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文系管理職は理系作家の夢を見るか?森博嗣『工作少年の日々』感想

森博嗣『工作少年の日々』がとても良かった。感想メモを書いたまま失念していたがスーパで買い物中、奥様(あえて敬称)から「せっかく書いたのならブログにアップすれば」と助言を受け、こうして公開している。奥様は「ブログ記事にすることが収入につながる」という鉄のように硬い意思を持っているのだ(抽象的表現)。鉄のように硬いと抽象的に表現されるのは、一般的に鉄は硬い素材として認識されているからだ。鉄の硬さは、炭素含有量で決まる(製法の違いもあるが割愛)。純鉄には炭素はほとんど含まれていない。つまり鉄は柔らかい素材ということになる。なお、鋼鉄は炭素量が0.02~2パーセントなので「少し硬い」程度。『鋼鉄ジーグ』は少し硬い程度の素材で出来ている。邪魔大国との戦いに耐えられるのか心配だ(設定ではジーオー磁鉄鋼)。では質問、純鉄で出来た長さ400キロメートルの棒を東京と大阪に置いて、東京側から引っ張った場合、大阪側で東京側に引っ張られる事象を確認できるのは同時か時間差があるか答えよ。なお、摩擦や抵抗については考慮しなくてよいものとする(答えは自分で考えてみてください)。

余談が長くなってしまった。『工作少年の日々』は少々オーバな言いかたになるが、20年以上前に執筆されたエッセィとは思えない内容だ。その要因は無数に列挙できるが、10,000以下に存在するパーフェクトナンバ(完全数)の数に限定して挙げてみる。まず文章のテンションがおかしい。理系作家と称される著者は、論文のような簡潔で論理的な文章が特徴だが、『工作少年の日々』は著者にしては珍しくテンションの高い文章が観察できる。著者はブログ本やエッセィを多数出しているが、ここまで妙なテンションが見られるのはかなりマイナである。次に、20年経過しても内容が古くなっていない。工作をテーマを切り口に語られているが、語られている内容が抽象的であるため現代でも通じるものになっている。具体的な内容は風化しやすい。たとえば僕が持っている平成4年度早稲田大学法学部赤本は内容が具体的すぎるゆえ現代では役に立たない(問題集コレクタには価値はあるかもしれないが)。著者の他のエッセィにも共通する特徴であるが、抽象的であるがゆえに、20年以上経った現代でも通じる内容になっているのは特筆すべきことだろう。

さらに、著者の真面目にふざけて遊んでいる姿勢が、一エピソードあたり六千文字のボリュームで読める。他のエッセィよりも長い文章の行間からは著者のホームセンタでの買い物が匂いたつようである(下手な比喩表現)。作家として活動をはじめて数年の時点で書かれているが、加速度的に増えていく収入を、拘らないことに拘って趣味につかっている著者の姿勢や、出版社の仕事のやり方への注文といった現在の著者のエッセィにも通じる内容が、今の氏には見られない力の入った文章で読むことができる。なお、「加速度的」は、僕の観測範囲において、「速度をあげつつ前進あるいは上昇するイメージ」をあらわす文系的な文章表現として使用されている。しかし、加速度とは速度を時間で微分したものにすぎない。なお、減速度というものはなく、加速度が負の値を取ることになる。また、物体の進行方向の正負と加速度の正負は全く対応しない。要するに、加速度的という表現には数値が負の場合が含まれることを忘れないようにしてもらいたいということ。そのうえで加速度的という表現が、等加速度直線運動をイメージすればいいのか、抵抗や摩擦はどう扱うのか、検証が必要になるだろう。

そして、『工作少年の日々』というタイトルが示しているとおり、工作愛が炸裂しているところ。特に少年時代の工作遍歴は、ラジコンやミニ四駆やプラモデルや電子機器など、少しでも工作をかじった男子ならノスタルジィを刺激されて「あるある」感がするだろう。もちろん、それは神経細胞を電気信号が流れることによって起きる錯覚か幻想にすぎないが。今こうして、書店に並んでいない20年以上前に書かれたマイナな(失礼)エッセィ本が読めるのは、著者がずっと前から予想していた電子書籍のおかげである。『工作少年の日々』は、「ほら、7だけが孤独でしょう」という台詞を生み出した人物を知るヒントにあふれている(所要時間22分)工作少年の日々 (集英社文庫)