僕はこれまでインターネット上に公開されてきた転職・退職エントリーを「ただの自慰行為」として激しく批判してきた。その僕がこのように転職・退職エントリーを書いている。なぜか。他人の自慰を見せられるのは不快だが、自慰をするのは気持ちがいい、それを公衆の面前でするのはもっといいことに齢43にして気付いてしまったからである。よくよく考えてみると、僕の人生は自慰の連続のようなものであった。不快極まりないと思うが僕の自慰にお付き合い願えたらこんなに嬉しいことはない。転職・退職エントリーを研究したところ、どれも個性と自尊心と偽善に満ちあふれ、型にはめたように「感謝」「学び」「実績」「これからの目標。夢・希望」という要素にまとめられていたので、僕もそのセオリーに沿って書いてみたい。
感謝
退職エントリーには感謝を口にしなければならないという暗黙のルールがあるらしい。なぜ、第三者が閲覧しているワールドワイドウエブに向けて特定の誰かへの感謝を記さなければならないのだろう。FBやLINEやメールで《直接》関係者に感謝を伝えればいい。かつての同僚への感謝を忘れない自分自身の姿に酔っているだけである。厳しい言い方をするのなら、感謝するよりも感謝されるような仕事をしていなければダメなのである。それほど謝意を持つのならやめなきゃいいのにと思う。僕は給料分は仕事したという自負があるので特別な感謝はしない。あるのは晴らすことのできない怨念だけである。
学び
つづいて学び。意識高めの若者は「気付き」というらしい。働くことを通じて自分が成長できたことをアッピールするのも退職エントリーのお約束になっている。RPGのレベルアップじゃあるまいし「成長できました」なんてよく真顔で言えるなーと感心するばかりである。新卒の人が成長出来ましたアッピールするのは理解できる。会社も教育に熱心な期間だからだ。しかし、中途入社やそれなりのキャリアを経た即戦力かつ実力者は、いちいち成長、学び、気付きをアッピールしない。できない。出来て当たり前の世界だからである。死して屍拾うものないビジネスの世界では、成長できる余地イコール隙になって、相手に付け込まれることがある。誤解してほしくないのは、僕は成長を口にするなと言っているのではないということ。ただ、安易に口にするなと言っている。本当に出来る人はインスタントに成長を口にしない。口にするときは自分の中で消化分析し終えているのだ。何歳になっても人間は成長できると主張する人もいるが、大多数の人間は年齢を重ねれば重ねるほど成長しなくなる。自分は成長しないという厳しい現実を忘れないことのほうが、成長アッピールよりもずっと重要だと僕は思う。
実績
実績をアッピールする転職・退職エントリーも実に多い。求職エントリーなら、自分はこんな仕事をしてきましたというアッピールは大変重要で意味があるといえる。だが、すでに転職先が決まっている状態で、なぜ、そんなものを公開するのだろうか。完全な自慰であり、気持ちいいことは否定しないが、「よくわからないけどスゴイなあ」「履歴書に書けよ」という言葉しか見当たらない。そもそも「○○プロジェクトの一員として当該プロジェクトを成功へ導く」と記載されていても、どの程度、その仕事に関与したのか部外者にはまったくわからない。お茶を入れたり、菓子を出したりする程度の関与かもしれない。公表するのなら事業やプロジェクトの何パーセントに貢献しているのか、数値でわかりやすく記載してほしい。
これからの目標
先日お伝えしたとおり競合他社への転職が決まった。営業エリアも顧客ターゲットもほぼ同じ、会社の規模は次にお世話になる会社の方が大きく、経営方針も無慈悲なので、かつての同僚たちをこの手で殲滅することになる。ざまあ。などと正直な感想を表に出すと《非人間的》《ウォーズマン》と批判・糾弾されるので、公式には悲しい、きっつー、ということにしておきたい。人間だもの。微力ながら、この露悪的な文章がネット上にはびこる薄気味悪い退職・転職エントリー絶滅に繋がることを祈って、結びの言葉とさせていただきます。(所要時間19分)