Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

大人になれなかった子供たち

生きることに理由や言い訳をつける生き物は人間だけで、僕は、人間を人間たらしめているそういった機能や行動を、美徳であると同時に欠点でもあるんじゃないか、と思っている。この夏まで僕は失業していた。辛いことの方が多い時期だったけれども、おかげで昼間の町並みの様子を観察することも出来たし、何人かの旧知の顔を見つけることも出来た。Tのお母さんもそんな旧知のひとりで、彼女は僕を見つけるなり「ま~立派になって」と言いながら僕の肩をパンパン叩いた。平日の昼間に、スヌーピーのTシャーツと麻のズボーンのコーデで、サンダルを引っかけている、無精ヒゲの中年男に「立派」って。おばさんも七十才を超えているはず。「ボケてしまわれたのか…」と愕然とした。Tは幼稚園から中学校の義務教育タイムまで一緒だった5人の友人のうちのひとりで、ボンクラ度合いでは僕といい勝負が出来る奴だった。ボンクラ同志、仲も良かった。一学年上のバカであるKに「ここから撃てば二人のうちのどちらかに当たるぞー!」と脅迫され「死ね!」と言い返してぱぱぱぱぱーんとエアガンで仲良く撃たれたりもした。一度だけ言い合いの喧嘩をした。中学2年の林間学校の夜。当時人気絶頂の「めぞん一刻」の「八神いぶき」という女子高生(JKという言葉はまだ開発されていなかった)を巡って「八神は俺の嫁」と主張し合い、泥沼の喧嘩になったのだ。殴り合いの喧嘩なら腫れが引けば終わったかもしれないが、二次元の女子高生を巡る情けない争いである、終結まで数ヵ月を要する大戦になってしまった。
「大人になったら女子高生と遊び狂ってやる」僕とTのボンクラな願望は叶わぬまま、僕たちは大人になった。JKへの憧憬はJDへの執着へ変わり、僕だけが大人になった。Tは喧嘩から3年後、高校2年のときに原チャリで停まっているダンプに激突して呆気なく16才で死んでしまったのだ。葬式のことはよく覚えていないがTのやけに白く綺麗な顔と、幼稚園から一緒だった四人の家族で花を出したことだけは鮮明に覚えている。Tは大人になれなかった。僕らのことをエアガンで撃ったKも交通事故で大人になりきれずに死んだ。大人になれなかった奴らと大人になってしまった僕との間にどれだけの違いがあるのか僕にはまだよくわからない。ただ早く死んだだけ。まだ生きているだけ。それだけのことに思えてならない。
「早世した友のため」「かつて救えなかった命のため」カッコいいことをいう輩がいる。生きていくってのは正直しんどいので、そういう理由をつける行為そのものを僕は否定しない。実際、僕もそういう考えを持つこともある。だが、死んだ者を理由にするのは、生きている人間のエゴだと僕は思う。死んだ者を利用するのは、生きるうえの必要をみたすためのみにあるべきであって、カッコつけに使うのはほどほどにすべきだ。尤もこれは僕の考えであって、同意や反論も要しない。生死は、すべての人間が抱えている問題なので、それぞれ異なる答えがあって然るべきだからだ。ただ、僕は大人になれなかった奴らが羨ましがってゾンビになって出てくるくらい楽しい人生を送りたいと願っているし、それが僕の出来る奴らへの唯一の手向けだと考えている。Tのおばさんはただ生きているだけの僕に「立派」と言った。理由も根拠もなく、だ。僕は確信を持って言える。おばさんは僕にTを見ていたのだと。親からみれば子供は、いつまでも大人になれない子供なのだ。例外こそあれ、子供が生きているだけで立派と思うのが親というものなのかもしれない。生きているだけで立派っていうシンプルな事実は、ともすると理由や言い訳やカッコつけで見失ってしまいがちだけど、忘れないようにしたい。そう、あの暑すぎた夏の空の下で僕は思ったんだ。(所要時間18分)