友人の訃報が届いた。亡くなったのは、はてなダイアリーで知り合ったmk君(id:Geheimagent)だ。ご遺族のSNS投稿で彼の死を知った。最後に連絡を取ったのは今年の9月で、僕の著作を彼の自宅へ送ったときのやりとりが最後になった。彼を知ったのは2008年。当時、運営していたはてなダイアリー(「石版!」)に実家の犬小屋をアップしていて(はてな親父が作った犬小屋出し - sekibang 1.0)「変な人がいるものだなー」と認識したのがファーストコンタクトのはず。その後、はてなダイアリーを通じたやりとりを経て実際に新宿で会ったのがその年の初夏だった。なので彼とは18年の付き合いになる。mk君は、ネットで知り合ってから、18年間、やりとりを継続していた数少ない友人の一人である。第一印象は、勉強家であり、知識が豊富で、くだらないことにも興味を持つ、はっきりした口調で話す、ちょっと風変りな青年。当時、彼は就職して1〜2年の若者で、11歳も年下の若い友人が出来て新鮮で嬉しかった。
今、振り返ってみると2000年代に、ブログを書いていたからこそ、知り合うことができた関係だと思う。もし2020年代だったら確実にすれちがっていた。ネットでの出会いも変わった。今はより多くの人と知り合い、気軽にネットを飛び越えて実際に会うようになったのではないか。2007年前後で、はてなダイアリーのようなブログで文章を書いている人は、バズを求めたり、多くの人に知ってもらいたい、というよりは「自分のことを分かってくれる人たちと出会いたい」という感じだったのではないか。ブログで、リアルな知人に見せているものとは異なる顔、より深く、趣味や癖みたいなものを見せ合ってから会うのだ。「映え」のような見た目ではなく。いってみれば互いに局部を見せ合ったあとに知り合うような…そういう関係。ある意味では、リアルな知り合いよりもわかり合えてた仲間だった。
いろいろ馬鹿なこともやった。バンドを組んでライブもやった。2回ほど。バンドの練習のたびに毎週末会って、スタジオを借りてそのたびにベロベロになるまで飲んだ。そういえばライブもベロベロの状態で演奏していた。同人誌も何冊か作った。僕は寄稿しただけだけども。蒲田で開催していた頃の文学フリマにも何回か参加した。Web上で小説を一緒に書いたこともある。レディオヘッドのライブにも一緒に行った。ライブ前に数時間、埼玉アリーナ近くの「庄や」でべろべろになるまで飲んだ。飲みながら彼が「レディへには思い入れがない」と言っているのを思い出した。でもライブでは楽しそうだった。レディへのライブ前にプリンスと富野ガンダム、それと清原の引退について語った。サシで何回か酒を飲んだ。最後に飲んだのは数年前、営業中の彼とばったり会って「今度飲もう」と約束して桜木町と野毛ではしごしてベロベロになるまで飲んだ。話題は「プリンスは死んでも不滅」「富野ガンダムは最高」「ヤクルトスワローズが弱い」。そう、お互いにプリンスが大好きだった。で、酒でベロベロになるまで飲んだ。新宿でベロベロになるまで飲んで、牛丼屋で僕がぶっ倒れて前歯を追って出血したときに起こしてくれたのも彼だった。バカなことばかりやってた。彼の自宅でロブスターも食べた。彼の結婚式の二次会にも出席した。
残念ながらここ数年は会っていなかったけれど、ときどき、メールでやり取りはしていた。突然、思い立ったように10年前のライブの動画データをくれたり、書き上げた短編小説を送ってきたりした。小説は、サラリーマンの2人がどこかの地方都市に行って、風俗で遊ぶという、どうでもいい話なんだけれども、それを真面目なタッチでおかしく書いていた。勉強家で豊富な知識を持っていたけれども、本来の彼はそういうくだらないダジャレみたいなものが好きだったんじゃないだろうか。蓄積した知識でいつか超大作を書くのではないかと期待していた。今はもうブログなんて斜陽で、18年前のようなブームというか熱みたいなものは二度と来ないだろう、けれども、あの頃のあの場所が熱かったのは間違いないし、今でもその熱はまだまだ残っている。バズりたいのではなく。有名になりたいのでもなく。自分の好きなものについて、少なくていいから分かってくれる人と知り合ってみたい、ちょっと寂しがり屋で、僕らみたいな、分からない人たちはバカだよね、センスないよね、つって少し周りを見下しているプライドが高く、めんどくさい人間にとって、はてなダイアリーは天国だった。そういう場所で知り合ったから、11歳も年齢差があっても、気兼ねなく話すことができた。僕みたいなおじさんと遊んでくれてありがとう。
最近は忙しそうで、SNSを見る限りは忙しそうで、ブログも全然書かなくなっていた。もっと語りたかったんじゃないかな。小難しい本をもっと読みたかったんじゃないかな。後悔といえば、はっきり約束したわけではないけど、最後に飲んだときに「また音楽をやろう」「バンド組みたいね」という約束をした気がする。それも叶わなくなってしまった。ヤクルトスワローズの試合観戦もタイミングが合わなくて叶わなかった。僕は故人の分も生きなきゃダメだとか、叶えらなかった夢を叶えようというのは大嫌いなので、叶えられなかった約束はそのまま苦い後悔として取っておきたい。
こんなセンチメンタルな文章は書くつもりはなかったけれども、ここに書き残しておくのが、ブログやネットが好きだった彼への弔いになると考えている。あと、彼がネット上に残した膨大なレビューに触れた誰かが「どういう人なんだろう?」と気になったときに、ここに辿り着いてくれればわかるんじゃないかな、とも。僕ももう若くないので、一緒に馬鹿なことをしてくれる彼みたいな人間との出会いは今後ないだろう。30代前半から50歳まで、いちばんお金と体力と煩悩に溢れた頃に会えて、本当に良かった。それにしても頭の良い彼にしては僕と亡くなる順番を間違えるなんて、困るよね。ロックバンドも僕の知らないところでメンバー間の音楽性の違いで解散して、困るよね。うーん、よく考えたら振り回されてばっかりだった気もするが、僕の人生のうち、20年弱を楽しませてくれたのは感謝しかないな。もし彼がいなかったらブログをこそこそと書き続ける陰気なおじさんで終わっていただろう。「落ち着いたら」とか「そのうち」と言って、会ったり、遊んだりするのを未来に繰り越してはいけない。未来は信用できない。未来はときどきこうやって残酷な仕打ちをするものだ。ここまで書いて彼のSNS (X)を眺めていたら、時々、僕の名前を出して言及していたことに気が付いてしまって涙腺崩壊しかけた。

会っておけばよかったな。いつか、プリンスのシャツを着て線香をあげにいきますね。さようなら。また。(所要時間60分)