Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

死を四次元ポケットに入れて

近所に住んでいたタカちゃんのお父さんが亡くなったとき僕たちはまだ小学一年生だったけれど、タカちゃんの家を取り囲んだパトカーや救急車の騒々しさと、普段は陽気なタカちゃんがお地蔵様みたいになっているのと、周りの大人たちの不穏な空気から、その死が普通じゃないことはなんとなくわかった。1980年(昭和55年)の初夏の出来事だ。当時、タカちゃんのお父さんは30代の半ば。平日の夕方、僕たちと遊んでくれる優しいおじさんであり、大きな友達だった。彼が病気で療養していたのだと気付くのはずっと後のことだ。どういう方法で命を絶ったのか僕は知らない。タカちゃんも知らなかったのではないか。ベーゴマ。メンコ。チョロQ。ルービックキューブにガンプラ。子供だったからだろうか、タカちゃんのお父さんについての楽しい記憶は断片的。バラバラで繋がっていないのだ。顔や声も思い出せない。ただ、身近で遊んでくれた人間が普通じゃない亡くなり方をして消えてしまったことが、とても怖かったことだけはよく覚えている。

しばらくしてタカちゃんのお母さんが車で、神奈川の丹沢にあるタカちゃんの親戚のウチに遊びに連れて行ってくれた。キーキー鳴くカミキリムシやどこかコミカルなカブトムシのサナギをそのときはじめて僕は見た。その帰り道に秦野のイトーヨーカドーへ立ち寄った。タカちゃんのお母さんが買い物をしているあいだ、僕たちは階段の踊り場で買ってもらったアイスクリームを舐めていた。夕方で、川の向こうには山の連なりが見えた。タカちゃんはアイスクリームを舐めながら「お父さんにはならないぞ」と言った。表が明るいせいで影そのもののようになったタカちゃんがどんな顔していたのか思い出せない。僕は何も言わなかった。何を言えばいいのかわからなかったのだ。40年近くたった今も、あのとき言うべき言葉を見つけられない。もしかしたら、そんなものはないのかもしれない。当たり前にいつもそこにあった時間や生活が、次の瞬間、夏の花火のように消えてなくなってしまう儚さに子供ながらに堪えていたのだ。テレビの中の四次元ポケットやタイムマシンは僕らをおおいに勇気づけ愉しませてくれたけれど、現実の僕らを助けてはくれなかった。救いはなかった。ちっとも。

それから間もなくしてタカちゃんは引っ越してしまった。僕の家から歩いて30分のアパートへ。たった30分の距離だったけれど、以前のように遊ぶことはなくなった。距離だけが犯人ではなかった。僕の両親がタカちゃんの家に遊びに行くのを控えるように言った。ご迷惑になるから。ご迷惑になるから。多分、僕がタカちゃんのところへ遊びに行けば、以前とおなじようにご馳走になったり、遊びに連れて行ってもらうことになり、それが迷惑になるという意味だったのだろう。たとえ親に言われなくても僕は自らの意思でタカちゃんと遊ばなかったと思う。タカちゃんと遊んでいると自分も同じ目に遭ってしまう。未知の熱病のようにうつってしまう。そんな気がしたのだ。僕はタカちゃんを忌避したのだ。まさか10年やそこらで、僕も父をタカちゃんのお父さんと同じような形で亡くしてしまうなんて。

父も同じように初夏だった。父の葬儀にはハイティーンになったタカちゃんも来てくれた。僕はなんだか後ろめたい気がして彼から目を逸らしたものだ。僕にはタカちゃんという身近で便利な四次元ポケットがあった。僕は四次元ポケットから昔を引っ張り出した。具体的なものは何もなかった。ただ、勇気づけられた。まだ小学生のタカちゃんでさえ出来たのだから、やりぬけたのだから、自分にもできる、乗り越えられる、と。僕はタカちゃんを忌避しておきながら図々しくも彼を利用したのだった。図々しさは無情な人生や神様に立ち向かえる唯一の武器だと僕は思う。2018年、僕は今44才で人生の折り返し地点をターンしたところだ。最高な人生とはいえないけれども、まあやっていられるのは、たまたまのラッキーだと思っている。人生はタイトロープみたいなもので、神様がくしゃみをすれば、谷底に落ちてしまう。僕もまた父たちのように落ちてしまうかもしれない。何年か前、小田原のショッピングモールで偶然、タカちゃんを見かけた。色黒で痩せているのは変わらなかったけれど髪は薄くなっていた。立派な中年男だ。

タカちゃんは嘘つきだった。お父さんにはならないはずのタカちゃんは子供を二人連れていた。色黒で痩せっぽちの男の子。1980年のタカちゃんがそこにいた。あのヨーカドーも閉店し、一緒に遊んだ町も既に様変わりしてなくなってしまったけれど、1980年のタカちゃんは父親になったタカちゃんとそこにいた。人生はタイトロープで紙一重。ほんの少しのことで、うまくいったりいかなかったりだ。人の力は及ばない。それはわかっているけれど、僕はお父さんになったタカちゃんにふたたび強い風が吹かないように祈った。図々しいけれど、祈るくらい、いいだろう?(所要時間24分)