Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

予め備えるという生き方について

我が家で使っているトイレットペーパーは機関車トーマスの顔がプリントされたフルーティーな香りのする可愛いやつで、僕は見た目も香りも気に入っているのだけど、気に入っているぶん、終わりが来たときの寂しい気分は、チリ紙交換で貰えるザラザラした手触りのトイレットペーパーが終わるときのそれとは比較にならない。

さよならトーマス、つって大事を成し遂げたあと、トイレの上に神棚のごとく備え付けてあるラックにある予備のペーパーを取り、ホルダーにセットし、『芯』を持ってトイレから出たところで妻から声をかけられた。「予備を使ったら空いたところに補充しておいて」

おかしい。予備のトイレットペーパーはゆうに10個はあったはずなので「いや、まだ十分にあるから…」と言おうとすると「予備の予備が取り置きしてあるから、そこから1個取って予備のスペースを埋めて」と遮られてしまった。議論の余地はないよ、可愛いは正義とでも言わんばかりの口調だった。

いざというときのために予備を備えておくのは、慌てない、パニックに陥らないためなのに、なぜ、こうも慌ただしくしなければならないのか。我が家が万事がそんな調子なのだ。タマゴなどの食材。ファブリーズ、ハイジア、ファーファなどの洗剤・柔軟剤。消耗品。全てにおいて予備がきっちり定数揃っていなければパニックになってしまうという思想に貫かれている。

使う。使用分を予備から補充。予備の使用分を予備の予備から補充。速やかに予備の予備を補充買い出し。有事にパニックにならないがための日常のパニック。本末転倒な気がしてならない。

実害も出ている。先日からの激しい腹痛は傷んだタマゴを食べたせいだった。買い物はこまめにしているし、冷蔵庫にあるタマゴを食べたのに…と不思議で仕方なかった。犯人は妻の習性であった。

我が家の冷蔵庫は開閉ドアの上部にタマゴ保管所が設置されている高級品で、開いたドアの先端、つまり右側にあるタマゴから取り出していくルールになっていた。このルールには、タマゴを補充する際は古いタマゴを、使用したタマゴのあった穴に移動させて奥(左)から補充しなければならないという明文化されてない暗黙の約束があってこそ成立する。さもなければ奥にあるタマゴは腐敗し続け、手前にある新しいタマゴを食べ続けることになる。

調査の結果、我が家の冷蔵庫はそのような危機的な状況であった。二日酔いの不安定な胃腸だ、なるべく新しいタマゴを食べようという僕の思惑は外れて最も古いタマゴを食べてしまったカタチだ。常時、予備まできっちりの弊害だ。僕は妻を叱った。けれども「毎日新しいタマゴを食べられるのになぜ叱られなければいけないのですか」という屁理屈に何も言えなくて…泣く。

1年ほど《除菌・消臭》という名目で毎日、体や衣服、触れたものに対してファブリーズをかけられているのもそうだけど、基本的に妻の行動は僕のことを想ってくれてのものなのだ。《加齢臭がしないオジさんの方が素敵です》。思想を現実に落とす、その方法が過激なだけなのだ。僕の一過性の激情で妻の悲しむ姿を見たくない。そんないじらしい妻のために1日でも彼女より長生きしたいと思う。僕が予備をきっちり備える習性に慣れればいいだけなのだ。そもそも、予め備えるのは悪いことではないのだ。

ふと、僕は気づいてしまう。万事、予備を定数まで備える妻のことだ。僕の予備も準備しているのではないか。もしかしたら予備の予備までも。僕は量産型ザクになった自分を想像してしまう。前方からガンダムが襲いかかってくる。圧倒的だ。僕はザクだ。イチコロだろう。現世に後ろ髪を引かれるように後方を確認すると死相を浮かべた量産型ザクが何機、何十機も連なっている…そんな絶望的なビジョンだ。

未来の自分が悲しむ姿を見たくない。僕は僕のために1日でもいい、妻よりも長生きしなければならない。