Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「好きなことを仕事にする」ということはなぜ気持ちいいのか。

僕は2007年の春にツイッターをはじめた。はじめたきっかけは忘れてしまった。たぶん女の子にモテるためとかそういう類のどうしようもないことだろう。それから2017年までの10年間タイムラインを眺めてきて学んだことはほとんどないけれど、強いて挙げるとするならば「世の中に反対している人は世の中が変わってもずっと反対し続けていること」、「好きなことで生きていこう」「すばらしい!」的なやり取りは見た目を変えながら繰り返されていること、以上二点くらいのものだ。実際、好きなことが仕事に出来たらそれはとても素晴らしいことだ。ベストな生き方のひとつであるのは間違いない。僕だって好きなことで生きてみたい。たとえば、唾を遠くへ飛ばしたり、昼も夜もバットを振り回したりすることでお金を稼いでみたかった。残念ながら現在ではそんなことは仕事になりえない。生まれるのが早すぎた。だが、裏返してみれば、好きなことを仕事にするのが素晴らしい、という明白なことはいちいち人に言われなくてもわかっているはずだ。なぜ、誰もがわかりきったことをインターネットや講演などで時には金を貰って発言し、それを時に金を払ってありがたがって聞いているのだろうか、僕には不思議でならない。本当に必要とされるのは「好きでもないことを仕事としてやっていくにはどうすればいいのか?」ではないか。おそらく成功者という立ち位置から「好きなことで生きていこう」的な発言をなさっているのだろうが、ひねくれ者の僕にはそれが思い上がりに見えてしまうのだ。僕は他人の生活に憧れたことがないが(才能とか才能が産み出す作品には憧れる)、好きなことで生計を立てている生活に憧れる気持ちはよくわかっているつもりだ。それでもそのクエスチョンに対する解を見つけられずにいた。昨夜、偶然、その解を見つけた。前職の後輩と会って仕事の悩みを打ち明けられたのだ。話を終わらせるために「そんな仕事は今すぐ辞めて、好きなことを仕事にしようよ!君なら出来る!絶対にやれる!」と心にもないことを言ってみた。とても気持ちよかった。その気持ち良さの原因は何かと考えてみた。好きなことは人それぞれであるため、基本的にそれをサーチしてトライするのは聞き手側がやること、つまり話し手側には聞き手が成功しようが失敗しようが何の責任もない、無責任であること。さらに昨夜の相手が僕の言葉に対して「ですよねー」つって気持ち良さげであったように、お前は出来るやれるキテるって持ち上げているため気分がいい。お互いが気持ちがいい。責任がない。無責任で気持ちがいいなんて最高ではないか。人間は、気持ちがいいことを求めるし繰り返す。金銭の授受が発生するのも然り。つまり「好きなことを仕事にしよう」などと言うのは双方が無責任に気楽に気持ちよくなれる魔法の言葉なのである。講演やセミナーなどでそのような当たり前のことを金を貰って語れてしまう人たちにはどのような精進をすれば他人へそんな無責任なことを言えるようになれるのかご教授願いたいところだ。僕は、サラリーマンを20年ほどやってみて、ようやく好きではないことを仕事としている自分のことを好きになりはじめている。好きなことを仕事にすることがベストとするなら、ベターとしかいえないかもしれないがこれはこれでいいと僕は思っている。(所要時間16分)