Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

営業という仕事は明日なくなってもおかしくない。

 先日、車を買うためにカーディーラーへ行ったとき、近いうちに営業の仕事はなくなると思った。「数年以内になくなる仕事」のような文章を発表して人々の不安を煽って喜ぶような傍迷惑な性癖は持ち合わせてはいないが、食品系営業マンとして自動車メーカーという他業種の営業マンを観察してそう思ったのだ。それも数年以内などと悠長な話ではなく今日明日の話だ。現代人の多くは高額な買い物をするときは事前に調査をするのが普通だと思われる。新車購入にあたり僕も念入りにメーカーのウェブサイトやユーザーの声をチェックした(特にユーザーや自動車マニアの声はメーカーのウェブサイトよりも細かい指摘が多くて大変役に立つ)。準備万端にしてからディーラーに行くと営業マンの話はほとんど必要ないのだ。つまり完璧すぎるのだ。ウェブが。メーカーのウェブカタログを見ればグレードごとのスペック、インテリア、エクステリア、オプション、価格すべてがわかる。カラーバリエーションもディーラーに実車がない色まですべて試して閲覧できる。動画もある。ネットに転がっているユーザーの声を拾えば不都合やデメリットもわかる。ディーラーで営業マンに頼むのは試乗の手配と、事前調査済みの不都合やデメリットに対する見解の確認といくつかの質問くらいのものだ。スーパーな能力を持つ営業マンは別として、カタログに書いてあることを言うだけのカタログ営業はもう要らないのだ。車メーカーのように商品力のある業界であれば、そんな変なもんは出さないだろーという信頼があるので(最近はそうでもないかもしれないが)、営業マン個人の力量が介入する余地もなく、近いうちに車を通販で買う時代が来るのではないか。そんなふうに思った。これは全業界にいえることだ。カタログ営業と揶揄したがどの業界においてもそのような営業マンはいて、僕の観測では営業職のだいたい7割くらいはカタログ営業マンである。カタログ営業は明日淘汰されてもおかしくない。ウェブカタログの方がカタログとして遥かに正確だからだ。また、富裕層相手にしている営業マンにときどき見受けられるのだが「私はいわゆる営業トークはしません。お客様と密接な関係を築き、必要なときにお役に立てる存在から顧客にクラスチェンジしていただきます」などとキモいことをのたまうような営業マンも実のところ営業トークや提案をしなくても売れる商品力、いわば会社の看板に依存しているだけなので営業マンとしては二流だったりすることが多い。いい環境に感謝しながら驕らず、僕の目の前に現れないように生をまっとうしてもらいたい。生き残れる営業マンは大きく分けて2パターンではないだろうか。ひとつは業界のトップ1~3%レベルの営業マンになること。スーパー営業マンというやつだ。草野球でポテンヒットをシーズン100本打ってもメシは食えないが、プロ野球なら送りバントでも食っていける。そういうことだ。ふたつめは全く関係ないものを組み合わせてパッケージで売ること。提案営業である。わかりにくいので具体的にご説明差し上げたいところだが関係各位に迷惑がかかるため肝心なところを曖昧にしてご説明差し上げるが、たとえば食品営業の僕が先日まで取り組んでいたのは高級レストランと保育園と農家と産廃業者を巻き込んだ企画提案だった(残念ながらポシャった)。顧客からの要望に対して一見無関係なもんを結びつけ巻き込んでパッケージとして高く売るような一つの商品の力に頼らない提案営業にはまだ未来がある。もっともこれには顧客とのガチガチな関係性が必要になるので時間と手間がかかるというネックはあるけれども。ちなみに僕はあと数年は営業で生きていくつもりでいるので上記2つのパターンの両方に入っていられるように毎日努力をしている。

 ここまでは前置きだ。このように明日から職を失う危機に瀕した人がいても僕に出来ることは何もないし、そもそも営業がなくなるかどうかなんて誰にもわからない。僕が言えることは、負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと、ダメになりそうなとき時それが一番大事くらいのものだ。ただ、ディーラーで試乗待ちをしている時間に営業という仕事について考えていて、ふと、1人の営業人を思い出した。20年前。当時60才手前くらいだったろうか。女性だった。下請けの運送屋の営業と経理を担当していた人で、多くの年寄りがそうであるように、男性なのか女性なのか一目ではわからないような人であった。まるで板前のような短髪も彼女を男性に見せる犯人だった。その人は気の利いた営業トークがあるわけでも、そこらにあるような運送屋なので商品に魅力があるわけでも、還暦間近のガリガリに痩せたオバハンなので峰不二子のようないわゆるフェロモンを駆使するタイプでもなかった。それなのになぜか仕事だけは取っていく不思議の人だった。当時、僕の上司たちも皆その人に仕事を任せていた。特別に仕事が優れているわけでもなく(請求遅れが多かった)、仕事を任せる理由がわからなかったので僕は自分の仕事を依頼しなかった。ある繁忙期に自分の仕事をさばききれなくなり、その人の会社に依頼することになった。プレハブの事務所。パーティションで外界と遮断された接客スペース。ビニル地の、触れた肌を離すたびにヌチャっと音が鳴りそうなソファー。彼女は、僕から依頼の内容と条件を聞き「わかりました」と呟くと、いきなり、今思い出しても意味がわからないのだが、入れ歯を外した。見事なまでの総入れ歯だった。優秀なるはポリデント。それから極めて不明瞭な発声で「らめりるりる」「らめりるりる」「らめりるりる」と繰り返した。骸骨のように痩せた顔面に開いた歯のないブラックホールから呪詛は吐き出されていた。らめりるりる。らめりるりる。ただただ不気味だった。その姿は管に繋がれたまま亡くなった曾祖母の間際を僕に思い起こさせた。「ひいばあちゃんみたいだ」僕が言うとその人はあらゆる感情を排除したかのような虚無な表情を浮かべ、ぽんっと入れ歯をはめこんだのである。優秀なるは入れ歯にポリデント。その人がいた運送屋はまもなく廃業した。らめりるりるはそのときが最初で最後だった。上司や先輩がなぜあの人に仕事を依頼していたのか、はっきりとした理由はわからない。飲み屋で聞いても全員が話をはぐらかしたり誤魔化したりした。入れ歯という単語に過剰に反応して虚無になる人もいた。彼女は入れ歯を外した姿を晒すことで、田舎に残してきた年老いた母や祖母の姿を連想させ「母ちゃんの頼みは断れないわ…」と思わせる、つまり郷愁に訴えて以後の受注に繋げようとしたのか(僕はそうだと思っている)、あるいは人に言えないようなマニアックなツボがあったのだろう。あのブラックホールには。らめりるりるの先には。ブラックホールに惹かれた人たちは犯罪を犯したり起業に失敗したりするなど皆その後大成し、当時営業部に所属していた人間のなかで今も現役で営業をやっているのは僕だけだ。もしあのとき。あのブラックホールに引き込まれていたら。今まで営業としてやって来られただろうかと考えるときがある。彼女の口癖は「たかが営業」だった。されどはなかった。僕が仕事について語るとき、いつも「これからの営業は2パターンしかない」などと、ともすると大袈裟な仕事論にしてしまいがちな僕に営業を語る資格があるのか、あの1997年のブラックホールから問われているような気がしてならないのだ。(所要時間31分)