レールに沿った人生なんてイヤだ、大学なんて無駄だから潔く退学して起業するよ、つって4ヶ月で中退した若者のブログが話題になっていた。僕は他人がどんな人生を送ろうと自分に影響がないかぎりどうでもいい。なので記事に対する反響の大きさに驚いている。なぜ、それほど赤の他人の選択に熱くなれるのか。反響は、世間知らず、勿体無い、といったマイナス評価が多かったように見えた。僕の元大学生に対する評価は少々異なる。僕のそれは「真面目な若者」だ。揶揄ではない。その真面目さが仇になるのではないかと心配しているくらいだ。僕ならレールに沿った人生を放棄したらわざわざ起業して働くなんてことは考えない。真面目すぎる。せっかくドロップアウトするならポケモンGOを使った詐欺を計画したりパチンコで稼いだりすればいいのに。僕はもう働きたくない。今、働いているのは生活のためであって出来ることなら働きたくない。大富豪の家に生まれていれば働かなくとも何不自由なく暮らせたのに、そんな後悔ばかりの人生だ。20年の労働者生活で得たものは確かにあるが失ったものの方が遥かに大きい。もし当該元学生と同じくらいの年齢に戻れるなら間違いなく別の選択をしている。当該元学生に対する世間知らずという評価は世間の厳しさを知らないということだ。だが、世間の厳しさを知る必要なんてあるだろうか。ない。僕も該当するのだが、マゾではないごくごく一般的な人間のほとんどは厳しい、きっつーな選択を避けてイージーに、利口に生きている。イージーで利口な人生を歩んできたはずの大人たちが、なぜ、当該学生の選択を「なんて甘い考えだ」「厳しい未来が待っている」と厳しい人生の先達目線で批判したくなるのだろう。上手い喩えではないが「感動ポルノ」ならぬ「厳しさポルノ」ではないかと僕は思う。イージーな、そして完璧とはいえずとも自分の意思で選択した人生を送ってきた人間が、客観的にはどうあれ、己の意思でイージーな選択をした若者を批判する。実に美しい。もちろん、イージーな人生を送ってきた僕も自分と異なる選択をする若者を厳しい先達目線で批判するのが好きだ。こんなに気持ちいいことはない。ひとつだけ、当該元学生の認識で間違っているのは、レールに沿った人生は決して退屈でも見通し良好なわけでもないということ。それなりにエキサイティングだ。皆、その辛さを知っているから「レールに沿った人生」と一言でまとめられたことに反感を持ってしまったのだ。レールに沿った人生は暗闇の中を走るジェットコースターのようなもので、自分の想像や予想を裏切るアップダウンやカーブの連続。たとえば僕は営業マンだったはずなのに、いつの間にか、事業全体の責任者に祭り上げられ、リストラに奔走する日々を送っている。退屈してる暇はない。レールに沿った人生を否定してドロップアウトする人は当人が考えるよりもずっと多く、特別ではなく、つまりそれもレールに沿った人生にすぎない。当該元学生も僕も同じで、つまらない人生レールの上を死に向かって走る仲間なのだ。彼の健闘と、彼が僕を巻き込むような脱線事故を起こさないことを祈るばかりだ。(所要時間15分)