Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

好きなこと 仕事になんか したくない

 「好きなことを仕事にする」という考え方を見かけるたびにアレルギー反応が出てしまう僕のヤワなカラダ。具体的には二の腕にチキンポック。僕は、好きなことを仕事になどしたくない。好きなことが嫌いになることほど不幸なことはないからだ。


 きっつー、ばっちぃ、アブねー。3Kという言葉があるように、仕事には嫌なこと、メンドくさいことが付きまとう。たとえ好きなことでも、仕事にした瞬間、嫌な部分を突きつけられるわけだ。きっつー。仕事とは金を稼ぐことなので、仕事それ自体に問題がなくても、金を支払ってくれる人との関係がうまくいかず面白くないことだってある。めんどー。

 

 文章を書く仕事もやっているけれど、それは、文章を書くという行為が好きではないからだ(好きじゃないのでなかなか上達しない)。文章という手段を選んでいるのは、自分の考えを相手に伝える際、会話の次に効率的だからだ。それしかない。文章よりも楽に、正確に、伝達出来る表現手段があるなら間違いなくそちらを選ぶ。

 

 「文章を書くのが嫌い?嘘を言うな。貴様、自ら進んでウンコブログを書いてるだろ」という突っ込みが聞えてきそうだが、ブログなんてたかが日記。ストレス発散や飲酒のようなものだ。ストレス発散に好きも嫌いもない。実際、仕事で文章を書くときは、本当に嫌々、落ち込んだ気分で、文字数を数えつつ、仕事を受けた自分を憎みながら書いている。

 

 さいわい、今やらせてもらっているウェブ関係の書き仕事は、日記気分で自由にやらせてもらっているので嫌な気分にはならない。幸か不幸か歳を重ねるにつれ、ますます書くことが嫌いになっているので、書く仕事は続けていくつもりだ。もともと嫌いなことが、嫌いであり続けるだけなので負担も葛藤もないからだ。仮に文章を書くという行為が好きだったら、仕事にはしない。嫌いになりたくないから。

 

 今、僕が夢中なのは工ロ動画鑑賞。アホーな動画をアップするだけで巨万の富と名声を築ける時代。エロ動画鑑賞プロが生まれるのも時間の問題だろう。しかし、いざ、エロ動画鑑賞が仕事になったら…好きではいられないはずだ。「エロ動画鑑賞で家族を養っている」という世間体の問題もあるが(自分のムスコが「お前の父ちゃんエロ動画!」と群衆から石つぶてを投げつけられる姿は見たくない)、視聴数、エキサイティンに至るまでの速度、液状化現象の程度をノルマとして課されたら、好きでいられないどころか嫌いになるのは目に見えている。なんという悲劇だろう。極論かもしれない。だが、僕はこういう理由で、好きなことを仕事にしたくはないのだ。


「好きなことを仕事にしない」というポリシーを遵守していても、仕事をしているうちにその仕事が好きになってしまうことがある。僕がまさしくそれ。元々好きでもない食品関係の仕事に追いかけ回されているうちに好きになっていた。いわばストックホルム症候群。もちろん仕事なので嫌な部分を目にすることは多い。今は好きな仕事の嫌な部分に苦悩しながら働いている毎日だ。「愛した女が実はクソビッチだった!どうしよう!」という葛藤によく似ている。

 

 好きなことで生きているユーチューバーの方々には無関係の葛藤だろう。せいぜい死ぬまでカメラアングルの調整、ウケるアホ面の作り方といった贅沢極まりない苦悩とともに寿命を全うして欲しい。ただ、最近の彼らは笑わせることと嗤われることの区別がついていないように見える。老婆心から心配ではある。

 

「好きなものを、好きなもののまま、あり続けるのは難しい」とはかつて恋人だった人が言った言葉なんだけど、その正しさと難しさ故、何年経っても僕の胸にあり続けている。僕の知らないところで僕の友人と結ばれていた当該クソビッチを、僕はいまだに憎み続けている。

 

 好きなもの、好きだったものを好きであり続けるのは僕には不可能に思えてならない。ひとたび仕事にしてしまえば、好きではいられない要素に直面するので尚更だ。好きなことを仕事に出来ないのは悲しい。好きなことが嫌いになることはもっと悲しい。栄華を極めるユーチューバーが絶滅してくれたら僕の悲しみもいくらか癒やされるけれど、それはまだちょっと先みたいである。

 

(この文章はベッキー×ゲスの極み乙女。のニュースをチェックしながら22分間かけて書かれた)