Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

幽体離脱してみてわかったこと。

この夏。僕はどうやら幽体離脱とやらをしていたらしい(ツイッターではたびたび報告していた)。どうやら、とやら、らしい、と曖昧で不確定な言葉が並んでいるのは、僕の体験したものが「正式」な幽体離脱に該当するのかわからないからであり、当の本人である僕に離脱った実感がないからである。もしかすると僕が幽体離脱と呼んでいる事象は、幽体離脱のプロからみれば、まったく異なるものかもしれない。きっかけは実家に住む母からの電話である。母は深夜2時過ぎ、トイレに行く際、実家のリビングにあるテレビの前に座ってボーッとしている僕の影を見たというのだ。神仏に誓っていい。ありえない。確信をもっていえる。女房が寝静まった深夜2時の僕は例外なく大人向けの動画を視聴するお楽しみの時間を過ごしているからである。母は、母性で「ああ、死んでしまったのだな」と直感したらしい。息子が死んだ。母は人生で1、2を争うような重大な事実に直面して絶望したらしい。耐えがたい絶望と熱帯夜をしのぐために麦茶を飲んでそのまま就寝、起床後、朝の連ドラと太極拳といくつかのワイドショーを消化してから電話をくれたのだ。母はどこに出しても恥ずかしくないグレート・マザーだ。お盆の墓参りで顔を合わせた親戚からも、数日前、庭に咲いたひまわりの前でボーッと突っ立っている僕を目撃した、と言われた。青白い僕の影をみた親戚も「ああ、死んでしまったのだな」と思ったらしい。弟からは「死ぬのは兄貴の自由だけど俺の夢の中にまで出てこないでほしい」と温かいクレームを受けた。この夏。僕は失業していてアルバイトに従事している時間とエキサイティンな動画を視聴している時間以外のほぼすべての時間を、身勝手で醜悪な被害者意識から、自分をドロップアウトさせようとしているこの世界が悪い、そんな世界は滅ぼさねばならぬ、世界死ね!と世の中を呪うことに費やしていた。そんな僕の怨念が実体化して縁のあるところに出現したのではないだろうか。あるいは職という名の救いを求めて。仕事をください、日雇いではない仕事をください、人様にいえる仕事をください、と。先日法事があった。その席で久しぶりにあった北陸の親戚からも同じように、夏に仏壇の前に座る僕らしき影を見た、犬小屋を覗き込む僕らしき影を見た、と薄気味悪い目撃談をきかされた。北陸支部の皆様は異口同音に「ああ、死んでしまったのだな」と思ったらしい。なぜ確認しなかったのかと尋ねると、よすけむいといた、だけらしい。その言葉がどういう意味をしているのか僕は知らない。呪われる、とか、不気味だった、とかそのあたりの意味だろうけれど、世の中には知らない方がいいことがあるのだ。残念ながら僕は自分の影、今は幽波紋(スタンド)と呼んでいるが、現時点でまだそれを見たことがない。就職を機に幽体離脱現象は報告されなくなった。今度失業したら、そのときは一流のスタンド使いになりたいと思っている。スタンド名は公募する。冗談はさておき、この夏におこった一連の幽体離脱で、僕は大切なことを学んだ。失業状態が心身にもたらす重大な影響?魂と肉体が乖離しても生命を維持できる人間の機能?違う。お気づきだろうか。僕の影を見た近しい人たちが、誰一人として僕の心身を気づかう素振りを見せず、僕を勝手に死に至らしめ「まあ、大人になってもロックとか言ってたからしょーがないね」のひと言で片づけていた。心配も、いたわりも、祈りすら、なかった。今、僕は血のつながりのなかにおける自分の立ち位置がわかってよかったとポジティブに考えている。人情紙風船という古い映画のタイトルがあるが、人と人とのつながりなんて、紙風船のように怨念の炎であっけなく燃えてしまうものなのだ。だからこそ取扱注意なんだけどね。(所要時間19分)