Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「頑張ったけどダメでした」が会社を滅ぼす。

一応、営業部長なので、良い報告だけではなく、失注や辞退といった、悪い報告も聞かなければならない。不思議でならないのは、案件を失ったとき、コンペで負けたとき、「ベストを尽くしましたが残念ながら4社中2位でした」「頑張りましたが僅差で負けました」という謎のギリギリな敗戦報告をしてくる人が多いこと。「すごいなー。全力を出しても負けたんだ!」と言いたくなるのを押さえながら、順位や僅差の根拠を求めると、「先方の担当者が『今回は残念ながら…』『次点でした…』と言っていたので…」などとモゴモゴ言うばかりで心もとなかったりする。相手が、社交辞令やお世辞を言っているとは考えないのだろうか。失注した全会社が2位になってると思わないのだろうか。随分と育ちがいいのだね。

意地悪はさておき、「頑張ったけど」「全力で挑みましたが」という敗者の弁こそが会社をダメにする元凶なのではないか。大げさではなく、そう思っている。フェアではない評価を求めているからだ。そういった敗者の弁をする理由は、頑張りマニア的な特殊な性癖でなければ、自己弁護と、あわよくばマイナス転じてプラスの評価を得ようとする図々しさからだろう。「残念な結果に終わったけれどこの頑張りを評価してほしい」というアッピールなのだ。たとえば営業マンが2名いて、同じように頑張って、同じように失注した場合を思い浮かべてほしい。同じように結果が出なかった頑張りをした2者のあいだで、うまくアッピールできる人の方がより評価されてしまうのは、どう考えてもフェアではないだろう?(結果に繋がらない努力をどう評価するかは難しいけれど)。

そういう「頑張ったけどダメでした」的な敗戦の弁が生まれるのは、それらを評価してしまう側の問題でもある。僕が、社会人になって驚いたことのひとつに、結果に出ない頑張りを評価しすぎなアホ上司の存在がある。あいつは結果出ていないけれど普段頑張っているから、といってそれなりの評価を与えてしまうのだ。それが案件に係る努力を評価してのものならいいが、往々にして、仕事ぶりとは関係なく、自分の可愛がっている人間に与えることが多かった。本当にどうしようもなかった。はっきりいえば、僅差であれ、惨敗であれ、負けは負け。ひとつの負けなのである。グッドルーザーとして、潔く力不足と努力不足を認めることから、次の機会のリベンジは始まるのだ。

僕は、営業職で働き始めた新人の数か月、まったく結果が出なかった。自分では頑張っているつもりなのに…と軽く悩んでしまったが、この頑張っているつもり、が独りよがりなものだと気付いてからは、自分に足りないものが見えてきて、次の機会に活かすことが出来るようになった。負けるということは、相手の求めているベストを出せていないということ。2位だったー!ベストを尽くしたー!と考えているうちは、中途半端に満足している状態なので、反省が不足しており、敗戦を次に活かせない。つまり、結果に繋がらなかった頑張りを活かせるのは、自分自身だけなのである。そういった頑張りの評価をアホ上司に求め、「2位で失注か!良くやった!」などと謎の評価を受ければ、誰であれ、反省の度合いが浅くなってしまうだろう。反省が足りなければ、次に繋がらない。そういったムードが会社全体に拡散すれば、多分、会社はダメになりかねない。

こんな感じで、潔く負けを認めて、悔しさと無駄になった頑張りを次につなげよう、その過程を僕は見ているから、キミたちはベストを尽くしてくれ、キミらの頑張りが結果に繋がらなくても、それは僕の責任だから安心して目の前の仕事に全力で取り組んでくれたまえ、とミーティングで話した。以来、部下からの敗戦報告が「頑張ったけれど惨敗でした!次に繋げます!」「ベストを尽くしたけれどコンペ参加5社中ダントツのビリでした!今度こそ!」などと、潔すぎるものになってしまい、今、僕をイライラさせている。違うんだよ…。そういう潔さじゃねえんだよ…って。(所要時間19分)