Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

新国立競技場によって失われてしまうもの

 「ミニマリスト」という言葉の定義はあいまいで、人それぞれ意味するところは違う。いろいろな人生があるようにいろいろなミニマリストがいて然るべきだ。僕ははたして正しい使い方なのかわからないけれど、自分自身が男性的に常時ミニマムであることを指して自虐的に「ミニマリスト」を使っている。ミニマリストを男性のそれに喩えるのは発想としては平々凡々。そんな声も聞こえる。

 

 しかし平々凡々ととらえる方々はビンビンラディンであったり女性であったりして男のクライシスに直面していないから悠長に構えていられるのだ。僕などは森羅万象が男性クライシスに直結してしまう。ミニマリスト、ミニマムな人、ウワーッ!エンディング、ED、ウワーッ!不安なのだ。必死なのだ。「死火山なんてないよ」慰めてくれる人に対しても「次の噴火より前に寿命が尽きたらどうするんですか!」と食いかかってしまう僕なのである。

 

 そんな不安だけの人生を送っているので、新国立競技場の膨大な建設コストが大ニュースになっていることなど妻の言葉を耳にするまでは完全に他人事。妻は新国立競技場の、噂によると一本500億にならんとするキールアーチのコストについてこう嘆いた。「私の資産だとキールアーチ一本でバイアグラ125万個だよ!」バイアグラ。125万個…万個万個万個。世の中のニュースを僕が興味を持てるように変換してくれる妻にはいつも感謝している。

 

 許せなかった。たった一人のキャプテンEDの十数センチのキールアーチですら満足に立たせられない日本国が、黒人のアレを想わせる巨大なキールアーチを二本も立たせられると考える、その楽観主義が許せなかった。キールアーチを立たせる目処がついてもここは震度5クラスの地震が頻発する日本、相応の耐震強度を持たせるためにより多くのコストが掛かるのは想像に難くない。机上の計算や経験則通りに事は運ばない。

 

 僕が元気だった頃、リンゴを入れたコンビニ袋をキールアーチに引っかけ「ハウッ!」の掛け声と共にリフトアップしたことがある。三個まで持ち上げられた。今でも時々栄光の再現を夢見ては諦めている。自分で思う以上に耐チン強度が不足している。やれる、出来る、そう楽観的に考えることの全てが間違っているわけではないけれど、厳しすぎるくらいの物差しで現実を見つめるのは物事を進めるのは大事なのだ。

 

 キールアーチを作るコストでバイアグラを民衆に買い与えられたら素敵だ。何百、何千万もの人生を豊かなものに変えられるはずだ。キールアーチのかわりに競技場の屋根を支えるくらいわけもないだろう…。自宅療養中の僕はそっと目をとじてみる。僕にははっきりと見えた。TOKYO2020。近未来の自分。キールアーチのない新国立競技場。しかし屋根はある。ドーピングした男たちが文字通りの人柱となって支える屋根の上を46才になった僕は歩いている。男たちの屋根を。「その者青き薬用いて国立の野におっ立つべし」僕は言う。「なんだかナウシカみたいね」妻は笑う。

 

 妻の試算は間違っていた。バイアグラは一錠で1500円くらいなのでキールアーチ一本でお買い求め出来るのは125万個ではなく約3333万個。でも僕はそれを正さない。正す必要がない。バイアグラ一錠には値段には変えられない価値があるからだ。いずれにせよオリンピックに関わっている人には、3000万以上の人生を変えられるだけの金がかかっているのだから、しっかり仕事しろと言いたい。日本の【お・も・て・な・し】はしっかりした仕事があってこそ。しっかりした仕事をするメンタリティーを失ってしまうことの方がオリンピックの成否なんかよりもずっと怖いことなのだ。