場違いすぎて自分がエイリアンに思えてくるような若い女性と子供のペアばかりの平日昼間のスーパーマーケットで懐かしい顔を見かけた。20年間実家に引きこもり続けているF。Fは僕と同じ歳なので現在43~4才。僕とFは小中高と同じ学校に通っていたけれど、同じ部活に所属したことはなく、数回にわたるロシアンルーレットじみたクラス替えを経ても《奇跡的に》一度も同じクラスになったことがない。誰にでもあると思うけれども、親友とは少し違う、一定の距離を置いて付き合っているような、ある種の緊張感漂う友人関係だった。唯一の共通項は子供の頃からピアノを弾いていたこと。一度だけ、どういう経緯でそんなことになったのか覚えていないのだが、高三の秋の放課後に音楽室に置いてあった埃の被ったピアノで、たまたま楽譜のあった「くるみ割り人形」を連弾したのは覚えていて、それはメタリカやガンズ&ローゼスで灰色に彩られた僕の高校生活のなかで、ショートケーキの苺のような、ささやかでスペシャルな思い出になっている。Fは大学から新卒で入った会社、確か教材を扱う出版社だったと記憶しているけれども、そこで心身を壊して入社初年度で退職し、以来現在まで20年間実家にひきこもっている。僕はその話をずいぶんあとになってから知ったのだけど、そのときは、ただの甘えじゃないか、と思った。「働かなくても生きていけるなんて羨ましい」「出来るなら僕も働きたくない」。日々外回り営業で走り回っていた僕には家にいるだけのFが、どう理由をつけても戦っているようには見えなかったからだ。夏を思わせる暑い午後のスーパーマーケット。向かい会う僕らは立派な中年男。過ごしてきた場所こそ違えど時間だけは平等に流れていた。「やあ」「おお」。簡単に挨拶を交わしたあとFは溜まっていたものを吐き出すような勢いで話をはじめた。「あいつはどこに就職した?」「奴は何をしている?」「大学院に進んだ彼はどうしてる?」「お前は卒業できたのか?」Fの口を突いて出てくる名前は、記憶の彼方に飛んでいったもの、久しく聞くものばかりだった。引きこもり続けたFにとって20年前はつい昨日の出来事だった。違う。同窓会で思い出話をするときのクラスメイトとFでは表情も口調もまったく違うものだった。センチメンタルも笑いもなく、ただただ、真剣そのもの。20年前の世界にしがみつくように、正確に記憶し続けることは、Fにとっての戦いなのだ。僕にはFの姿が南方で終戦後何十年も戦い続けた兵隊の姿がダブって見えた。勝ち組とか負け組とかそういうつまらない言い方に代表されるように、最近、世の中、見た目の結果ばかりを気にしているような気がしてならない。僕はときどき思う。それは正解かもしれないけど、正しいことなのだろうか。乱暴な言い方をするなら、結果や勝敗なんつーのは紙一重の差でしかない。突き詰めれば、本人がやりきっていればどうでもよく、他人にどうこう言う権利などないのだ。実際、僕は20年会社で働いてきたけれど、この手に残ったのはささやかな貯金と取るに足りない経験、替わりのきく技術だけだ。たまたま僕は戦いをうまくこなしてきただけにすぎない。そして僕は、昔話に戸惑うばかりの僕を心配してFがかけてくれた言葉に言葉を失ってしまう。あのときと同じ言葉だったのだ。高校三年の秋のあの日。連弾で弾いた「くるみ割り人形」。結局、僕が途中でふざけてお色気番組「11PM」のオープニング音楽、ダバダバダバダってやつね、あれに展開して尻すぼみに終わってしまったのだけど、そのときもFはこう言ったのだ。「大丈夫か。お前、進学の悩みでもあるのか?」今日はスーツ姿の僕を心配して「昼間からこんなとこにいて大丈夫か。お前、仕事で悩みでもあるのか?」僕は世間体を気にする家族の要請でスーツを着ているけれども、Fと同じ、ただの無職だ。正直に今、働いていないんだ、というのはFの気持ちを裏切る気がして「暑いからさー。営業の合間に水を買いに立ち寄っただけ」と嘘をついた。俺みたいになるなよ、と笑うFに、後ろめたさから、適当に相槌を打つことしか僕には出来なかった。僕みたいに適当にやっている人間のことはいいから、自分の心配をしろよー、そんなんだから壊れるんだぞーとダイレクトに言葉に出来たらどれだけ楽だったろう?。人にはそれぞれの戦いがある。その戦いはきわめて個人的で、戦局を一変させてくれる援軍はなく、自分の力だけで戦い抜くしかない。Fは戦っていないように見えるけれどずっと、ずっと戦っている。ご家族以外は誰も知らないFの戦いを僕は忘れないでいようと思う。そして、いつの日かまた、一緒に、尻切れトンボに終わった「くるみ割り人形」を最後まで弾ける日がやってきますように、そう、僕は祈った。(所要時間22分)