Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

何者にもなれない僕らは、どうにもならない現実を笑うしかない。

何者にもなれないであろう僕たちは、どうにもならない現実を笑うしかない。笑っていられるうちは大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら、そう思っている。僕は45才。まだ出来るよ、もっとやれるはず、そんな言葉が慰めになる季節はとっくに終わっている。


飲むたびに「何者にもなれなかった」と人生を振り返る知人がいて、彼とのサシ飲みは十中八九グダグダで終わってしまうけれど、それでも付き合いをやめられないのは、「あいつも頑張っているから俺も頑張る」という前向きな感情からではなく、目クソ鼻クソの似た者どおしが互いに現在地を確認して、後ろ向きに安心できるからだ。彼は50代の男性でバツイチ(失礼ながら結婚していたのを知らなかった)、前の職場に僕が入社したときの直属の先輩であったが、僕が辞めるとき、彼は扱いにくさナンバーワンの部下になっていた。彼から電話があって久しぶりにサシで飲むことになった。最後に飲んだのは春先である。実は8月の誘いは断っていた。オッサン二人の汗ベカベカ加齢臭共演、真夏は厳しい。

週末、駅前のチェーン居酒屋。中ジョッキが届くやいなや、痰の絡んだ声で乾杯を済ませ、うだつのあがらない近況報告を終えると、お互い子供がいないこともあって話題は仕事やこれからの生き方へ。ここまで10分。実につまらない。中ジョッキ追加。僕が「また転職したんですよね。今は何しているのですか?」と質問すると「自由度があがって毎日充実している」「会社というものには嫌気がさしたんだ」「朝の公園でハトを眺めている」と彼は曖昧な回答に終始したので、すべてを察した。武士の情けで問い詰めるのはヤメた。飲み会のあとで切腹されたら後味の悪さで年内いっぱいの酒がまずくなるからだ。

「俺はさ、何者にもなれなかったよ」彼はお決まりの台詞と口にした。「何者にもなれなかった」毎回聞いている言葉。だが、公園でハトを眺めている五十男が口にするそれは、これまでになく重く響いた。公園のハトたちも聞かされているのだろうか。イヤだったら飛んで行けるハトが心の底から羨ましかった。残念ながら僕はハトではなかった。焼き鳥にかじりつく。ははは。笑っていられるうちは大丈夫。中ジョッキ追加。

「何者にもなれなかったのは残念ですね。ところで、今年は何かしたのですか?」僕は訊いた。「いや、特に何かをしたわけじゃないけどさ」彼は言った。「なるほど。実際にアクションへ移すのはなかなか難しいですからね。我々中高年は失うものが多いですから」と僕は言いながら、因果関係、「何もしていない」原因と「何者にもなれなかった」結果が明確で安堵した。全力で何かをしてカタチにならなかった五十男にかける言葉を僕は知らないからだ。笑っていられるうちは大丈夫、大丈夫なんだ。中ジョッキ追加。

「ハトはさ、自由だぜ…公園で首を回しながら歩いているだけでエサがもらえるんだ。それって理想じゃないか」手羽先を高くかかげてそう言っている彼の姿が忘れられない。自己破産や生活保護。ヘビーな話になるのかと構えていたけれども、彼は手羽先をぷるぷる震わせ、ハトの飛翔をあらわすばかりで、何も言わない。うまく笑えているかな。ビールが苦い。

絶望の手羽先を眺めていると、突然、彼が「まだ本気を出しているわけじゃないけど」と言いはじめた。「どういうことです?」とビールをちびちびやりながら訊き返すと「とりあえずユーチューブをはじめた」と彼。良かった。好きなことで生きていてくれて。公園でハト動画を撮っている彼の姿を想像して胸が苦しくなった。きっつ…。中ジョッキ追加。

こういうとき、五十男になんて言葉をかければいいのだろう?「ユーチューブいいじゃないですか」「ユーチューバーきついらしいですよ」「トライに遅いはないですよ」。からかい。嘲り。注意喚起。どの言葉もふさわしくない気がした。逡巡する僕を追い詰めるように「どう思う?」彼が答えを求めてきたので、いいんじゃないですか、と無責任な相槌を打った。「だよなあ、まさか、この年齢になってユーチューブを見るようになるなんてなあ」と彼が自慢するところを、ちょ待てよ、とさえぎる。

「見てるだけですか」「動画撮るとか俺には無理だよ」。良かった。ハト動画を撮っているマンはいなかったんだ、と安心しながらも、ユーチューブを見るだけで挑戦してる中高年感を醸し出そうとしている彼にガッカリした。「ユーチューブはじめました」=「ユーチューブ見てるよ!」日本語は間違ってはいないがこの文脈ではそっちじゃねえだろ。と言いたくなる気持ちをビールで流し込んだ。笑えねえ。中ジョッキ追加。

春先に飲んだときも彼は「何者にもなれなかった」と言っていた。僕は思いだした。あのとき僕は「何者ってなんですか?」について彼に尋ねたけれども彼は「特に何も(決めていない)」と言うばかりで、呆れてしまったのだ。何者を決めていないのに、何もせずに何者になれるわけがないじゃないかと。あれから数か月。漠然としたカタチでもいい。彼が何者を持っていてほしかった。僕は恐る恐る訊いた。「何者になれなかったと仰ってますけれど、先輩にとって何者とは何ですか?」答えはすぐには出てこなかった。

注文を繰り返す店員の声。客の笑い声。ジョッキのぶつかる音。彼の真顔が僕から騒々しい音を遠ざけた。「ここだけの話だけどな。笑うなよ。俺は」彼は喉につかえているものをビールで流し込むと「作家になろうと思う」と言った。自分の人生を投影した物語を流暢な文章で紡いで世に打って出たい。彼は教えてくれた。十数年の付き合いになるが、彼が自分の目標を打ち明けたのははじめてで、それが僕には嬉しかった。彼の門出に祝杯だ。中ジョッキ追加。

「作家ですか。いいじゃないすか。何を書いているのですか?」「何も」「え?」「失敗が許されないからさ、慎重に何を書くのか考えている」「1文字も書いてないんすか」そのとき彼が僕を小馬鹿にするように大げさにため息をついたのを覚えている。彼が「文学で一番大事なことって何だと思う」と言うので「視点ですかね」と答えた。彼は「違うよ」と否定すると「読者を惹きつける冒頭三行が大事なんだ。俺は朝の公園でハトを眺めながらその三行が降りてくるのを待っている」と教えてくれた。彼は1文字も書いていなかった。公園のハトが「ママンが死んだ。」を持ってきてくれたらどれだけ楽だろう。中ジョッキ追加。

「そうだ。今日はちょうどいいものを持ってきました。これ僕の書いた本です」僕はそういってからこの秋に出した自著を渡した。(これ→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。)

「そうなんだ」彼の反応は薄かった。「僕はこの本を、会社で管理職として働きながら、家族サービスをきっちりこなしながら、テレビゲームをやりながら、執筆しました。僕と違って会社も役職も家族もない自由で時間もたっぷりにある先輩も書けますよ」と僕は言った。彼は僕に「お前はいつもそうやって」と不満を漏らした。エールを送っているのに意味がわからない。中ジョッキ追加。

僕らは何者にもなれていない。何者が何なのかわからないまま、ハトを眺めているうちに終わってしまうかもしれない。でも、いいじゃないか。何者になれない人生も、何者かになれた人生も、あるのは違いだけで差ではないことを僕らは知っている。知っているから、真剣になれない。悲しいなあ中高年。

彼が飲み会の終わりに僕に投げかけてきた言葉をこの文章の結びにしたい。「お前、何様なんだよ!畜生!」よかった。何者にはなれなかったけれど、何様には僕はなれているらしい。様なんてつけなくていいのにね。水くさい。(所要時間40分)