読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

プロ小説家志望の独身中年ニートから夢を追い続けることの大切さを教えられた。

日記

20年。僕のサラリーマン生活も随分と長いものになってしまった。決して短くはないサラリーマン生活を送るうちにいつの間にか忘れてしまった《夢を見ることの大切さ》をある一人の中年ニートが僕に教えてくれた。告白しよう。僕は夢を追うという名目でマトモな生き方をしない人が好きではなかった。軽蔑すらしていた。しかし僕は間違っていた。夢を見ること、追い続けることは決して悪いことではない。認めたくないが自分の社畜ゆえの誤ちと言うヤツだ。そんな偏見で凝り固まっていた僕の目を覚まさせてくれた中年ニートの彼にはもう会えない。

 

 彼…太宰君とは、プロ志望のガチから僕のような暇つぶしまで、様々な人が参加していた文章講座で出会った。太宰君の本当の名前を僕は知らない。文豪の太宰治に似ているわけではない。文学的才能、無頼感、洒落っ気その他才能的なものを取り除いた後に残る身勝手さや女々しさといったネガティヴな要素が太宰治に少し似ていたので勝手に名付けさせてもらった。話は逸れるが書くことで食べていこうと考えているのなら文章講座は有意義だ(僕はスポット参加だったけれども)。第三者に自分の文章を見てチェックしてもらい、仲間と切磋琢磨するのは実に有効だ。オススメである。そこで太宰君と話をするようになったのは気が合ったからではなく、たまたま似たような中年男性だっただけである。

 

先日。人身事故で足止めされた僕らは喫茶店で話をした。にわかには信じがたいが、太宰君は高校卒業以来四半世紀、1秒も働いた経験のない完全体ニートである。「どうして働かないの?」と僕が訊ねると太宰君は「プロの小説家になるためさ」と胸を張り、講座の担当であるホニャララ先生に講評していただけることの尊さを僕に説いた。《ホニャララ先生は素晴らしい、僕はホニャララ先生に評価をいただくことに生活のすべてを捧げている…》。

 

僕はふつふつと湧き上がる疑問を口に出してしまう。「先生の評価を貰うのはあくまで過程だよね?《プロになるため》にすべてを捧げるのならわかるけど…」僕には手段と目的を取り違えているように思えてならなかったのだ。「そんなことはない。君は文学界を知らないからそういうことを言うが先生から評価を得ることはプロ小説家になることと同義なんだよ」「なるほど。僕が間違っていた」サラリーマン生活で短期的な結果を求め慣れた僕は己の非をまとめた。後日、当該講座からのプロ作家輩出がゼロという事実を知ったとき、悲しかった。それでも夢があればいい。夢が無くなったとき人は死んでしまうのだから。

 

「しかしまったく働いたことがないとは剛毅だね」「働いているよ。世帯としては」聞くところによると年老いたご両親が働いているらしい。定年を迎えておられる父上はシルバー人材センターから派遣されて、母上は…いや、これ以上はやめておこう。辛すぎる。「自分の人生だろ。もう少ししっかりしなよ」「してるさ」「どこが」「両親から頂いている小遣いの中からきちんと国民年金保険料も支払っている」と彼は続けた。きっつー。厚生年金保険料を自力で払っている僕になぜ自信満々でいられるのだろうか?

 

根源的な問題に触れてみた。「働きながらでも小説家は目指せるよ。ほとんどのプロはそうなんじゃないかな?」すると太宰君は悲しげな目をして「僕はそれほど器用な人間ではない」と吐き出すように答えた。しかしどれだけ腐っても四半世紀、25年だ。それなりのものが書き上げられているはずだ。「まだひとつもモノに出来てない」と太宰君はケロリと言った。太宰君の言い方をそのまま拝借すると、自分が書く小説は名作でなければならない。名作というものは滅多に降りてくるものでない。四半世紀の間、自分は降臨を待っている。証明は出来ないが己の中で名作が熟成されているのを日々感じている、らしい。「僕はね。女性を知らない」「それが?」「つまりピュアな感性を維持しているということさ。ピュアな感性が必ず名作を紡ぎ出してくれると確信している」きっつー。

 

昼過ぎまで寝てお菓子を食べながらワイドショーを視聴する25年間(童貞)がこの地上に何を生み出すのか、非常に興味深いところだ。しかし、突き詰めれば技術と努力と経験不足を「降臨」という言葉で誤魔化しているだけではないか。親身ではなく悪意から僕がその点を指摘すると太宰君は「いろいろな生き方がある。君と僕は違う線路を走っているだけで、どちらが正解というわけではない」と言うので厳しく「具体的な目的のない線路は廃線になるだけだよ」と言った。「君のように目的のない人生が廃線になるのは仕方のないことだ」と太宰君は冷酷に答えた。廃線は太宰、君のことなんだが。

 

将来的な展望を聞いてみた。「名作なら100万部売れるはずだ」と彼は言った。その前提としてお笑い芸人になることが必要ならお笑いの道に踏み出したって構わない…とナメた発言もしていた。「あのさ」「何?」「25年で一作もモノにしてないよね」「降臨が…」「処女作が明日降臨するとしても周期でいえば次は25年後、68歳の時だ。親が亡くなったあとどうやって生きていくつもりだい?」僕は太宰君の気持ちを折るつもりで強く言った。

 

すると彼は「アイハブアドリ〜〜ム」と軽薄な感じで答えた。「アイハブアドリ〜〜ム」涅槃でキング牧師が泣いているような気がした。「サラリーマン人生で豊洲市場の地下空洞のように虚無的になってしまった君に教えてあげましょう。人間はね。他に何もなくても夢があれば生きていける生き物なんですよ。夢さえあれば。僕はね。人生を賭けてそれを証明してみせますよ」永遠の証明…。絶望している僕に追い討ちをかけるように「まもなく降臨する僕の名作にご期待ください」と彼は言った。彼の声は僕に打ち切り漫画の《先生の次回作にご期待ください》を思わせた。果たして次回作のある人生がどれだけあるだろう?

 

「僕も大人だ。両親が亡くなったときのことはちゃんと考えてますよ」「ホントに?」「そのときは生命保険が僕に支払われることになってます」斜め上の意味で彼はちゃんと考えていた。《安心してください。入ってますよ》という彼の駄洒落を笑う気力は僕には残されてなかった。僕たちはそれきりで別れた。彼の名刺は捨てた。《プロ小説家》という肩書きがキツすぎたからだ。

 

人は夢があれば生きていける。夢さえあれば。彼は人生を賭けて僕に教えてくれた。彼は正しい。夢だけを見ていれば現実を直視しなくて済む。夢を追う人たちにはどうか夢だけを見て邁進して欲しい。現実を直視することなかれ。現実を目の当たりにして公共交通機関にダイブして、真っ当に生きている人に迷惑をかけることだけはやめて欲しい、そう願うばかりだ。(所要時間40分)