8月1日付で部長に昇進した。同時に総務・人事部門を除く運営事業全体の統括を任されることになった。いきなり、社員・パート含めて500人の頂点に立つのだ。今回の昇進を受けて「ボスに取り入ったクソ野郎!」と陰口を叩かれた。個人的な嫌がらせと非人道的人材補完計画により相次いで部長と課長の間に追加された、部長代理、副部長、部長補佐、部長見習、部長心得、次長、次長代理、室長(すべて退職済)を飛び越えての昇進を「名誉の戦死による3階級特進」と揶揄されたりもした。そういう妬み、僻み、嫉みをぶつけてくる敗北者たちは経営状況の悪化を理由に僕の給与がしばらく据え置きであることを知らない。
立身出世に浮かれて「ブラック企業で底辺から登りつめた私の努力」「こうすれば出来る。今からでも変われる」的な薄気味の悪い啓蒙活動をネット上ではじめてしまう浅はかな人間もいるが、僕はしない。なぜなら、昇進というものは相対的な物差しで決まるものであり、自分の実力と努力だけでどうこうなるような代物ではなく、むしろそれ以外の要因、たとえば周囲の人間の能力不足や努力不足つまり競合の失脚の方が大きいと僕は知っているからだ。もっとも、周りを見ても、仕事をしているのか寝ているのかわからぬ者ばかりで、日々、山火事を小便で消すような努力をしている僕が負けるはずないけれども。
親族経営の弊社において中途採用、外様の人間が運営のトップになるのも、40代前半の人間がトップに立つのも、半世紀を越える社歴で初めてのこと。僕の能力と実績を周囲のそれと天秤にかければ、英断でもなんでもない、ごくごく普通の人事が行われただけととらえるしかないが、冴えないベテラン社員の話を信じるならば、アリエナイ人事らしい。そういう話を聞かされていると、慎重な僕でも「うすうす気づいていたがもしかして僕は実力があるらしい」と思うのが自然だ。生誕の際に「あら可愛い」と褒められて以来、誰からも褒められたことのない人生。おそらく、僕にとって今回の昇進が人生最後の褒められる機会だろう。そう考えた僕は今回の人事の理由をボスに尋ねてみた。ボスは超簡単に口を割った。僕を事業全体のトップに据えたのは仁義なき非情なリストラを遂行するためだと。全社員・パートの仕事を精査してリストラ、最悪、全社員を容赦なく首チョンパ。それが僕に課せられた仕事。きっつー。
それはいい。だがなぜ僕なのか?その答えをボスに求めた。君の能力が必要なんだ。このリストラは君にしか出来ない。僕はそのひと言だけを期待した。それだけを言ってくれれば僕は喜んで人でなしになろう、すすんでリストラ・マシーンになろう。そんな願いも虚しく、僕の耳に届いたのは「親戚を憎しみの対象には出来ない。君ならちょうどいいやと思って」というハートフルな答えだった。これぞ親族経営。以来、1ヵ月。全社員の憎しみと警戒を一身に受けながら粛々とリストラ計画を遂行している。この地獄を生き抜くために、僕は人から憎まれることに喜びを感じられるような人格者にならなければならない。余談だが課長でなくなったことを受けて就業規則通りに年額18,000円の課長手当は削られるそうである。(所要時間18分)