Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

老後2000万円より必要になるもの。

「老後生活費2000万円不足」という報告書が出てから、将来の生活へ不安を覚えている人が多いらしい。そらそうだろう。普段と変わらない生活をしていて、突然、ぽんぽん、と肩を叩かれ「キミキミ2000万足りないよ」と通告されたら誰でも驚いてしまう。呑気な僕でさえ、奥様から「2000万円は最低レベルの話でしょ!国の機関の言うことを信じるなバカ!」「特上カルビを食べ続けたい」「最低3000万円は準備して」とマシンガンのように言われているうちに不安に苛まれ、500円玉貯金を加速させる必要性を強く感じているくらいだ。皆さまにおかれましては、金融商品に手を出して少ない貯蓄を溶かすようなことのないようにしてもらいたい。また、溶かしても、それは自己責任でございますので、暴徒と化さないようにしていただきたい。

実のところ僕は、将来の不安より、現在直面している問題に対する不安の方が大きい。「こづかい月2000円足りない問題」「ニンテンドースイッチ取り上げ問題」「五十肩問題」「ED問題」…数ある問題の中でも「マンションのゴミ問題」への不安が、現在、僕の心のベストテンの第1位を占めているのだ。

僕の暮らしているマンションのゴミ問題は、今年になってから酷いありさまで、生ゴミが袋に入れられずそのまま捨てられて(弁当や総菜がそのまま)異臭を発したり、虫が湧いたりしていることはしょっちゅう、先週末などは大量の不燃ゴミが投棄されていた。不燃ゴミの大半はビニル袋に入れられた発泡酒の空き缶。ボリュームは大きなビニル10袋で、酒屋のゴミレベル。ゴミ捨て場は発泡酒の空き缶で完全に占領されている状態。第一発見者は僕である。早朝散歩に出かける際に見つけたのだ。

道路にはみ出している缶は片付けたが、個人で処理できる量ではないので管理会社に連絡を入れて対応してもらった。当面の問題を処理しながら、こうした事案はしばらく続くだろうな、と絶望していた。僕と奥様には犯人がわかっていたからだ。外部からの不法投棄なら対策はしやすい。だが、内部犯行、マンションの住民の仕業であることが僕らを憂鬱な気分にした。そして、住人の入れ替わりはないという事実がより気持ちを暗くしていた。それらは、これまで普通に生活が出来ていた人が悪い方向へ変わってしまったことを意味しているからだ。

一連のゴミ問題は、ウチの隣人の方の行為だった。彼がゴミ回収のない日曜日にゴミ袋を両手に持って歩いていく姿や、大量の発泡酒をビニル袋に入れて帰宅する姿を僕は目撃している。管理会社もその方だと断定していた(確証があるみたいだ)。隣人の方は、独身のシニア男性で、前は挨拶をすると返してくれたり、自転車で元気に出掛けたりと、普通に生活をしているように見えたが、昨年の秋くらいから様子がおかしくなっていた。挨拶をしても返ってこないことが増え、自転車がなくなった。ある日、警察官がドア越しに「大丈夫ですか?」と声を掛けているのを目撃した。ウチの奥様によれば昼間から酔っ払ってフラフラしているとのこと。「隣の人、大丈夫かね」なんて話している矢先の空き缶事案だったのだ。普通に暮らしていた人の生活が荒廃していくのを目の当たりにするのはつらい。

話は替わるが、伯父(母の兄)の義弟が暴れている。義弟さんは30年ほど前に伯父の暮らす実家を出て一人暮らしをしていたのだが、昨年、実家へ戻ってきた。会社を定年まで勤め上げ、定年後も嘱託として働いてリタイアした70代独身男性。実家へ戻ってきた義弟さんは精神的に不安定になっており、酒浸りの日々で、先日は電気コードで自殺未遂騒動を起こすなど、伯父の家は大変なことになっている。義弟さんは「やることがない」「生きてる意味がない」「人生は終わり」と叫んでいるらしい。

僕の記憶の中にある、子供の頃ときどき遊んでくれた物静かで大人しい人物と、家族や家具にあたったり、家族へ暴言を吐いたりしている人物がうまく繋がらない。僕の母や叔父なんかは「どこかでひっそり…」「南米あたりで…」などと冷酷な言いかたをしている。人の心がないのだろうね。僕もそう言いたくはなるけれども、「何不自由なく生きてきたはずなのにどうして」という思いが先に来てしまう。

隣人氏と義弟氏には共通項がある。会社を真面目に定年まで勤めあげたシニアであること。独身であること。あらゆるコミュニティから抜け落ちていること。大人しい人物であること。経済的な余裕があること(隣人氏は一人住まいには広すぎる賃貸に暮らしている/義弟氏は有名企業に定年まで勤務)。急に事態を悪化させていること。

ひとことでまとめてしまうと彼らは「孤独の人」だ。真面目に定年まで働いてきて、会社や仕事という枠組みを外れてしまった彼らは、自分たちに何も残っていないことに気づいて絶望してしまったのだろう。お金はそれなりにある。だがそれだけ。やり直すには、年を取りすぎている。手遅れだ。気付いたとき、本物の人間関係はお金で買えなくなっている。キャバクラでお金を払えばかりそめの関係は築けるかもしれないが、それは孤独を強くするだけでしかないだろう。孤独の前にお金はあまりにも無力なのだ。

老後2000万円不足といわれているが、僕らが老後に直面する危機はそれだけではない。病気や家族の問題。自分自身や社会の変化に対応していかなければならない。今は2000万不足といわれている額が3000万不足となるかもしれない。仕事や職場という枠組みから外れて、何もなくなったとき、自分自身に残るもの。軸になるもの。それをイメージして生きていくことが僕には老後の生活費よりも大事に思える。それは自身の能力かもしれない。趣味かもしれない。旅かもしれない。あるいは他人との繋がりそのものかもしれない。

孤独の人にならないように、孤独に壊されないように。そのためには、自分なりの軸を中心とした、会社や仕事に依存しない、自分なりの人間関係やコミュニティを形成しておくことが必要だろう。ネット上のフォロワーなどではなく、もっと強く、フィジカルな関係性こそが、ある種の人たちにとっては、老後の生活費よりも必要になるのではないか。もちろん老後の生活費を確保すること、お金が必要とせずに人生を豊かにする方法を見つけることが大事なのは言うまでもないが。

隣人さんや義弟さんみたいに普通に真面目に生きてきたであろう人たちが落ちていくのを見るのはやりきれない。本人たちがいちばん強く思っているはずだ。本来は真面目に生きてきた人たちなのだ。こんなはずはって。そんな彼ら、僕の周りにいる孤独の人たちが日々飲んでいる孤独の酒は、長い時間をかけた自死に僕には見える。微力で、相手にされないかもしれないけれど隣人さんを見かけたら、義弟さんに会うことがあったら、以前と同じように挨拶をしてみよう。声をかけてみよう。こんにちは。おはようございます。暑いですね。寒いですね。彼らにとっては、こんなささやかな関係性でさえ救いになるのかもしれない…そう信じて。そんなことを散らばった発泡酒の缶から漂う生活の匂いを思い出しながら、僕は決めていた。(所要時間40分)