Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ソーサリアンの思い出/1987年僕らの情景

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本日12月20日はアクションロールプレイングゲーム「ソーサリアン」発売30年のアニバーサリーで、1987年(昭和62年)中学2年から今に至るまで、「ソーサリアン」は僕にとって憧れの存在であり続けている。その地位は変わらないだろう。 実のところ僕はソーサリアンをやりこんでいない。ほとんど眺めていただけだ。ウインドーズ95前夜。パソコンは今でこそ一家に一台だが当時はまだまだ高級で贅沢品だったのだ。PC-8801mkIISR(ハチハチ)をはじめとしたパソコンのある環境を持ち、ソーサリアンをプレイできるだけで選ばれし者だったのだ。ソーサリアンは画期的なゲームではあった。自由さ。一生遊べるとボンクラ間では信じられていた追加シナリオ・システム。膨大な魔法。老衰。派手なエフェクト。カラフルな画面。めちゃくちゃかっこいい音楽。エトセトラ。だがそういった要素の前に、ソーサリアンは遊べるだけで別格だったのだ。茶の間のテレビに繋げて皆でワイワイ遊んでいたファミコンと書斎で完全に独立したパソコンシステムで遊ぶソーサリアンでは同じゲームでも格の違いがあった。いわば大人のゲーム。ザナドゥやイースときた日本ファルコムのアクションロールプレイングの集大成。ドラゴンスレイヤーシリーズの究極。中学のクラスメイト、友人ササ君の家にはハチハチがあって、僕はもっぱら彼の家の書斎でソーサリアンを遊んだ。眺めた。僕がソーサリアンに魅せられたのは選ばれし者のゲームでありながら、派手な画面を旅するのは選ばれし者ではないただの冒険者であったところだ。僕は友人3人でササ君の家に行き、ササ君の肩越しで戦う4人パーティーの冒険者に自分達を投影していた。モニターの4人パーティーは先頭のキャラに合わせて後続のキャラがついて動いていた。それはまさしく僕らそのもの。ファミコンとは毛色の異なるFM音源のかっこいい音楽が、モニターの中でモンスターと戦うもうひとりの自分達を盛り上げた。ファミコンはたくさんの冒険を茶の間の僕たちに与えてくれた。いろいろなものを教えてくれた。マリオブラザーズでは強者の論理を。バングリングベイでは世の理不尽と格差を。だがさまざまなものを僕らに与えてくれた茶の間のファミコン冒険とは違う、ワンランク上の大人の冒険の存在が僕たちを魅了したのだ。同じ日本ファルコムから出ていたイースは選ばれし者の冒険だった。ザナドゥは逆さツララが痛すぎた。ウィズの楽しさがわかるには僕らは幼すぎて、ウルティマはアメリカンすぎた。ザナドゥだけは数年後高校の数学部でシナリオ2までやり込めた。ザナドゥを走らせていたハチハチは、数学部のボンクラ天才が自作したお手製テトリスと一緒に夏休み前の夜に盗まれてしまったけれども。ササ君は専制君主ではなかった。ときどき後ろにいる僕らを気づかって「かわる?」と言ってくれた。実際、僕らも冒険者を自分の手で動かしてみたけれども、ファミコンのコントローラーの猛者たちはキーボード操作に苦戦してちっぽけなプライドをキズつけられることを嫌がったし、高価なパソコンを壊してしまったらどうしよう?という緊張感から、「やるやる」は次第に「見てるからいいよ」へ変わり、やがてそれが定型句になっていった。それでも友人の背中の向こうにある冒険は楽しかった。めちゃくちゃ楽しかった。数ヵ月後、僕らの書斎パーティーは解散した。選ばれし者ではない僕らの茶の間のファミコンに選ばれし者ではない冒険がやってきたのだ。昭和63年2月ドラクエ3爆誕。僕も、とある店で飛龍の拳とセットで手にいれた。悪名高き抱き合わせ商法である。長い時間が経っているうえ、当時の関係者に迷惑がかかるので店名は匿名カタカナにさせていただくが、ダイクマという店だった。日本中に巻き起こったドラクエ3旋風。無名の者が勇者になる物語に夢中になった。誰もが。そして僕らも。ドラクエ3にハマってしまった僕らはササ君の家に行かなくなってしまった。「いいなぁファミコン」とササ君が呟いたのを覚えている。彼の家にはファミコンがなかった。教育熱心なご両親がファミコンを許してくれなったのだ。ソーサリアンはササ君に許された唯一の楽園だったのかもしれない。何か月かたってドラクエ3とファミコンのセットを一週間限定でササ君に貸したときの彼の笑顔が忘れられない。そして「ソーサリアンやろうよ」の声も。数年前ササ君の家を通りかかったがそこは更地になっていた。あの書斎のハチハチもソーサリアンもなくなってしまった。僕のソーサリアンはあの書斎で綺麗に完結してしまっていて、何度かリメイクされたソーサリアンで遊ぶこともなかった。昨日のことのように思い出すことが出来る。ソーサリアンの入った柔らかく心もとない5インチフロッピーディスクを。ディスクドライブの音を。お化けのように開いたり消えたりするパラメータウインドウ。あの短いソーサリアンの冬に結成した背中越しの僕らのパーティーは、音信不通になったり、天国へ行ってしまったりして揃うことはない。昭和最後の数年間。思春期の僕らはゲームと共にあった。あの二度と訪れない素晴らしい8ビットのゲームたちと過ごした美しくもボンクラな時間は、これからも僕の宝物であり続けるだろう。(所要時間26分)