仕事にそういうものを求めるのは結構だけれども、能力や可能性を広げられないほとんどの仕事とどう向き合うのだろうか。私事だけれども、僕は家庭の問題もあって大学を出る際、経済的に大変困った。お金があってなんぼだと思い知らされた。なので、社会出るとき、徹底的に生活のために仕事をしようと考えた。生活のために競争に勝つ。ノルマを達成する。人の真似をしていては勝てない。自分の頭で考え抜く。理屈とか技術ではなく、生活のためという切羽詰まった気持ちがあったから、30年間ノルマを達成し続けてこられて、今の僕があるのだ。(所要時間42分)

ドリフター(drifter)

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スマホやインターネットはなかった。コカ・コーラは250mlの細い缶で飲んでいた。どこにいっても煙草を吸うおっさんがいた。電車に乗るには、改札で乗車券にハサミを入れてもらわなければならなかった。1980年代。僕は小学生だった。そういえば駅の券売機で子供価格の切符を買うには、カバーを上げてからボタンを押す必要があった。子供用切符ボタンを守っていたあのプラスティック製のカバーは、何者から僕ら子供を守っていたのだろう?

コンビニエンス・ストアはいくつかあったけれども、勢力は小さかった。まだまだ個人経営のスーパーマーケットが元気な時代。僕の家の近所にもそんなスーパーがあった。食品スーパーではない。品揃えは現在のコンビニよりもバラエティに富んでいた。肉、魚、野菜、生鮮食品コーナー。冷凍、冷蔵、加工食品のブース。店頭の焼き台からは焼き鳥やお好み焼きの匂いが流れていた。お菓子。各種飲料。文房具。店先には10円で動く遊具も置かれていた。親に連れられていった僕も、巧みな交渉術でオマケ付きのお菓子を手に入れていた。ロボットアニメのシールや、宇宙飛行士の記念切手のレプリカが入れられた、甘い甘いチューインガム。

スーパーが開店したのは僕が小学生低学年の頃だ。客は多く、商品が狭い通路に溢れていた。セールを呼びかける店員の大声が響き、店長と奥さんはいつも忙しそうだった。数年後、僕が中学生の頃にブームは終わった。理由はわからない。大手スーパーの進出やコンビニの台頭といったところだろう。中学生の目にも、ごちゃごちゃした店内は古いものに映った。コンビニに比べるとダサかった。登下校の途中に立ち寄っているところを友達に見られたら馬鹿にされそうな店になっていた。それでも週末になると駐車場は車で埋まっていたから地域の固定客に支えられていたのだろう。高校生になると、客は目に見えて減った。登下校の自転車から見たスーパーはいつもガラガラで閑散としていた。どうやって経営が成り立っているのか不思議なほど。僕は近未来の閉店を予測した。

予測は外れた。スーパーはもちこたえたのだ。僕が大学を卒業し、社会人になってもあり続けた。原チャリから見えたスーパーは、看板の文字が一文字欠け、外壁の塗装がはがれ、老朽化が進んでいた。80年代のピカピカしたものが色褪せたときに実際より老けて見えるあの感じがした。スーパーだけでなく、街自体が年老いてきていた。そして、ある日、スーパーは閉店していた。正確な閉店日を誰も知らなかった。「店長の奥さんが従業員と金を持って逃げた」という噂を母から聞いた。

スーパーの建物は、閉店後もそのままだった。二階部分が住居になっていて、日が暮れると灯りが点いていた。店長は出て行った奥さんを待ち続けているというストーリーを勝手に僕は想像した。シャッターが閉じられた店舗は、賑やかな店舗が瞬間冷凍されて保存されている。奥さんを驚かすために。そんなストーリーだ。

異変に気が付いたとき僕は30歳になっていた。正直に告白すると僕はスーパーの存在を忘れていた。大人になった僕は、閉店したスーパーに注意力を割いていられるほど余裕がなかったのだ。ある晩、帰り道にふと気になってスーパーの方を見ると、敷地内に植木鉢やプランターがたくさん置いてあるのに気付いた。ハンパな数ではない。かつて段ボールに入れた野菜が並べられていたスペースが植木鉢とプランターでぎっしり埋められていたのだ。壊れた遊具がその中に見えた。やがて、草木は伸び、名前の知らない花も咲いていた。かつてスーパーだった店舗が草木や花に包まれていた。小さな森だ。仕事の帰り道、煙草をくわえた店長がホースやジョウロで草木に水をまいている姿を何回か見かけた。彼は静かに淡々と水をまいていた。僕には店長が、店がどこかへ漂流していかないように草木に根を張らせているように思えた。あるいは店長自身が流されないように。またはいつか帰ってくる人のために。

母親から、スーパーが地域の問題になっているという話を聞かされた。管理が行き届いていないため、草木が伸び放題と苦情が出ているというのだ。僕はスーパーの草木が敷地からはみ出していないことも、ある一定の高さ以上には伸びないようにしていることも知っていた。プロが育てているわけではないから、素人っぽく、秩序が見えないだけだ。誰かの不自然は、実害がなくても、誰かの無理解と先入観によって迫害へ繋がるのだ。店長はたぶん誰にも干渉されない一人だけの王国を作りたかっただけなのだ。誰だって流されないように、居場所を守るために日々を生きている。店長も同じだった。なぜ人とちょっと違うだけで責められなければならないのだろう。スーパーを覆っていた草や木や花がなくなったのはその噂を聞いてから数か月たったころだ。住民から申し入れがあったとかなんとか。こうして店長がスーパーの跡地に築いていたひとりきりの王国は崩壊した。

 店長はいなくなった。スーパーは更地になってそのまま数年間放置されていた。先日、通りかかったら小さい白い住宅が3軒建てられていた。誰かが生きていた場所は、誰もしらない地図になって、そのうえに何も知らない誰かの新しい人生が描かれていくのだ。人間や生活のたくましさを見た気がした。今はもうあのスーパーマーケットの話をする人間はいない。子供だった僕は中年になり、大人だった人は年老いたり亡くなったりしている。街も、住んでいる人も変わった。僕は、実家の食器棚に貼ったガムのおまけのロボットアニメのシールを見るたびに、忘れられたスーパーと、店長が育てていた小さな森を思い出しては、苦さと懐かしさがぐちゃぐちゃになった気分になる。(所要時間28分)

業務用のコメの値段が倍になりました。

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僕は給食会社の営業部長。当社に納品されている業務用のお米の価格が、先月からキロ800円前後へ値上がりした。それまでは平均400円弱だったので、ほぼ二倍。黒目が消えるかと思った。収益の悪化が予想され、各部署が対応に追われている。「ブランド米」表記でアピールしていた顧客に対しては、夜間にひっそりと「ブレンド米」に変えてしまおうという声が上がっているくらいだ(詐欺)。昨年から今年の春と違うのは、お米自体があること。米不足で需要と供給のバランスが崩れて価格が急騰したという説明はなんだったのか。

当社では、お米がもっとも取扱量の多い食材だ。昨年から続く値上げに対しては、顧客と交渉を進めて、契約を見直して、春から夏にかけての食単価アップという形でカバーしてきた。だが、それ以降の大幅な米の価格の値上げに対して顧客が応じてくれるかは流動的だ。理解のある顧客であれば応じてくれそうだが、今春に続いての二度目の値上げは、たとえば社員食堂なら労働組合との兼ね合いなどもあるため、見通しは不透明だ。

「製造原価が上がっているのだから、価格に転換するしかないだろう」というご意見を頂戴する。普通の飲食店ならそのとおり。だが、給食ではそうはいかない。給食業務委託で食単価が決められているため、一方的に価格を上げられないのだ。社会情勢や経済状況の大幅な変動があったときは、双方の話し合いで改訂できるという一文があるため、改訂は可能だ。だがそのためには交渉が必要である。時間もかかる。現在の値上げには対応できない。改訂までは泣くしかない。

不平等な契約のようだが、世の中が落ちついていれば、安定した売り上げと経費負担の軽さ等々の理由でリスクが少ないビジネスモデルなのだ。ただ、急激な価格変動に対応できていないだけだ。当面は、現状の契約のもとで価格交渉を続けつつ、物価のアップダウンに対応できる新契約を模索している。落としどころが難しい。

なお、当社の上層部は「米の値段が倍になってるなら、定食のライス量を半分にすればオッケー」と主張している。契約書上ではメニューアイテムと価格が定められている。顧客によってはメニューの構成(定食なら主菜+副菜+ライス+汁みたいに)を取り決めているものもある。契約書上では米の使用量まで決めていないため、ライスの量を半分にすることは契約違反ではない。ただ、「定食のライスが少ない」というクレームが発生して、解約につながる可能性は十分にある。上層部には余計なことはしないでこれまでどおり昼寝をしていてほしいものだ。

対して、街中にある飲食店は、米の値上がりや物価上昇にともなう値上げの実施は自由だ。給食のように契約で縛られていない。ファミレスのような外食チェーンでは、無慈悲な値上げを断行するところもある。うらやましいかぎりだ。一方で、値上げが自由なはずの個人店では値段を上げたくても上げられないという声を聞く。理由は値上げによる客の流出。その裏には長年の価格据え置き運営で店に余力が残されていないことがある。安さで売る個人店は、店主やその他数名の人件費は捻出できていても、適正な営業利益を確保できていないものが多い。余力がないため、一時的にでも売上が下がれば致命的な痛手になる。

値上げを断行するべきだが、安さと手軽さを売りにする個人店からその魅力を減少させかねないので判断は慎重にならざるをえない。本当に難しい。物価高騰直撃で経営の苦しい個人店に目をつけた悪いコンサルが「値上げをしても付加価値があれば客はついてきます」と助言したケースを知っている。コンサルは知り合いの内装業者を紹介して、無個性古民家風飲食店にリニューアルする。「60年続いているもつ煮はお店のストロングポイントです。もっと訴求するように「無二無二もっつー」に名前を変えましょう」と助言して、価格を倍にする。客単価アップが狙いだ。ところが付加価値を高めたのに期待したほど売上が上がらない。だって安くないから。こうして付加ではなく負荷を押し付けるのである。地獄だ。

食材を納品させていただいているお店にアドバイスをする機会があるけど、新たな付加価値なんて安易に言えない。なぜなら、たとえば、安さを売りにする個人店では安さこそが第一の価値だからだ。そこを改めるのなら店舗そのものを変えなきゃいけない。リニューアルでは済まない。もし、出来ることがあるとするなら、食材を安く仕入れられるルートの紹介と経営の効率化くらいだろう。

価格を自由に上げられるのに上げられない飲食店もあれば、上げたくても上げられない給食会社もある。どちらも厳しい。なお、取引のある米業者の見込みでは米の値段は上がり続けるらしい。お米自体はあるから、奪い合いになることはないぶん、まだマシと捉えていくしかないね。(所要時間26分)

相談業務でChatGPTが役に立たなくて絶望した。

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ChatGPTをはじめとした生成AIが、僕が任されている仕事(業務)でまったく役に立たないことがわかった。このまま生成AIが発達しても、この先も役に立つことはない。僕は省エネで効率よく仕事をしたい。だからAIには期待した。だが、人間の代わり、僕の代理にならないことが判明して、軽く絶望している。

ときどき、奥様から「話を聞いてほしい」と要請される。内容は、ご本人にとっては深刻なものらしいが、その多くはどうでもいいものだ。ただ、体裁が「相談」という形になっているため、日々、会社上層部から「今の株価どう思う?株もっていないけど」「楽に稼ぐ方法を探せ」と言われている僕は、何か意見を求められている感じがして、助言してしまうのだ。「こうしたらどうだろう」みたいに。これがよくないのだ。最悪、喧嘩になる。なぜなら、彼女の要望は「ただ話を聞いてもらいたい」だから。アドバイスは要らないのだ。つまり僕はアホみたいに何も言わずにただ聞いていればよかったのである。

僕は学習した。彼女からの同じような「相談」があったときは、アホみたいに口を半開きにして、頷きつつ、そうだね、なるほど、と適当に相槌を打つことにした。しかしそれでも、「話を聞いていない」「意見はないの!」とクレームを受けるのだから難しい。人間には無理だ。AIに任せたい。なお、奥様は僕からの相談事も「話を聞いているだけ」だとわかった。だから、物価上昇、栄養価不足などデータを持ち出して月額1万9千円からのアップをお願いしても通らなかったのね……。きっつー。

最近、仕事で相談を受ける機会が増えた。中小企業なので、営業部長でありながら他の役割を任されることがあり、現在は期間限定(と信じている)で、現場で働いている社員やパートの相談窓口的な業務を任されている。この仕事で持ちかけられる相談には、先ほどの奥様のように「ただ話を聞いてほしい」ケースと、的確な助言が欲しいケース、ふたつのケースがある。これらが混在してるケースもある。実に厄介である。

慣れない仕事をしているので疲れ切っている。相談に乗るのは仕事だ。逃げられない。それに相談してくる人間は真剣なので対応するしかない。相談の9割が、職場での人間関係や労使関係。助言については、過去のパターンから類似を見つけ出してそこでなされた解決案から作るのがもっとも効果が期待できるので、生成AI(ChatGPT)を利用して作っている。今のところ支障はない。負担も軽減できている。ありがとうチャッティー。

僕は、相談自体を生成AIにやってもらえばいいのではないかと考えた。そうすることによって、奥様のような「ただ話を聞いてもらい」愚痴的な相談であっても、具体的な助言が欲しい場合であっても、最適解を出してくれるはずだ。なにより相談に乗る人間がノーストレスなのがいい。実務的には相談者と一緒に生成AIにプロンプトを入力していく形になるだろう。そのような相談AIシステムが商品化されているかもしれない。僕は知らない。調べてもいない。というのも僕のアイデアは却下されてしまったからだ。

職場(同僚)から「絶対にうまくいかない」と反対された。その反対意見に僕も納得した。「相談に来る人、とくにただ話を聞いてもらいたい人は、話を聞いてくれた人間が、一緒に悩んでくれたり、同じようなストレスを感じてくれたりすることを求めている。時には健康を損なうくらいに」これが同僚の意見である。どれだけAIが優れていてもダメなのだ。悩みを共有して苦しめなければダメなのだ。つまり、求められているのは、一緒に悩んでくれる物言わぬ、胃酸過多の壁。たまったもんじゃない。確かに、解決策を見つけられなくても、すっきりした顔をして去っていく相談者は多い。こちらは現場の人間関係のドロドロや待遇への不満をぶつけられ、解決案を提示しても「そんなんじゃ解決にならない。もっと親身になって」とキレられ、胃が痛いのに、相手はスッキリ。解決していないのに…と謎だったけれども、僕の胃酸を過剰に分泌させることで彼らはスッキリしていたのだね。なるほど。

胃酸のない生成AIは相談役として全く役に立たない。開発者各位には、ストレスを感じて効率や精度が落ちて胃酸過多になるAIの開発をお願いしたい。期待はできない。なぜなら恨みや妬みや人間の業といったものはデータ化されていないし、ネットにも転がっていないからだ。学びようがないからだ。

「AIに仕事を奪われる」という話をよく耳にする。これまで順調に技術に仕事を奪われてきたのだから何を今さら感がする。しかし、生活のために社会にあわせて仕事のやり方を変えたり、新たな仕事を見つけたりしなければならない。「リーダーの体臭が我慢できない」「連続遅刻の理由は、今の業務がキャリアアップにつながらないからです」というクソみたいな悩みを、真正面から受け続けて胃腸を壊している僕が今従事している仕事こそが、AIに置き換えられない仕事のひとつであり、これからの人間の仕事のありかたのヒントになるだろう。(所要時間29分)仕事本を書きました。