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Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「意識が高い」といわれてしまった。

  はじめて「意識が高い」と言われた。今朝、始業前に床に落ちていたゴミを片付けていたときのことだ。「課長、意識高いっすねー」褒められたのか、バカにされたのかわからない。本来、高いは高収入、高学歴、高気圧とプラスの意味に使われるはずなのに一部のアホーな若者の所為でマイナスに使われるからややこしい。僕はひとまず褒められたことにする。じゃないと涙が出ちゃう。更年期だもん。
 
  日本を変えたい。社会を良くしたい。地域に貢献したい。自分を高めたい。僕が、私が。自分の名で。起業だ。NPOだ。そのような高い意識を持ちながらもアホーなことをやって炎上してしまう人を「意識が高い」といって貶す昨今の風潮。
 
  僕は思うのだけれど、アホーなことをやって炎上する人を指して「あいつ意識高くね?」つって騒ぐほどその意識は高くない。他の要素や能力が低いために相対的に高く、突出しているように見えているだけだ。
 
  本当に意識が高い本物の人というのは、その意識を現実化する道筋が見えているというか、理想と現実を繋げるバランス感覚とアイデアを持っているので、決してアホーなことをして炎上しない。なので「意識が高い」つってアホーな人と一緒くたにするのは不憫だ。
 
  アホーなことをして炎上する人、本物の人、それら意識高い系共通の要素である「ウザっ!」「面倒クサ!」というオーラに火元はある。なんかウザいので一言言いたいけれども、本物の方は脇が堅くツッコミどころがない。一方でアホーな人は脇が甘く、アホーなことをしたり事後処理がアホーだったりしてツッコミどころが満載。その為、本物に浴びせられるはずの分もまとめて「意識が高い」の十字砲火を浴びて炎上するのだ。「意識高い」は言いかえれば「ウザっ!」なのかもしれない。
 
  もちろん、意識が高いとシュプレヒコールを浴びせる側にも、こんなアホーなことをする奴には正義と秩序の旗のもと制裁を加えるのだ加えていいのだという意識の高さが見られて、そんなとき僕はとても生温かい、幸せな気持ちになる。
 
  意識の高低を善し悪しとする世の中では、日々、酒と異性と金のことしか頭にない僕のような人間は生きていけない。そんな世の中、絶対反対。話によればAO入試という、アーオーって何となく音読みがアホっぽい大学入試制度があってそういう世の中の、意識高い系の土壌となっているらしい。
 
学力偏重になりすぎた従来の制度への反省から生まれた人間力みたいなものを重視する試験制度だそうで。人間力のような得体の知れないものを測ろうなんて、驕り、としか浅はかな僕には思えてならないけれど、そんな偏見をはね返すためにもアーオーから輩出される人たちには是非とも頑張って制度の未来を照らしてほしい。その光源が炎上でないことを祈るばかり。
 
「課長、意識高いっすね」と言われた僕は、酒と異性と金とGのレコンギスタしか頭にないので、とても意識が高い人間とは言えない。まして祖父に神童といわれ続けていたように、僕は意識以外の能力も文武両道、極めて高い人間なので意識だけが相対的に目立つことなどありえない。
 
しかし、これも相対的なもんなのだ。僕に「意識高い」と言った人は、低意識の僕よりもずっと低いミトコンドリアレベルの意識しかお持ちでないため「ゴミを拾うなんてダイソンの掃除機のように素晴らしい御人だ!」そんなピュアな羨望から「意識が高い」と僕に言ったのだ。貶しでなく、褒め言葉だったのだ。「意識高い」が悪口になる風潮そのものがおかしいのだ。
 
そんな風潮はおかしい。革命が必要だ。無血革命にはアーオーが輩出した意識高い若者との話し合いと相互理解が不可欠だ。しがらみや偏見を廃し、子供のようなピュアな気持ちで語り合うことだ。衆議院解散の是非や、選挙や、一票の格差や、この国の将来について。そのために僕らはイメクラに行って小学四年生にならなければならない。