Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「会社から酷い扱いを受けている」と訴える嘱託社員の知人に生きる希望を与えてきた。

「相談したいことがある」と言ってくる人のほとんどは、「私は正しいよね」「間違っているのは向こうに決まってる」という具合に、己の意見や考えの正しさを後押ししてもらいたいだけである。だから、そういう誘いを受けたとき、僕は気持ちのスイッチを切って、生ビールを飲みながら「だよねー」と言うにとどめるようにしている。もちろん親しい友人に対しては、そのような対応はしない。友人たちは冷静かつ優秀な人たちなので、己の考えを客観的にとらえ、僕の意見、それが否定的なものであっても受け入れてくれるからだ。それ以外の、それほど親しくもない、どうでもいい方々たちは、こちらが本気で親身になって「それは違うんじゃないかな」「間違っているよ」「もしかしてバカなのか?」と指摘すると、なぜそんなふうにいうのだ、ヒトデナシ!と声を荒げるからたまらない。場が凍り付いてビールが不味くなるのは御免被るし、そもそも親しくもない人がご自身の正しさを過信して身を滅ぼそうと僕の知ったことではないのだ。

一昨日、前の会社の同僚が「聞いてもらいたいことがある」というので安居酒屋で酒を飲んだ。特に親しかったわけでも、仕事で世話になったわけでも、金銭の授受があるわけでもない、性格や趣味もあわない人物。なぜそのような人と酒を飲みに行くのか?ひとつは僕の親しい友人たちは全員、地元を離れてしまっているため、気軽に飲みに行ける人がいないこと。ふたつめは先に述べたように、相談したいことがある人の話は、だよねー、かもねかもねそうかもねー、と適当に聞き流していればいいので極めて気楽であること。みっつめはもっとも重要なのだが、僕ひとりでは食べきれない料理を残さず食べてもらうため。食べ物を残すのは良くないからね。その人は70才手前くらいのオッサンで、転職を繰り返して定年退職、今は嘱託社員として働いている。何をしているのか知らない。本人は、教えてもいいけどお~、などと体をクネクネさせて勿体ぶっているのが気持ち悪かった。尻の穴でもかゆいのか。ギョウチュウのイメージが頭に浮かんでビールが不味くなった気がした。

聞いてほしいこととは、「現在の職場でのありえない待遇」についてであった。予想通りであった。スイッチ・オフ。「それは…大変でしたね…」と、いかにも感情を押し殺しているみたいに聞こえるよう、一語一語を一期一会のように言った。すると彼は、嘱託社員になったとたん、会社からひどい扱いを受けている。同じ仕事をしている正社員と異なる扱いをしてはいけないと働き方改革は掲げているのに、おかしいではないか、と言った。ですよね…と相槌を打ち、直後に湧きたってきた、こいつまだこんなことを言っているのか、そんな苛立ちを生ビールで押し流した。《自分の不遇は、全部、世の中のせい》。これが彼の、人生をかけて証明したいものである。そんな証明の養分になるのは御免なので、だよねーだよねー、適当に流し続けた。俺は間違っていない。だよね…。会社が悪い。だよね…。世の中が悪い。だよね…。政府が悪い。だよね…。景気が悪い。だよね…。俺は見た目が悪い。ホントそのとおりだよね!

彼の主張を簡単にまとめるとこうである。《ある一定の年齢に達したときに、嘱託社員になった。嘱託として働くことが出来ていることには感謝している。だが、正社員とほぼ同じ仕事をしているのに、給与や手当などの待遇が違いすぎる。働き方改革なんて嘘ではないか。俺のように弱い立場の労働者の環境は何もかわらない》彼は言った。「正社員と差別してはダメだと法律に決められている!」「法律って?」と意地悪に尋ねると「よく知らないけど憲法じゃねえか?」と彼は答えた。そんなんで会社と戦うつもりなのか、世に訴えるつもりなのか。悲しかった。彼は本当に会社からひどい扱いを受けているかどうかはどうでもいいが、話が長くなりそうなので、僕は彼にもわかるように説明して切り上げることにした。山盛りポテトフライの皿もカラになったし。

「労働契約法というのがあってですね、条文はあなたには難しいのでざっくりと説明すると、そこでは正社員と非正規の労働条件に《相違があってはならない》とはしてないんすよ。《不合理な相違があってはならない》としているだけ」「意味がわかんねえよ」「まあ不合理かどうかは、1.労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度
2.職務の内容及び配置の変更の範囲 3.その他の事情という判断要素があるけれども、ここでキモなのは、不合理が禁止されているだけであって、合理的であるとは求められていないこと。要するに、明らかに間違っている労働条件でなければよいということ」「意味がわかんねえよ」「で、新聞には出ていたので、平均レベルの知能があって、ご自分の問題ととらえているなら、万が一見落としていたら猿以下ということになるのですが、この件では最近最高裁で判決が出ていて、職務内容が同じ正社員(無期契約)と契約社員・嘱託社員ならば、賃金の総額ではなく、賃金項目を個別に考慮して不合理かどうか判断するとしております。手当のことですね。では今、正社員よりも低い手当は何がありますか?」「住宅手当!」「残念~。必ずしも不合理ではないっすねえ。定年退職後の嘱託社員は老齢厚生年金が支給されますし、若い正社員と比べれば補助を出す根拠は乏しいですからね。特にあなたは持ち家で独身ですからね。ブブー!」「皆勤手当!」「ピンポーン。これは正社員と嘱託で皆勤を奨励する必要に違いはないので不合理になりますね。ちなみに皆勤なんですか?ああ。休みがち。じゃ意味ないですね。残念~。事実上ブブー!」「給料自体が2割下がったぞ」「残念~」「え、なんで」「気持ちはわからないでもないですが、退職後の継続雇用で定年退職時より給与を引き下げること自体は『不合理であるとはいえない』とされとります。2割くらいは致し方なしみたいな感じです。まあ、会社側からみれば賃金コストが際限なく増えるのは困りますからね」「なんだよ。それじゃ泣き寝入りするしか…」と彼は言った。

なんだか憐れになってきた。僕は彼の生きる希望になれば、と助言を与えることにした。「政治家のいう《正規と非正規も一緒!》みたいな気持ちいいフレーズにニタニタして、そーだ!そーだ!と何も考えずに同調していると騙されますよ。何事にも裏があると疑わないと搾取され続けるだけですよ。そういえばフリーターブームのとき、すでに中年だったのにあなたはフリーターをやっていたと仰ってましたよね…。世間の労働問題とご自身を重ねるのは勝手ですが、戦う前にもう少し勉強されたほうがいい。勝てるものも負けてしまいますよ。もう負けているのかもしれませんが」彼は何も言わなくなってしまった。僕は最後の生ビールを飲みながら、彼がこの世知辛い時代を生き抜いてくれることを祈った。頑張ってほしい。彼が倒れたら山盛りポテトフライが頼めなくなる。それは僕にとってとても悲しいことだから。(所要時間35分)